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*** 初めて人を燭台で殴った感触は妙に柔らかいと感じた。しかし芯がある様で肉に食い込むと固い、とロゼッタは頭の中では冷静に思った。
彼女の振り上げた燭台は丁度入ってきた使用人の後頭部を直撃してみせた。相手は女性、それもロゼッタと同じ位か少し上のようで若い。だがそんな一瞬の識別でも、ロゼッタは手を止めることはしなかった。
殴った後、自分の手を見ると少しだけ震えていた。
(……時間が無い。急がなきゃ)
震える手を無理矢理抑えつけると、床に倒れた城の使用人を一瞥した。このまま放置するわけにもいかない。当初の予定では殴った使用人はベッドに押し込めるつもりだった。
予定通り彼女の脱走の発見を遅める為にも、ロゼッタは気絶した使用人引き摺ってベッドまで連れて行った。
意識があるならまだしも、気を失って脱力している人間は特に重い。女性であるロゼッタには、使用人をベッドに押し込むだけでも重労働だった。
何とかベッドまで連れて行くと押し上げ、ベッドに乗せる。それから上掛けを体に優しく全体が見えない様に掛けてあげた。
ごめんなさい、と心の中で喋った事も無い彼女に謝りながら。
今までの行動で一体どれ位経っただろうか。まだ数分しか経っていなかったが、ロゼッタには一秒一秒が長く感じられ、緊張で既に心臓は早鐘を打っていた。
扉の前で止まってしまった料理を乗せた台車を移動させ、ロゼッタはそっと扉の隙間を開けた。
この部屋から出たのは数日前の晩餐の夜、それっきり。しかもこの部屋に閉じ込められた時は気絶していた。
外への道なんて知らないに等しい。それについては勿論気付いていたが、むざむざ殺されるくらいなら、と思い至ったから行動に移したのだ。
左、右、何度もロゼッタは確認した。
心臓の音と自分の呼吸がやけに耳について煩い。
(今、なら行ける? それとももう少し先? 右? 左?)
自分に何度も問い掛け、飛び出すタイミングを見定めようとする。だが慎重に行動しなければいけないと思いつつも、迅速に事を及ぶ必要があるのだ。そのバランスを取るのが彼女には至難であった。
ここには身を呈して守ってくれる人はいない。無謀な行動を諌めてくれる人も、手を貸してくれる人もいない。
自分の生んだ行動が結果を呼ぶ。だから行動には責任を持たねばならない。
しかし、こんなにぐだぐだと悩むのはもう止めたのだ。ロゼッタ=グレアと決別し、アスペラルの王族として生きると決めた時に。
(……ここが城なら、多分離宮と同じ。部屋は沢山あるから選択を間違えなければ身を隠せる)
ただ一つ問題なのはロゼッタの腕に付いた聖石の手錠。魔術が使えないようにするという意味もあるが、ロゼッタの行動を制限する役割もある。これを付けたままでは目立つし、何かと行動がし辛い。
しかし時間は刻一刻と迫っている。ここでうだうだとしている内に見付かれば意味が無い。
(大丈夫、行こう……)
ロゼッタはひっそりと部屋を出たのだった。
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