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***――アルセル公国国境沿いのアスペラル側陣営
話は一日前に遡る。
「失礼します、リーンハルト様。リーンハルト様にお会いしたいという方が……」
いきなりテントを尋ねてきた兵士に、怪訝そうにリーンハルトとリカードは面を上げた。兵士はテントに入る許しを得ていないので、入口の前で待っているようだった。
こんな戦場で、しかも人間の領土で彼を尋ねてくる物好きは普通いない。
敵方の斬新な罠か何かか、とリカードも冗談めいた呟きを漏らしていた。
「それとも、女でも連れ込んだのか?」
ちらりとリカードはリーンハルトを疑わしげな目で見る。どこかその視線は、普段の彼の生活を責めているかのようであった。
「いや、流石に俺でもここに女は連れ込まないでしょ」
頬杖をついて苦笑を浮かべるリーンハルト。日頃の生活のだらしなさは言い訳をしないようだが、こればかりは流石に否定をしていた。
二人はまるで揃えたかのように一度テントの入口を一瞥する。リカードは鋭い眼光でその先の様子を窺っていた。
案外静かだと思ったのも束の間、まるで争う様な声が外で聞こえた。
「お、お止め下さい!」
「良いですから! とにかく早く通して下さい!」
よく聞くとそれは訪問者と訪問者を連れてきた兵士が争う声。
二人の間に緊張感が漂い始める。元々戦場という特殊な地。こういう事態には特に神経質になってしまいがちだった。いつの間にかリカードの右手は腰の剣の柄に添えられていた。リーンハルトの表情もどこか険しい。
そして兵士は押し切られたらしい。直後、テントの入口が大きく捲り上がり、誰かが勢いよく飛び込んできたのだ。
「軍師! リカード!」
身構える二人と飛び込んできた訪問者。訪問者は彼らを見付けると、開口一番二人の名前を呼んだのだった。
「え? シーくん……?」
目が合った瞬間、驚いたようにリーンハルトが呟く。リカードもすぐに訪問者がシリルだと気付いたらしく、柄を握っていた手を緩めて目を見開いた。
「どうして此処に? お前、離宮にいた筈じゃ?」
二人が離宮を出た時、確かにシリルはロゼッタ達と共に離宮に残った筈だった。シリルをここに呼んだわけでもない。
それなのにここへ訪問してきたシリルに彼らは驚きを隠せなかった。
「良かった……ようやく会えました」
はぁはぁ、とシリルは息を切らせながら二人に会えて安堵の笑みを浮かべた。
警戒を解いた彼らは不可思議な目でシリルを見る。
「何があったのシーくん?」
「私の落ち度で、大変な事になりました……!」
叫ぶ様に悲痛な声をシリルは上げる。いつもの穏やかな空気は無く、彼の様子から尋常ではない事態だと二人は薄々感じ取った。
とにかく落ち着いて、とテーブルの上にあった飲みかけの水を彼に手渡す。急いだせいで喉が渇いていたのか、シリルはそれを一気に仰いだ。
離宮にいる筈の彼がここにいて、様子が尋常ではない。このニ点であまり良い知らせでは無いことは明白。リカードは険しい目付きでシリルが話し出すのを待っていた。
「昨夜ロゼッタ様がっ……!」
そしてシリルは絞り出した様な声で今までの経緯を話し出したのだった。
***「兄上、早く」
旅人風のローブを被った少年は鬱蒼と茂る山を登り、先を見据える。その後ろを息を切らせながら、これまた頭からすっぽりとローブを被った青年が追い掛けてくる。
身体能力と体力の差からか、青年は辛そうに先を登る少年を見上げて目を細めた。
「……僕、体力無いんだから」
それでも少年は歩みを止めることなく、先へ先へと足を早める。
余裕が感じられない、と青年は後ろから少年を見て思った。それ程先を急ぐのはきっと大切な人がいなくなったから。
大きな存在の消失は彼を焦燥感に駆り立て、大きな不安を彼に与えていた。
「文官さん、二人を説得できると良いね」
珍しいことに青年は気を紛らわせるために、少年に話し掛ける。
うむ、と短い返事が彼に返ってきた。会話をする気も無いらしく、少年はそれ以降言葉を続けなかった。
「見えた」
山頂付近にて少年の弾む様な声に、青年は面を上げた。
現在二人がいる山を下りた先、大きな都が二人の眼下に広がっていた。比較的に貧し民が多いアルセル公国だが、ここだけは例外なのである。
都の中央には一際目を引く城――レトレス城がそびえ立っていた。
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