12
***「ちょっとハルト、さっきのはどういう事?」
ロゼッタはリーンハルトを押しながらしばらく離宮の廊下を歩いていたが、彼を押すのを止め立ち止まった。
リカードと別れてからもう廊下の角を二、三回は曲がっただろう。当然もうリカードの姿は見えない。ここなら大丈夫だろう、と彼女は立ち止まったのだ。
「え? なにが?」
可愛い子ぶるように首を傾げるリーンハルト。分かり易い程のしらばっくれ方だ。
「さっきリカードと話してたら邪魔したじゃない。もう、ようやく和解出来たとこだったのに。それにいきなり危ないじゃない。リカードが手離してくれなかったら、私も怪我してたわ」
腕を組んで、むすっとした表情をロゼッタは浮かべる。
いくら手刀とはいえ、成人男性が思いっきり振り下ろせばロゼッタの手など簡単に怪我をするだろう。その点リカードは鍛えているので大丈夫だろうが。
「大丈夫。俺がロゼッタお嬢さんに怪我させるなんて真似絶対にしないから。ちょっとリカードに青痣作る程度の気持ちだったし」
あっははははと彼は爽やかに笑っているが、ロゼッタには笑えない。冗談だったとしても今は笑う気分にはなれなかった。
しかも、彼が話している内容は決して笑いながら話す事でもない気がする。
それならば理由だけでも問い詰めようとロゼッタは躍起になってリーンハルトに詰め寄る。それがある意味逆効果である事を彼女は気付いていない様であった。
「理由? うーん、そうだね……今までは目を瞑ってたけど、色々と状況が変わったみたいだし。調子に乗る前に釘を刺しとこうかと思って」
笑いながら話すリーンハルトだが、その目は決して笑っていない。笑っているのに怖いと感じるのはロゼッタには初めてだった。
そして、ようやく一つだけ彼女は気付いた事がある。
あのリーンハルトが少しだけ怒っている、という事である。
「ハ、ハルト……? 何か怒ってるの?」
「ううん、ロゼッタお嬢さんには怒ってないよ」
(には……つまり、リカードに対しては怒ってるわけね)
この場合自分が怒られていない事にほっとするべきなのか。リカードの事は可哀想だと思いつつも、自分の身の方が可愛いのでロゼッタはこれ以上言及はしなかった。
「……その内、リカードには選ばせなきゃなぁ。俺と陛下、どちらに介錯して欲しいか」
(凄いこと呟いてる気がするけど……放っておいていいのかしら)
だがこれも怖いから深く聞くのは止めておこう、とロゼッタは心の中で呟いた。あまり知りたくない気もするのだ。
険しい表情で黙りこむロゼッタ。するとリーンハルトの右手が伸ばされ、自然に彼女の髪に触れる。しっとりと柔らかい手触りを堪能すると、一房に口づけを落とす。
あまりにも自然な動作だったのでロゼッタは身動き一つ出来ず、ただただ頬を紅潮させた。
「……!」
リーンハルトの突拍子もない行動には慣れたつもりでいたが、こういった行動には一切の免疫が無い。ロゼッタは赤い顔でわたわたしている。
そんな彼女の仕草や表情が面白かったのか、リーンハルトはくっくっくっと喉を鳴らしていた。
「……ロゼッタお嬢さん、この先多分色んな事が起こると思う。俺は立場上動けない時が多いかもしれない。だけど、それでもロゼッタお嬢さんの味方だから。忘れないで」
一瞬だけだった。一瞬だけ、真剣な表情で彼はロゼッタの水色の瞳を覗き込んでいた。
からかわれているわけではないと悟ったロゼッタは、はっとした表情で彼を凝視する。
「ハルト……?」
雰囲気が一変した彼に、ロゼッタは慌てていた表情も固まり、目を見開いた。
その時のリーンハルトの表情は悲しげで、彼女に強い印象を残した。それまであった怒りや照れなどの感情は全て吹っ飛ぶ位に。
そして、彼の表情がこの先様々な事が起こる事を示唆していた。それは予測に過ぎないが、きっと外していない。遠くない未来で、嬉しい事も悲しい事も待ち構えているのだ。
不安に感じるのはロゼッタだけではないと知った気がした。
「……大丈夫よ、きっと」
彼女の髪を掴むリーンハルトの手を、ロゼッタは両手で包み込む。
保証出来ないが、それでも大丈夫だとロゼッタは思えるのだ。リーンハルトもリカードも、みんながいるのだから。決して不安じゃないと言葉以外で伝えられる様に、笑みを浮かべながらロゼッタは彼を見上げる。
リーンハルトの手は想像以上に冷たかった。
微笑むロゼッタに少しだけ困った様に微笑み返すリーンハルトは、静かに「そうだね」とだけ呟いていた。
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