5
***「ローラント」
離宮の使用人と共に掃除をしていたローラントを呼び止めたのは、部屋で療養中の筈のアルブレヒトだった。
床磨きをしていたローラントが驚いた表情で見上げると、一見普段と変わりない様に見えるアルブレヒトが目の前に立っていた。ローラントはその場に立ちあがる。
「何か用か?」
お互いの間に蟠(わだかま)りはないものの、アルブレヒトがこうして個人的に訪ねてくるのは珍しい。むしろ負傷したせいで、ここ数日はまともに会ってすらいなかったのだ。
ローラントは眉を顰める。目の前のアルブレヒトは一見普段と変わりなく無表情だが、少しだけ雰囲気が違う気がした。
ロゼッタや付き合いが長い者の方がもっと的確に読み取れるのだろうが、まだ付き合いの浅いローラントには異変を感じ取る事しか出来なかった。
「今、時間ある?」
「今か? 掃除は一段落着いたところだから大丈夫だが。急ぎの用だろうか」
アルブレヒトは彼を見上げたまま困った様に停止した。
「急ぎ、じゃない……けど、用ある」
どうやら彼の様子から読み取ると、急ぎではないものの今すぐ話したい内容らしい。必死そうなアルブレヒトの形相に、ローラントは手にしていたブラシとバケツを置いた。
ローラントの掃除は義務ではない。何か仕事をしたいという彼の気持ち。つまり予定が決まっている他の使用人とは違い、一段落着いた今ならば充分に時間は取れるのだ。
「では話を聞こう。場所はここでも良いのか?」
「ううん、こっち。着いて来て」
アルブレヒトに言われるがまま、ローラントは彼の後ろを着いて行った。
後ろから見ていると彼は普通だった。怪我の具合は大丈夫なのだろうか。しかしローラントは問い掛ける事はしなかった。
そして離宮の廊下から裏口へ、裏庭、門を通って、二人は離宮の敷地から出た。離宮は森に囲まれている為、離宮から一歩外へと出れば鬱蒼と茂る森しかなかった。
もう振り返っても離宮の入口は見えない所までやって来た。見えるのは離宮の三階の窓から上。二人がここまでやって来た事は、離宮の者は誰も知らないだろう。
辺りは見渡す限りの木。聞こえてくるのは葉が揺れる音と鳥の声だけだ。
ずっと黙っていたアルブレヒトはそこでようやく立ち止まったのだった。
「随分と遠くまで来た様だが、用とは何だ?」
「頼み、ある」
向き合った状態でアルブレヒトは口を開いた。
ローラント自身可能な範囲であれば、彼は頼みを聞いてもいいと思った。しかし、アルブレヒトがわざわざ離宮の外にまで連れて来たのだ。
もしかしたらとても重大な内容かもしれない、とローラントは息を呑んだ。
「剣を、自分に教えて欲しい」
「剣を……? 私が?」
予想していなかった突然の申し出にローラントは目を丸くした。
アルブレヒトはこくりと頷いた。
「突然どうした? 私が教えずとも、リカードや軍師殿に習えばいいのでは?」
教えたくないわけではないが、ローラントは理由が知りたかった。気心の知れたリカード達ではなく、知り合ってまだ少ししか経っていないローラントに頼んでいる理由を。
アルブレヒトがリカード達に剣を教えて欲しいと頼めば、彼らとて快く引き受ける筈である。
「……あまり、知られたくない。でも強くなりたい。ロゼッタ様、守れる程」
痛感してしまう己の不甲斐なさを、アルブレヒトは二日程前にシリルに吐露した。そしてシリルの助言は「強くなりたけばなればいい」という、至極単純明快なものだった。
まだアルブレヒトは十五。訓練を積めば強くなれる、とシリルは言ったのだ。
そして善は急げとアルブレヒトは「修業」を決意し、その剣の師としてローラントを選んだのだった。今更剣の指導をリカードやリーンハルトに頼むのは少し気恥かしかったのもある。
そして、今のアルブレヒトにとってはリカードが当面の越えたい目標の為、彼に教えて貰うのは少し違う気がしたのだ。
「しかし私は人に教えられる程では……」
頼られて悪い気はしないものの、ローラントは渋い表情で悩み始めた。
これは謙遜ではない。ただ純粋に自分は剣を教えられる様な立場ではないと思っていたからだ。自分の騎士団一つを見捨てた事は記憶に新しい。アルセルに居た頃に彼が率いていた騎士団がどうなったかは、もう彼とて知る由も無い。
「ローラントが頼り。お願い」
そう言って真っ直ぐに見つめてくるアルブレヒトの瞳は真剣だった。きっと彼なりの決意はあるのだろう。決して揺らがない、と瞳が物語っているのだ。
「……分かった。そこまで言うなら協力しよう。ロゼの為にもなるだろうしな」
「ありがとう……自分、頑張る」
一生懸命なアルブレヒトに動かされたと言っても過言ではないだろう。今まで年下と関わる事は少なかったが、ローラントから見てもアルブレヒトは微笑ましかった。
「だが怪我を治してからだ。肋骨を骨折しているんだ、完治にはまだ時間が掛かる筈」
「痛み止め飲む。大丈夫」
「痛み止めを飲んでいる時点で大丈夫ではないだろう。本来なら一カ月は安静だが……せめてあと一週間は安静にしていた方がいい」
「……分かった」
あまりに無理を言ってローラントの気が変わってしまったら元も子もない。アルブレヒトは渋々頷いて了承した。
しかしこれでローラントと修行の約束は取り付けられた。あとは怪我を一日でも早く治し、修行の打ち込むだけである。
「ローラント、この事、ロゼッタ様に内緒」
「確約は出来ないが……善処はしよう」
出来ればロゼッタだけには内密にしたい修行。しかし、これはいつしか周囲にばれるだろうと予感したアルブレヒトだった。
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