12
――話は十数分前に遡る
少し早めに馬屋に到着したノアは、馬屋から馬を一頭出すと荷物を積み始めていた。荷物と言ってもそこまで多くは無い。必要最低限の食料とランプ、地図、そして毛布。
アルセル公国まで過酷な道のりではないので、特別な装備も必要は無い。ゆっくり旅人を装って行けば数日で着く行程だ。
あとは今回の雇い主というより、ノアにとっての「観察対象」が来れば出発である。
久々に旅の準備の為に動いたため、疲れたと言いながらふうと息を吐き出した。こうやって外に出るのは実に一カ月振りである。別に感慨深いものは無く、久々の外の空気は少しだけ寒く感じた。
それもそうだ、日がな一日中暖炉の火がついた暖かいというより暑めの部屋に引き籠っているのだから。
それにいつもの格好で外に出てはいけないと言われていたので、不本意ながら清潔な服を着て、長い青髪も後ろでまとめていた。
「……久々の外はどうですか? ノア」
突如背後から聞こえた声に、ノアは特段驚きもせずに振り返った。
「そうだね、ここで文官さんが来なかったら最高だったかもしれないね」
嫌味も込めてノアは目を細めながら言い放つ。視線の先には「文官さん」ことシリルが腕を組んで立っていた。
相変わらず表情は穏やかに笑っているが、その心中は穏やかではないことをノアは知っている。彼がここにいるのは偶然ではないのだ。普段この時間なら彼は寝ているし、散歩として出歩く時間でもない。
つまりは、何らかの理由でノアがロゼッタを連れてアルセル公国へ行くことがシリルにバレたということ。
だが、これはある意味ノアにとって予想の範囲内。完全にバレないで出発出来る可能性は低い、と彼自身考えていたからである。
「よく分かったね。場所とか時間とか」
「偶然アルブレヒトがあなた方の会話を聞いたのです。ですが、無断で出発される前に手が打てて良かった」
「ああ、やっぱ弟か……」
相手がアルブレヒトだと知り、ノアは納得したように頷いた。アルブレヒトならば気配を消し、室内の様子を窺うことは造作もない。シリルはそんな芸当出来ないだろうが。
しかし、全ての話が彼らに筒抜けだろうが、ノアは慌てるような素振りを見せない。いや、慌てていないのだから見せようが無いのだ。
「貴方にしては珍しいですね……他者の為に動くなんて」
互いに構えることなくその場で話し始めるが、空気はどこか暗雲漂っていた。ノアは相変わらずの無表情、シリルも変わらず笑顔なものの空気だけが冷えきっていた。
「……姫様の家族に対する熱意に胸を打たれて」
そう言いつつも、彼の言動はまるで台本をそのまま読んだような棒読みだった。
「冗談は止めて下さい。貴方がそういったものに心動かされる人ではないことは知っています」
数年同僚としての付き合いがあった二人。ノアの性格は嫌という程知っていた。他人の為ではなく、自分の為にしか動かない性格を。
だからこそ、シリルには今回のロゼッタの脱走にノアが関与している事が不思議だったのだ。ロゼッタへの情報規制について話している時、彼はとにかく興味が無さそうに見えた。
だからか、ノアは大丈夫だろうという安心があった。それは見事に裏切られる形になったが。
目的は何ですか、とシリルは語気を強めにノアに問いた。
普段から考えていることが読めないノアだが、今は特に読めない。
「……文官さんは姫様の魔術を見たことあるんだよね?」
「え? ええ、まあ、一応……」
彼の真意が読めず、困惑した表情でシリルは頷いた。
正確には魔術の発動を直接見たわけではないが、魔術使用後の一面が凍ったところを目撃したことがある。教養もちゃんとした契約もない彼女が使ったとは思えない程、辺りが凍っていた完璧な魔術だった。
あの時ロゼッタを襲っていた男は彼女を「化け物」と呼んだ。確かに成長の具合によっては、化け物に化ける可能性もあるだろう。
だが、ロゼッタの魔術と今回のノアの協力には何の関連性があるのか、シリルには全く想像が出来なかった。
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