17
*** 遠くから何かが割れる音が響いて来た。
何だろう、とロゼッタは少し目線を上げるが、今は他のものに気を取られている場合ではない。目の前のアルセル王エセルバートは剣を彼女に向けているのだから。
「どうやって逃げてきたかは知らぬが、ここで儂がアルセルにとって悪しき芽を取り除いておこう。芽は早いうちに摘むのに限る」
魔術で抗戦するべきか、そうロゼッタは考えたが手を引っ込めた。ロゼッタの技術では魔術の詠唱は不可欠。先程は不意打ちだった為兵士を倒せたが、今エセルバートの目の前で使っても詠唱中に斬られて終わりである。
しかし色々考えているうちに時間切れ。エセルバートが剣を片手に向かってきた。
「!」
ロゼッタは短剣を鞘から引き抜いた。しかし冷静に考えれば考える程、この短剣で彼の剣を受け止められるとは思えない。剣技に熟練した人物ならまだしも、少しかじった程度のロゼッタでは考えなくても無理だ。
剣が振り上げられた瞬間、ロゼッタは右に飛び退いた。咄嗟の動きだったが、エセルバートの動きをずっと見ていたお陰で間一髪逃れられた。
ロゼッタが居た場所に振り下ろされた剣を見ながら、自然と反撃は今だとロゼッタは気付く。
持っているのは短剣が一本。これを失くしたら、タイミングを逃したら、全てが終わる。
だが考えるよりも先に、ロゼッタの体は動いていた。手にした短剣を、惜しげも無くエセルバートに向かって一直線に投げた。
「ぐあっ……!」
短剣は刺さりはしなかった。しかし短剣はしっかりとエセルバートの剣を握る親指の付け根を抉り、突然の反撃で剣を落とす程度には効果は抜群だった。ぽたぽたと中庭に血液が零れ落ちる。
リーンハルトから借りた短剣がカランカランと音を立てて中庭に転がる。更にエセルバートが握っていた剣も地面に落ちる。
彼に剣を拾わせてはいけない、とロゼッタは瞬時に思い付いた。
「だああああっ!」
考えた結果、ロゼッタはエセルバートに全力で体当たりした。武器一つ無いのだから体当たりしかないのだ。目を瞑り、全体重を掛ける様にぶつかった。
相手は老体、しかも短剣の攻撃に気を取られ踏ん張る事が出来なかったのだ。ロゼッタ共々ドミノ倒しの様にその場に倒れるが、逸早く身を起こした彼女は近くに転がっていた剣を拾い上げる。
ずっしりと重さのある剣を剣両手で構え、ロゼッタは切っ先をエセルバートに向けた。
「はぁ……はぁ……これで、逆転ね」
形勢逆転。
荒れた息を整えながら、ロゼッタは真っ直ぐにエセルバートを見た。
一ヶ月前の彼女であれば恐怖で身動き取れず、今までの一連の動作など出来なかっただろう。だが確実に心身共に強くなっていたのだ。震えなくなった手で、しっかりと彼女は剣を握っている。
「これで、最後のお願いよ。今すぐ降伏して、戦争を止めて」
「……くっ、今更そんな事をして何になる。今止めた所で魔族と人間の確執は消えない。すぐに新たな争いが始まるだけだ」
剣を向けられもエセルバートが屈することは無かった。忌々しげに言葉を吐き捨てる。
だが、彼の言うことも一理ある。この戦いが終わったとしても、すぐに人間と魔族の間では諍いが起こる。この数百年、ずっと同じことを繰り返しているのだ。
ロゼッタは柄を握っている手により一層力を込めた。
「……だからといって、争いを止めない理由にはならないでしょう。それに今は確執があっても、この先は分からないわ。いつか無くなる時だって来るかもしれないじゃない」
「はっ、甘えた事を」
彼女の真剣な言葉をエセルバートは鼻でせせら笑った。そんなものは空想論でただの妄想に過ぎない、と彼は言う。
しかしロゼッタにとっては妄想ではない。十七年間アルセルの教会でシスター達と一緒に暮らしてきたのが、その証拠だ。エセルバートの話に頷けば、それはロゼッタが今までの十七年間を否定することになる。
少なくとも十七年間温かさをくれたあの場所は嘘ではない。時間を掛ければ理解出来るものだとロゼッタは知っている。
「おぬしの様な小娘に何が出来る……!?」
「少なくともアルセルでもアスペラルでも暮らしたんだから平等に考えることは出来るわ! 一方の安息を望んだってそれが続くわけがない……まだ、私が出来ることが明確には何なのか分からないけれど、戦いがまた起きたらその時はまた私が止めるだけよ!」
「何度だって争いは起こる……!」
「その度に何度だって止めるわ!」
静かな深夜の屋敷内に、ロゼッタの声が響いた。
(17/21)
prev | next
しおりを挟む
[
戻る]