4
息を整え、すっと耳を澄ませる。
扉の向こうの廊下では殆ど物音がしない。時間帯もあるが、部屋の前の廊下は人通りが元々少ないらしい。
もしくは魔族であるロゼッタを恐れて近付かない様にしているのだろう。
しかし息を殺して待っていると、一人分の足音がゆっくりこちらに近付いてくるのが聞こえた。朝食を乗せた銀の台車を押すカラカラという独特の音も響いている。
時間は前日や前々日と大体同じくらいだろう。燭台を握る手に、一層力が籠った。
ロゼッタは扉が開いても動ける位置かつ、入って来た人物からは死角になる位置に身を潜めた。
もしここで失敗すればチャンスはもう無い。これが最初で最後。
ロゼッタは脳内でもう一度イメージした。息を殺し、相手が部屋に入った隙に後ろから気絶出来る程度で殴る。それからすぐに相手を拘束したら、部屋の外の様子を窺いつつ脱出を試みる。
よし、とロゼッタは意気込んだ。
不安は消えないがもう考えている暇も無い。
扉が開かれた瞬間、ロゼッタは手にした燭台を大きく振り上げた。
***「……ねぇ、僕が女装した意味ってあった?」
地面に倒れた門番を一瞥し、フード付きの長いローブを身に纏った青髪の人物――ノアはそう尋ねた。
視線の先には双剣の片方を鞘に戻すセピア色の髪をした少年――アルブレヒトがいる。
この城に入る為、そういう理由で何故かノアは化粧されていた。化粧品は市場で簡単に手に入ったが、現在進行形でこれに意味があったのか甚だ疑問だった。しかも仕草まで女性の真似をしろと強制だったのだ。
ノアの問いに、アルブレヒトは気絶している門番の襟首を掴みながら答えた。
「相手が女の方が油断する。ハルト言っていた」
「うん、軍師さんが言うと別の意味に聞こえなくもないけど……まぁ、一理あるのか」
気絶した門番をここに放置するわけにもいかない。彼らの侵入が発覚するのが遅らせる為にも隠す必要がある。アルブレヒトは一度門番を門の外に出し、茂みの奥の木の陰に隠した。一応手足の拘束も忘れていない。
入念に気絶した門番を隠す姿をノアは後ろから見ていた。
「……何で、気絶させただけ? 殺した方が楽だったんじゃない?」
門番は油断した隙を突いたアルブレヒトだったが、実際彼がしたのは剣の柄で強く殴った程度だった。前までの彼だったら容赦なく切り捨てていた筈だ。
それに生かしておくとなると当然リスクがある。殺しておいた方が余計な事を言われなくて済むのだから、ノアとしては殺すのが当然だと思っていた。
「ロゼッタ様、殺すの嫌がる。だから、出来るだけ殺さない」
彼が言っているのはロゼッタと初めて会った時の事。襲われていたのはロゼッタにも関わらず、彼女はアルブレヒトがアルセルの騎士を殺そうとするのを止めたのだ。人を殺して良い理由にはならないから、と。
それを考えるとここで人を殺せば、ロゼッタは嫌がるだろうとアルブレヒトは考えた。全て想像でしかないけれど、彼女の命令はアルブレヒトにとって絶対なのだから。
「へぇ、馬鹿らしい」
効率を先に考えたノアは率直に思った事を述べた。効率を考えてもそうだが、ノアにしてみれば逐一飼い主の言う事を聞くアルブレヒトも馬鹿らしいと思えたのだ。
「……自分は、兄上と違う。ロゼッタ様が主人」
しかし、アルブレヒトは表情を変えることなく、きっぱりと言い放つと門の中に足を踏み入れる。ここでゆっくりしている場合でも無いのだ。誰かに見付かる前に侵入して身を隠さねばならない。
急ぎ足でアルブレヒトは城へと侵入して行った。
そんな彼の後ろ姿を見つめながら、ノアは誰にも聞こえない溜息を一つ落としたのだった。
(4/13)
prev | next
しおりを挟む
[
戻る]