10
ロゼッタが目を瞑って数秒、彼女に鋭い痛みも衝撃も無かった。ただ感じたのは風が頬を撫でる感触。
もう斬られてもおかしくない頃合い。あまりにも傷が深くて痛みが遅いというのも考えにくい。すると、後ろから男の呻き声が聞こえた。低く苦しむ様な声の後、何かがもがき倒れる音もした。
恐る恐るロゼッタは目を開けて、自分の体を見下ろした。まだ上半身と下半身は繋がっている。腕も足もあるし、首はちゃんと定位置に存在している。その事実にロゼッタは安堵した。
しかし、呻き声がしたのは後方。残念ながらロゼッタの視界の中には誰もいなかった。振り向きたくないが確認しなくてはいけない。
ロゼッタは意を決して振り向いた。
「……ローラント……?」
振り向いた先の光景を見て、ロゼッタは目を見開いて咄嗟に彼の名前を呼んだ。
彼女が目を瞑っていたこの数秒間の間に、彼女は何が起きたのか理解が出来なかった。
「どう、して……?」
廊下に転がるのは先程までロゼッタに剣を向けていた衛兵二人。静かに血を流しながら床に突っ伏していた。そしてその二人の前には血で濡れた剣を持ったローラントが立っている状況だった。
少なくとも衛兵とローラントは仲間の筈。しかし、この光景はまるでローラントが彼らを斬ったようであった。
ローラントは彼女に対して背を向けていて、彼の表情をはっきりと見る事が出来ない。何を考え、何故その行動に移したのか、ロゼッタには推し量れなかった。
もうロゼッタの恐怖は掻き消えていたが、その代わりに大きな疑問だけが残ったのである。
「……時間が無い。早くこの場を離れた方が良い。すぐに他の兵が来る可能性がある」
「ちょっと待って! いきなり何!? 急にそんなこと言われて『はい、そうですか』で納得出来るわけないでしょ!」
我を忘れてロゼッタは声を張り上げた。ここにいると兵士に知らせているようなもので、ローラントは額を押さえているが、今の彼女には些末な問題だった。
一歩近づいてきたローラントにロゼッタは一歩引いた。彼の突然の行動には納得出来ないし、安心も出来ない。
「君を助けに来た、と言えば分かり易いだろうか」
「は?」
つい持っていた剣を落としそうになる程の衝撃だった。
驚きの表情でローラントを見上げているロゼッタだが、ローラントはしれっとしている。
「とにかく外へ逃げる事が先決だ。その剣は護身に持っているといい」
そう言うとローラントは勝手にすたすたと歩き出した。呆然とした表情でロゼッタは未だ立ち尽くしていた。
「ちょ、ちょっとどうして?! どうしていきなり私を助けたりなんか……!?」
「……君が言ったことだろう。自分の道を貫くべきだと」
「!」
振り返って真っ直ぐにロゼッタを見つめるローラントの瞳は真摯だった。その表情は嘘とは思えない。
確かにローラントには数日前、そんな事を言った。悩んでいる様だったので、ただ話を聞いてロゼッタの考えを述べた。それだけだ。
しかし、ローラントがこんな暴挙に踏み出すとは思ってもみなかったが。
「……分かった。今はあなたを信用する」
ロゼッタはしばし悩んだ後、強く頷いた。
どこか彼を疑うことが出来ない。ここ数日で彼が真面目で真っ直ぐで、嘘とは無縁の人物だと思えたからだ。
それに何より、ローラントは仲間すら既に斬っている。
「でもローラント……本当にそれでいいの? 後悔するわよ」
ローラントの背を追いながら、彼女は問い掛けた。疑問系ではなく、後悔すると断定した言い方で。
彼がロゼッタを助けたりなんかすれば死罪は確実。魔族を助けるというのはそれだけの罪を背負うという事だ。
彼の誇りである騎士の位も剥奪、家も取り潰されるだろう。
「後悔は無い。それにこれも君が言ったことだ。ただ流されて納得出来ない結果になるよりはマシ、なのだろう」
自分で言ったことだが、他人に復唱されるとこっ恥ずかしいとロゼッタは思った。だがそれと同時に嬉しいとも感じる。
「あなたも、無茶というか無謀っていうか……」
苦笑したロゼッタは急いでその背についていった。
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