4
「……では俺は乗馬でも教えるとするか」
静かに呟いたリカードに、ロゼッタは目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。
あのリカードが、だ。あのリカードが、自発的にロゼッタに対して何かを教えると言い出すとは思ってもみなかった。だが、よくよく考えれば事前にロゼッタの父であるアスペラル王に何か言われたのかもしれない。それならば納得だ、とロゼッタは一人納得した様に頷いた。
すると、リカードは面倒臭そうに眉を寄せた。
「おい、何を考えているのか丸分かりだぞ」
「お父さんから何か言われた? ロゼッタに乗馬を教えてやってくれ、とか?」
からかう様な口調で、挑発的な視線をぶつけるロゼッタ。
リカードの眉間に皺が一本追加された。
「言っておくが、今回は陛下にも……ハルトにも何か言われたわけではない」
真偽を確かめるべくロゼッタがリーンハルトの方を見ると、彼はこくりと頷いていた。
リカードの言葉は真実であり、今回陛下もリーンハルトも彼に対して何も言っていない。むしろリーンハルトはこれからリカードに乗馬の手解きをしてやって欲しいと言う予定だった。
彼女の表情は驚愕から訝しげな表情へと変わった。残念ながら驚いているのは彼女だけじゃなく、シリルやリーンハルトもだったらしい。二人は好奇な目付きでリカードを見ていた。
何か悪い物でも食べたか、頭でも打ったか、ロゼッタに弱みでも握られているのか、お前は本当にリカードなのか、など彼女達は口々に言う。
「お前らは阿呆か! たまに人が親切心を出してやっただけでこれか!」
額に青筋を立てリカードは怒鳴った。人の好意をここまで無下に出来る集団もなかなかいないだろう。
ロゼッタの態度には必死に耐えていたものの、リーンハルトやシリルにまで好奇の目で見られたのは我慢ならなかったのだ。
「いいかロゼッタ!」
突然名前を呼ばれ、びくっとロゼッタは肩を揺らした。
「当日の凱旋は俺が率いる第一師団がお前の背後につく。それから陛下は当日の為に良い馬も用意されている。無様な格好で凱旋されては国民に示しがつかないんだ。引いては、陛下の顔に泥を塗る事にもなる。本気でやれよ!」
「……!」
凱旋当日彼が後ろに控える事や父が良い馬を用意しているという話よりも、まず一番驚いたのは彼が自然とロゼッタの名前を呼んだ事だった。彼がロゼッタの名前を呼んだ事があるのは、ロゼッタが覚えている限り一回。
アルセルに戻った時も結局怒ってばかりで、ロゼッタのロの字も出なかった男だ。どういった風の吹き回しか。
とにかく皮肉で応えるべきか、素直に応えるべきかロゼッタが迷っていると、部屋に戻ると言い残してリカードは部屋を去って行った。
ロゼッタはただ呆然と彼が出て行った扉を見ていた。
「あーあ、行っちゃった。まぁ本人がああ言ってる事だし、乗馬はしっかり教えてくれると思うから安心していいよ」
リーンハルトも扉を見つめながらフォローらしき事を言っていた。しかし、そんな彼の言葉もロゼッタの右耳から入っては左耳に抜けていた。
「ちょっと私ももう行くから……!」
そう言うや否や、ロゼッタもまた部屋から飛び出して行った。
「ロゼッタお嬢さん! 話はまだ…………って行っちゃったか」
「ですねー」
リーンハルトの制止の声は間に合わず、ロゼッタは出て行った。彼女がリカードを追い掛けて行ったのは明白で二人は苦笑した。
室内に残されたのはリーンハルトとシリルのみ。
「きっと心境の変化があったんでしょうね」
誰の事を指しているのかはシリルは言わなかったが、リーンハルトには伝わった様で彼は頷いていた。
多分心境の変化があったのはリカードだけではない。ロゼッタの存在や行動は、少なからず彼女に関わった人全てに何かしら影響を与えている。それが彼女の魅力なのだとシリルは柔らかく笑った。
「そういえばシーくん。ノアがいないのはいつもの事として、アルは? いないの?」
そう、離宮の掃除の手伝いで席を外してるローラントの他に、姿を見せなかったのはノアとアルブレヒト。ノアがいないのはいつもの事だが、アルブレヒトが現れないのは珍しい事だった。
怪我の具合が悪いのかリーンハルトが尋ねると、シリルは首を横に振る。
「怪我の方は順調ですよ。ただ、大した怪我も無く勝利したロゼッタ様と途中負傷して役に立てなかった自分。どうしても比べてしまって、落ち込んでいる様です」
ロゼッタには伏せていたが、リーンハルトは別だろうとシリルは判断して内密に教えた。いずれ分かる事であり、軍師である彼に隠しておくべきではない。ちょっとした人間関係の溝が組織に大きな歪みも生みかねないのだ。
それに同じ男としてシリルも、そしてリーンハルトもその気持ちが分からないわけではないのだ。
ふむ、とリーンハルトは腕を組んだ。
「……春だねぇ」
「春、ですねー」
ぽつりと二人は呟いたのだった。
(4/13)
prev | next
しおりを挟む
[
戻る]