10
野宿から解放され、久々のベッドは至上の寝心地だった。泊まった所が安宿ではないらしく、シーツも掛け布団もふわふわしていて気持ち良い。そして清潔感もある。
ロゼッタは寝返りを打った。夢の中では故郷を離れ、今魔族の国アスペラルに来ている事を忘れられる。
出来るものなら、こうして眠っていたい。多分無意識の内にそう思っているのだろう。
しかし、身体が揺らされている気がする。
「ん……?」
「……さ……ロ…タ…………ロゼッタ様」
名前を呼ばれている気がして、ロゼッタはぼんやりする意識の中で薄目を開けた。寝惚けているせいか、何が起きたのかロゼッタは分かっていない。数秒後、ようやくベッド際にシリルが立っており、ロゼッタを揺さぶって起こそうとしている事に気が付いた。
朝にも関わらず、彼はとても穏やかな笑みを浮かべている。だが、ロゼッタはそれ所ではない。ボサボサの頭に寝相のせいでどこかへ吹き飛んだ枕、そして着ているものはパジャマ。
決して人に見せられる様な格好と光景ではなかった。
「シリルさん……!」
「すみません、勝手に入るのはどうかと思ったんですが……そろそろ起こそうかと思いまして」
シリルの苦笑の表情を見て、ロゼッタは恥ずかしさで少し頬を紅潮させた。いくら何でも、家族ではない人にこんな光景を見られるとは思ってもいなかったからだ。
ロゼッタはキョロキョロ辺りを見た。彼がいるならば、もう一人もいるのではないかと思ったからだ。
しかし、室内にはベッドの上のロゼッタ、それからすぐ側で立っているシリル以外いない。彼女の思っている事を察したのか「アルブレヒトならいませんよ」という、シリルの言葉が返ってきた。
「下で待たせてありますから」
「……そっか」
「とりあえず、朝食を食べましょう。下の食堂で待ってますから、着替えたら来て下さい」
「分かりました」
伝えたかった事を伝えると、シリルは静かに部屋を出ていった。再び室内に静寂が訪れ、ロゼッタはもう一度身をベッドの上に投げ出した。
今日恥ずかしい姿を見られた事も恥ずかしいが、昨日の事を思い出すと抱き締められた事も恥ずかし過ぎる。アルブレヒトがいなくて良かった、とロゼッタは安堵した。
だが着替えて食堂に行けば彼はいる。気恥ずかしさで、行くのがとても憂鬱だ。
「……行かなきゃ」
ここで黙々と考えていても、ロゼッタには行くという選択肢しかない。逆にこのまま部屋に籠もっていたら、アルブレヒト本人が迎えに来る可能性もあるだろう。
のそのそと芋虫が這う様にベッドから這い出ると、ハンガーに掛けてあった服に手を伸ばしたのだった。
***
「お、おはよう……」
着替えて一階にある食堂へロゼッタが赴くと、既にシリルとアルブレヒトは席に着いていた。
彼女達が泊まった宿屋は一階が食堂となっている。夜は酒場になっているらしいが。そして二階と三階が宿になっていた。
ロゼッタの席にはもう食事が置かれていた。シリルが代わりに頼んでいてくれたに違いない。
「お早うロゼッタ様」
朝食のパンを食べながら、アルブレヒトは挨拶を返してきた。その様子は至って普通。ロゼッタは気にしてるというのに、彼は微塵も気にしてはいない様だった。
ついでに言うと、昨日アルブレヒトの頬をロゼッタは叩いている。それも少しだけロゼッタを気まずくさせていた。
だが、やはり気にしていないアルブレヒト。視線をロゼッタからパンへ戻すと、横に置いていた蜂蜜の瓶にスプーンを突っ込んだ。しばらくすると、スプーンいっぱいの蜂蜜がドロリと出てきて、それらを満遍なくパンに塗りたくった。パンが蜂蜜色の光沢を放っている。
「アル、それは……?」
「蜂蜜」
「いや、分かるわよ蜂蜜くらい。そうじゃなくて、そんなにかけて甘いんじゃ……」
見ているだけで胸焼けがしてくる。それに更に苺のジャムも追加でかけるものだから驚きだ。
彼の前にはシリルが至って普通に珈琲を飲んでいる。アルブレヒトが食している物に関しては、止めもしないらしい。当たり前の様に食事を取っていた。
「ロゼッタ様、アルブレヒトの食事に関しては気にしないで下さい。いつもの事ですから」
「いつもの事……」
「旅の最中は蜂蜜の瓶が無かったので、かける事は無かったのですが……わざわざ今日買ってきたみたいで」
どんだけ甘党なんだ、とロゼッタは思ったが人の好みに口を挟むつもりはない。これ以上何も言わず、ロゼッタは黙って席に着いた。食事が冷めても悪いので、フォークを掴むとカリカリに焼けたベーコンを食べ始める。
シリルは食べ終わったらしい。珈琲を飲みながら、買ってきたらしい朝刊を読んでいた。
「シリルさん、今日はいつ頃ここを発つんですか?」
「あぁ、それなんですが……」
その後ロゼッタは、今日このカシーシルと発たずにしばらく滞在する事を告げられた。突然の事に面食らったロゼッタだったが、その理由を当然尋ねた。しかしシリルとアルブレヒトは少々渋い表情をする。
「その、色々ありまして……今日もう一度城と連絡をしたいと思います。その間、ロゼッタ様には宿屋で待っていて欲しいのです」
「え?」
「良いですか?絶対に外を出ないで下さい」
「どうしてですか?!」
カシーシルを発たないには反論は無い。だが宿屋から一歩も出るなという言葉には、驚きを隠せなかった。そんな隠れなければいけない事をした覚えは無い。
ロゼッタはシリルを見た。しかし彼は曖昧に笑って誤魔化すだけであった。
「……それでは、城と連絡を取ってきます」
アルブレヒトの食事が終わったのを確認したシリルは、椅子から立ち上がった。アルブレヒトも無言で立ち上がる。
「ちょ、ちょっと……!」
「それでは、すみません。待ってて下さいね」
有無を言わせないシリルは、そのままロゼッタを残し素早くその場を去っていったのだった。
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