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***「軍師、本当にこれで大丈夫なのでしょうか?」
広間に残されたシリルとリーンハルト。シリルは紅茶をリーンハルトのティーカップになみなみと注いでいた。
彼の伏せられた瞳には隠せない不安が映っていた。
「……ま、なるようになれ、じゃないかな」
リーンハルトはそう言うが、彼自身不安がないわけではない。だが、もう我らが王は決断を下してしまった。それを覆せる程の発言力は二人にない。
いや、例え二人に発言力があったとしても、そうそう意見は変わらないだろう。
もう腹を括って静観するしかない、とリーンハルトは紅茶を啜りながら観念していた。
「私は不安です。ここで表に出れば、それこそ相手の思う壺なのではないでしょうか……最近、やけに大人しいのも気掛かりです」
「確かに大人しいね。俺の方で探っても何も出てきやしない」
蠅が集る様にあんなに煩く動きまわっていたのに、とリーンハルトは呟いた。
二人が危惧しているのはルデルト家だ。ロゼッタには既に二回も刺客を送った癖に、ここ二、三週間は動きを見せていない。やけに大人しい姿は逆に不安を掻き立てる。
勿論、あの野心家が諦めたとは到底思えない。
リーンハルトの方でも金で雇った人物に調べさせたが、芳しくない結果であった。
「……私は、ルデルト家とロゼッタ様に戦って欲しくはりません。何が起こるか……」
異様に怖がっている様な様子を見せるシリル。
「シーくん、ルデルト家に何かトラウマでもあるの?」
それは初耳だとリーンハルトはくすくすと笑う。
「いいえ……ただ、良い噂はあまり聞きませんから」
確かにそれは納得の理由である。リーンハルトもルデルト家の良くない噂はよく耳にする。
それでもその家が存在し続けているのは、その存在と権威だろう。公爵の地位は伊達ではない、ということだ。またルデルトは建国にも関わったとされる旧家の一つ。今の当主はああいった体たらくだが、その昔は王家に忠誠を誓う家の一つだった。
簡単に潰せる家ではない為、それ故にリーンハルトも手を焼いているのだ。
「だけど、いい加減邪魔だなとは思う。このままだと、ロゼッタお嬢さんが王位を継いでからも邪魔になるよね」
仮に王位がロゼッタに決定したとしても、王子の王位継承権が無くなるわけではない。王位をロゼッタが継ぎ、その後彼女が「不慮の事故」で亡くなれば、王子に王位は譲られるのだ。
そうなると、迫られる選択は二つ。ルデルト家の存在を消すか、逆にこちらから王子の存在を消すか。
「潰すにしても、ルデルトかなぁ」
虚空を見つめながら、苦々しくリーンハルトは言う。
「軍師は随分とルデルト家に執着してる気がしますね。軍師こそ、何かあるのでは?」
「……そう? 執着してるつもりはないけど……でも、あれを潰す役目は俺だと思ってるよ」
ルデルト家を潰すと何度も言ったり、個人的に人を雇って動向を探らせたり、シリルの目から見ても彼は執着している様にも見える。それが本当にロゼッタの為の行動なのか、シリルに読み取る事は出来なかった。
しかしリーンハルトの瞳には何かしらの決意があった。
たかが四年の付き合いのシリルなので何があったかは知らないが、彼とルデルト家の間に何かがある事は何となく察する事が出来た。王へと忠誠心だけではない、と直感が告げているのである。
「あ、そうだ、後からドレスの採寸あるからロゼッタお嬢さん呼んで来なきゃな」
すると突然用事を思い出し、リーンハルトは部屋を後にした。あっさりと彼が部屋を出て行ったものだから、シリルは一人広間に残される。
仕事をしよう、とシリルもまた席を立った。
「役目、ですか」
誰にも聞こえぬ小声でぼんやりと呟いたシリルは、窓の外を見遣る。相変わらずアスペラルの空は晴れやかで、その光景が悲しい程に目や脳を刺激してくる。
リーンハルトの言葉は彼を抉った。それが例え仕様の無い事だとしても。仕様が無い、と言い聞かせるしかなかった。
「?」
ふと、窓の近くに鳥が止まったのをシリルは目で捉えた。真っ白な鳩だった。その鳩には見覚えがある。
室内に誰もいない事を確認するとシリルは窓を開け放ち、鳩に手を伸ばした。鳩の足には白い紙が括りつけられてあった。
「……ええ、役目は、忘れてはいけませんよね」
白い紙を手に取ったシリルは自分に言い聞かせる様、悲しい程掠れた声で呟いたのだった。
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