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「それは……災難でしたね」
あれからすぐに二人は宿屋に戻った。既にシリルは戻っており、二人を出迎えてくれた。かなり怒っているロゼッタと頬に赤い手の平の痕を付けたアルブレヒトを。
そしてロゼッタは怒ったまますぐに部屋に戻って寝てしまっていた。そしてここはロゼッタの部屋の隣の部屋。つまりは、アルブレヒトとシリルの部屋だった。
一連の話をアルブレヒトから聞いたシリルは、苦笑している。
「だから、あんなに赤い痕を……ふふふ」
余程面白かったのか、顔を逸らして未だにシリルは笑っている。アルブレヒトは未だ叩かれた意味が分かっていない様で、ベットに腰掛け頬を摩りながら理由を考えていた。
椅子に座っていたシリルは席を立つと、窓際へ歩み寄る。外は暗く、少ない明かりが町を照らしていた。彼は真面目な表情になり、アルブレヒトを見た。
「……で、本当に見たのですね?」
「うむ。浅葱色に白の刺繍。紋様はルデルト家」
「情報が随分と早い……予想外でしたね」
アルブレヒトは神妙な顔で頷いた。二人とも予想外の出来事に、困惑を隠せないようであった。
「どこからか漏れたのかもしれませんね。そして、王都に着く前に……ロゼッタ様を消すつもり、か」
「……」
シーツを掴むアルブレヒトの手に力が込められた。破ってしまうのではないかと思うほど、彼は強く握っていた。
「ロゼッタ様は、守る。陛下の為にも」
「えぇ、期待していますよアルブレヒト。しかし……もう少し戦闘向きの誰かを連れて来れば良かったですね」
多少戦い馴れはしているものの、今ロゼッタを守れるのはアルブレヒトとシリルだけだ。しかし、少年と本職が文官の青年に護衛がちゃんと勤まるかどうか不安である。
ちゃんと戦闘訓練を受けてない本人達もそれを重々承知していた。
「……だが、皆……ロゼッタ様の王位継承を嫌がっている。特に、リカード」
「リカードは確かに嫌がっていますね。まぁ、他の二人は分かりませんが……アルブレヒト、貴方はロゼッタ様の王位継承をどう見ます?」
シリルの言葉に、アルブレヒトのこの数日間の記憶が一気に蘇ってきた。最初は警戒していたものの、最近はようやく慣れてくれたロゼッタ。そして、今日は町を一緒に見たのだ。あんな風に誰かと町を見るのは彼には初めてであったし、初めて穏やかに過ごした気がする。
「……自分は、ロゼッタ様なら良いかと……笑った顔とか、温かい手が陛下に似ている気がする……」
「意外ですね。陛下信奉者の貴方は反対だと思っていました。少なくとも……同じく陛下信奉者のリカードは反対してますしね」
「リカードは堅物」
「ふふ、確かに」
アルブレヒトの苦言に、シリルは肩を震わせて笑った。
しかし、シリルの中ではなかなか予想外の出来事。まさかアルブレヒトがロゼッタを次期国王に推すとは思わなかったのだ。シリルは、アルブレヒトの中ではロゼッタが陛下の娘で守るべき存在であっても、次期国王として見るかは別問題にしていると思っていたからだ。
「……明日、もう一度城と連絡を取りましょう」
シリルの提案にアルブレヒトは少しだけ目を見開いた。だがシリルは至って真面目な表情だ。眼鏡の奥の藍色の瞳は理知的な表情を見せている。
「連絡を取って……リカードに要請してみましょう」
「……きっと来ない。頭でっかち」
「でも頼んでみます。無理ならノアや軍師にも聞いてみますよ」
アルブレヒトは珍しく眉間に皺を寄せた。その仕草は怒ったわけではなく、その難しさを嘆く様な表情だった。彼は無理だ、と思っているのだ。城へ連絡しても来てくれる人物は限られてくる。
「……兄上が、出てくるはずない」
「まぁまぁ、とにかく明日頼みましょう。それでも無理なら陛下に伝えましょう」
「ロゼッタ様はどうする?」
連絡を取り、もし護衛が増えるならばその到着には二、三日掛かるだろう。その間、三人は宿屋で待たなければならない。
「……篭城、ですかね」
アルブレヒトは静かに頷いた。無意味に動くより、確かにシリルの言う通りこうして宿屋で篭城している方が良いだろう。シリルの案に賛成しているのだ。
「幸い、アルブレヒトが機転を利かしてくれたお陰で、まだあちらにはロゼッタ様がいる事がバレていない」
シリルの言う機転を利かす行動というのは、帰りにロゼッタを路地に連れて抱き締めた事だ。着ていた上着を被せたのは、あの目立つ銀髪を隠させる為。魔族では銀髪はとても珍しく目立つのだ。
そして、抱き締めたのは顔を隠す為だった。アルブレヒトが抱き締め顔を伏せさせる事で、顔を一切見せない様にさせた。傍から見れば恋人にでも見られるだろう。しかし、ロゼッタだとは気付かれない筈だ。
正直、こちらの情報がどれ位あちらに渡っているか分からない。もしかしたら髪の色と瞳の色で探している可能性もあるのだ。
「……シリルは、ロゼッタ様の王位継承は……?」
今度は逆にアルブレヒトがシリルに聞いてきた。今の所シリルがどう思っているか気になるのだろう。
すると、シリルは苦笑し、窓の外を一瞥した。煌煌と輝いていた筈の月は、いつの間にか雲に隠れて霞んでいた。
「正直、まだ分かりませんね。まず彼女には継ぐ気がない。それに、無事王都に着いても彼女が王位を継げるかも分からない……今の所、ロゼッタ様の王位継承を望んでいるのは貴方と陛下だけですから。そして……彼女が王の器たる人物かは、まだ判断のしようがない」
厳しい意見であったが、最もな事を彼は言っていた。数日ロゼッタと過ごし、彼女の良い所はちゃんと知っている。しかし、優しさだけじゃ決して国は治められない。
少なくとも、シリルには彼女が無垢だが無知な少女に見えるという。
「……とりあえず、そろそろ寝ましょう。明日は早くに連絡を取りますから」
「うむ」
こうして、カシーシルでの一日目は終了した。
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