5
「ロゼ……!」
遠くからローラントの焦りながらロゼッタの名を呼ぶ声が響いた。
声音からして逃げろと言いたいんだろう。だがどうやって、とロゼッタは言いたかった。危機は目前、それも兵士は二人なのにこの数秒でどうすれば良いのやら。
せめて具体的に教えて欲しい、とロゼッタは緊張感も無く冷静に考えていた。
しかし頭は冷静でも、どうすればこの状況を脱せるかまでは分からなかった。
「頭下げて、剣を取る……!」
「え、あ……」
突然聞こえてきた声に叱咤され、はっとロゼッタは我に返った。
今の声が誰のものかなど考える猶予はない。立ち上がる暇など無いのだから、出来るだけ頭を伏せながら、滑り込む様に体を前方に傾けて腕を限界まで伸ばした。そして先程ロゼッタを右側から攻撃した兵士の足元の剣を取ろうとした。
思えば剣を持ってロゼッタを狙っている兵士の足元に飛び込むなど、無謀な行為だっただろう。狙って下さいと言っている様なものだ。
しかし直感的にあの声を聞いて「これだ」と思えた。深い理由は無い。
(取った……!)
剣を取ったのと同時に、ほぼ真上にいた兵士に剣が突き刺さった。普通の長剣ではなく、短剣が。横から兵士の首を狙って短剣が飛んで来て、まるで弓矢が正確に的に当たる様に的確に兵士を絶命させた。
兵士の体は後ろに倒れ、ロゼッタの頬に血が何滴も付着した。
しかし、兵士はもう一人。 ロゼッタに何度も剣で切りかかって来た方の兵士だ。こちらもロゼッタを狙って剣を振り上げてきている。仲間を倒されたことで、半分錯乱状態といったところだ。
考えるよりも先にロゼッタの体が動いた。今彼女は足元におり、剣を握っている。彼女は剣の柄を強く握り締め、脛を狙って剣を一筋薙いだ。
誰かが言っていた気がするのだ。足を狙うのは戦いにおいても狩りにおいても有効な一手だと。
「うああああっ……!」
(いやな感触……)
革靴と布、そして肉を切る感触。足を切られて苦しむ兵士の姿を見て深く切り過ぎたかもしれない、と思った。しかし力加減を考える余裕は無かったし、謝る気力も無かった。
今までの事はたった数秒間のことだった。一秒一秒がとても長く感じたが。
「大丈夫か、ロゼ……!」
ロゼッタがその場に座り込みながら肩で息をしていると、ローラントが近付いてきた。近付いている間にも牽制は忘れず、辺りに睨みを利かせている様だ。
先程の光景を思い出すとロゼッタは今更ながら身震いした。下手をすれば、いや一瞬でも出遅れていたら死んでいたのだから。
ふと、傍らで絶命している片方の兵士を見た。彼の死顔には目を逸らしたかったが、深々と首に刺さった短剣が気になったのだ。
「あれ……?」
短剣の柄には小粒程の青い石。
これには見覚えがある。一か月前とある町で、彼が自分の剣に嵌め込まれた魔石を見せてくれたのだ。魔術が使えない部分をこれで補うのだ、と。
ローラントが手を差し出してくれた為、それを掴んで何とかロゼッタは立ち上がった。転んだ時に擦った膝が少し痛んだ。
「ロゼ、今の剣は一体……?」
「ううん、大丈夫。知ってる人だわ……どうして、ここにいるのか分からないけど」
ロゼッタは短剣が飛んできた方向を真っ直ぐ見つめた。
どうして此処に居るのか、どうやってロゼッタの場所を突き止めたのか、聞きたい事は沢山ある。けれど、今言うべきことはそれじゃない。
後方からの不意打ちの攻撃に、ロゼッタ達が見つめる方向にいた兵士達はいつの間にか陣形が崩れ、多くが倒れていた。
ロゼッタに向かって歩いてくるのは一人の少年。殆どロゼッタと変わらない背丈で、まだあどけない表情のセピア色の髪をした少年だ。片手には本来ならば一対の短剣の片割れが握られている。
「……遅くなりました、ロゼッタ様」
まるで初めて会ったあの時の様だとロゼッタは思った。守らなきゃと思っているのに、いつもこうやって助けてくれる。泥や血で汚れた服で、どれだけ今まで大変な思いをしてくれたのか窺い知ることが出来た。
この言葉も初めて会った時に一番最初に向けられた言葉だ。
「魔族の仲間か……!?」
残っている少数の兵士が彼を見てざわざわと騒ぎ始める。
しかし、違う、と少年は静かに告げる。何を考えているのかも分からない無表情、けれど彼が憤慨していることはロゼッタには薄らと分かった。
少年は動かなくなった兵士から短剣の片割れを抜き、空いていた片手に持ち直した。
「……自分は、ロゼッタ様の下僕だ」
そして、表情を変えずに堂々と彼は宣言してみせた。
周囲の者達は彼の発言に硬直している。だが、相変わらずね、とロゼッタは少年――アルブレヒトの言葉に目を細めて嬉しげに微笑んだのだった。
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