アスペラル | ナノ
10

 今まで母親について聞かされてきた情報と言えば、教会の前に手紙を添えてロゼッタを置いて行った張本人という事だけだ。父親に関しては最近詳細が分かったものの、未だに母親については知らなかった。それはアスペラルの皆も同じである。
 だが、アンが母親について何かを知っている事がロゼッタにとっては大きな衝撃だった。今まで彼女はロゼッタに何も言わなかったのだから。

「どういう事なの? シスターは何を知ってるの……?」

 額を押さえ、シスターは顔に苦渋の色を浮かべていた。言葉に迷っているというより、彼女もまた混乱しているのだろう。

「……ええ、マリアについてはよく知っています。何処にいるかまでは、私も知りません。もう十七年会っていないのですから」

 そしてそこでアンは口を噤んでしまった。
 ロゼッタにしてみれば、まだまだ尋ねたいことは沢山ある。だが、アンは首を横に振って質問に答えようとはしなかった。

「どうして何も教えてくれないの?!」

「落ち着きなさいロゼッタ。私もまだ色々と混乱しているのです……少しだけ、気持ちを整理させて欲しいわ。明日の朝には、貴女にとって大切な事を話しますから」

 たった十数分話していただけだというのに、アンの表情には既に疲労の色が見える。この場合疲労というより心労に近いのだろう。年老いた彼女はひどく弱っているように見えた。
 明日話すという確約を得て、ロゼッタは渋々頷いた。これ以上彼女に詰め寄っても仕方がなく、彼女を責める為に帰郷したわけではないのだから。

「……ロゼッタ、貴女はこれから……どうするつもりなのですか?」

 ランプに煌々と照らされるアンの真摯な表情は迫真に迫るものがあった。
 ロゼッタの人生だが、彼女にとっても不安で心配なのだ。今まで人間の国で生きてきた普通の少女が魔王の後継者となっているのだから。もう普通の生活は望めないことに気付いているのだろう。
 それは勿論ロゼッタ自身も知っている。しかし今の彼女はただその場に流される様にして生きており、まだ先の事を決めかねていた。

「……それが、分からないの。私教会にずっと戻りたいって考えてたのに……」

 だが気付けばアスペラルの民に馴染んでいる自分もいて、その生活を楽しいとも感じるようになっていた。
 勿論、教会に帰ってきたことは泣きそうな位嬉しかった。皆の元気な姿も見る事が出来て安心もした。此処がロゼッタにとって家である事実は変わらない。
 しかし、実際帰ってみると嬉しくあっても、此処に絶対に残りたいという執着心は少しも生まれなかった。

「とりあえずまだ残るわけにはいかないから、一度またアスペラルに戻ることになるわ」

 アルセル公国には一度ロゼッタが魔族であることはバレている。村の人達を巻き込まない為にも、ほとぼりが冷めるまで身を隠してなくてはいけない。
 だが、もしもの話だ。アルセル公国の状況もアスペラルの状況を落ち着き、彼女が好きに生きて良いという選択肢を貰えた時、その時はアルセル公国かアスペラルを選ばなくてはいけない。

「……そう。ロゼッタ」

「なに?」

 俯いていたロゼッタが目線を上げると、すぐ目の前にはアンがいた。
 アンは緊張で汗ばんだロゼッタの両手を握った。皺が何本も刻まれ、少しカサカサした感触も今では懐かしい。育ての親だからだろうか、妙に安心感がある。

「ロゼッタが此処に帰りたいって言えば、何時でも帰ってきても良いのですよ。この教会は貴女の家です。でも、私はそれを強制したりはしません。アスペラルに……父親の元へ行くことも決して強制したりはしない」

 どちらでもないと言われたことは、少なからずロゼッタにはショックだった。
 アスペラルに居た頃からロゼッタはアルセル公国に帰るべきか、アスペラルに残るかの選択肢をずっと迫られている気分だった。

「貴女に残された道は二つだけ、というわけではないのです。ただ私は、貴女に後悔して欲しくない。好きなように生きなさいロゼッタ。貴女の人生を、私も貴女のお父様も縛ることは出来ない」

「でも……」

「貴女が自分で選んで、自分の道を進む事に意味があるのです。ロゼッタ、自分の信じる道を探しなさい。それは人間も魔族も関係ないことでしょう」

 そう言って笑うアンの表情は、先程と打って変わって穏やかなものだった。彼女はちゃんとロゼッタに居場所を残してくれている。だが、決してそこへ戻ることを強制したりはしない。ただ、ロゼッタ自身が望むことを優しい眼差しで見守っているのだ。
 アンとは決して血が繋がっているわけではない。だが、やはり自分にとっては「母親に等しい存在」なのだと思ったのだった。
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