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(……さて、部屋に戻るか)
ロゼッタに声を掛けられたり、リーンハルトに乱入されたりしたものの、リカードは当初自室へ戻ろうとしていたのだ。嵐の様に去っていた二人を見送った彼は、疲れた様な溜息を一つ吐いて踵を返した。
余計に疲れた。だが、少しだけ充足感が体を掛け巡る。
自分でも呆れる程些細な事だったが、ようやく重荷が下りた気がした。
「リ、リカード兄様……!」
歩き出そうとしたのも束の間、今度は前方からよく見知った少女が驚いた表情で駆け寄って来る。
その顔を見るのは実に数週間振り。長い黒髪を揺らしながら懸命に駆け寄って来る可愛い妹――ラナを見て、リカードは僅かに苦笑を浮かべた。
「ラナ、走ると転ぶぞ」
「いつ……! いつお戻りになってのですか……!?」
リカードが言った直後にラナは躓きそうになってよろけるが、何とか踏み止まる。そそっかしい妹にリカードは柔らかな眼差しを向けながら、ゆっくりと近付いて行った。
「先程、ハルトと共にだ。元気にしていたか?」
リカードが頭を撫でるとくすぐったそうな表情をするラナ。すると彼女はおずおずとリカードを見上げた。
「はい……って、それは私の台詞です。リカード兄様こそ大丈夫なのですか?」
一見怪我が無い様に見えるが、軍服の上からでは分からない。あの分厚い布地であれば、怪我を包帯毎覆い隠せるに違いない。
本当ですか、とラナは詰め寄りかねない雰囲気であった。
「安心しろ。何事も無く、無事だ」
「よかったです……おかえりなさい、お兄様」
「あぁ」
リカードの無事の報せは既に数日前には聞いていたが、それでもラナは自分の目で確かめるまで安心出来なかった。
リカードの偽りの無い言葉に、彼女は安堵した様な可愛らしい笑みを浮かべる。彼もとまた、実の兄弟だからこそ見せる様な表情を浮かべるのだった。
積もる話もある。それから二人は離宮の廊下を並んで歩き出した。
「ラナ、仕事は大丈夫なのか?」
ラナが抱える荷物を横目で見ながら、リカードは尋ねた。いくら妹でも彼女は仕事中だ。今甘やかす事などリカードは決してしなかった。
「少しくらいなら大丈夫だと思います。お兄様はこれから何かご用事が?」
「部屋に戻って仮眠を取ろうと思ってな」
やはり疲れているリカードをちらりと心配そうな表情でラナは見上げていた。
兄がこんな表情で帰って来たのは今回が初めてではない。毎回人間の国との争いが起きる度にこんな表情をしている。毎回の事だったとしても、ラナは心配で仕方が無かった。
しかし、あまりに彼女が心配すると逆にリカードの方が気にしてしまう事を彼女は知っている。普段通り、それがリカードにとって一番必要なのだ。
「では、夕方頃に起こしますか?」
「あぁ、頼む」
夕方に起こせば十分な睡眠は取れるだろう。兄の為にやれる事など少ないが、起こすことも妹であるラナの立派な務めだ。
それからラナがリカードに話したのは、彼がいない間の日常。アスペラルでは戦争中どんな体制だったか、離宮はどんな雰囲気に包まれていたのか、家族からの手紙の内容などごくごく普通の事。
「俺がいない間は大丈夫だったみたいだな」
「はい」
アルセル側の軍が侵攻してくる事はまず無い位置にある離宮だが、こういった緊急時に乗じて問題を起こす輩もいる。
ラナも元気で過ごしていたと知り、リカードも安心したのだった。
「そういえば、お兄様。この前新しい友人ができたんです」
「新しい友人? 珍しい……」
使用人の中では若い部類に入るラナ。周りは年上ばかりで友人と呼べる存在がなかなかいない事を、リカードは兄として心配していた。そんな彼女から「友人」という単語が飛び出て、リカード自身驚くと共に喜んでいた。
「どんな奴なんだ?」
「えっと、年上の方です。それで真面目で丁寧な方で、でもたまに天然な事を言うので面白い方ですよ。あとすっごく髪が綺麗なんです」
「ほう、良かったな」
リカードの脳内では勿論女性の形として想像されていた。彼女が楽しげに話すものだから、まさかそれが男性などと、しかもリカードの天敵ローラントであると誰が想像出来ようか。まさに知らぬが仏。
リカードの中ではラナは新しい女性の使用人と仲良くなったものなのだと、誤解が生まれていた。
「まぁ、折角出来た友人だ。仲良くすればいい」
「はい!」
この不用意な発言を彼が後悔するのはしばらく後の話である。この時はただ、噂の新しい友人と彼女が仲良く平穏に過ごせればいいと兄として思っていたからであった。
それからリカードの部屋の前で二人は軽く言葉を交わし、それぞれ戻ったのだった。
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