アスペラル | ナノ
10


 しかし、いくら経っても痛みは来なかった。それの代わりか、風を切る音の後に鈍い音が聞こえ、短い男の呻き声がロゼッタの耳に届いたのだ。
 何が起きたのか、自分は助かったのか、それらを確かめる為にロゼッタは恐る恐る目を開けた。

「!」

 眼前に広がっていたのは、赤い光景。血生臭い惨劇だった。

 ロゼッタに白刃を突き立てようとしていた騎士の一人は、地に転がっていて動かない。うつ伏せになっているから傷口は見えないのだが、首の辺りから出血していた。他の騎士達は生きているものの、ロゼッタから離れて剣を構えていた。

 しかし、その切っ先はロゼッタに向けられていない。
 騎士達とロゼッタの中間に立つ男に向けられていた。彼女に背を向け騎士達と対峙している姿から、どうやらロゼッタは彼に助けられたらしい。

「…………だ、れ……?」

 顔は背中を向けられているので見えない。だが、その背格好からロゼッタと大して変わらない若者だという事は分かる。セピア色の髪の毛に軽装の男。
 果たして、そんな男が騎士四人相手に勝てるものか……

 普通ならばまず勝てないと思うだろう。体格にも差がある。

「おい!お前誰だ……?!」

「そいつの仲間か?!」

 仲間を一人突然殺されて騎士達が動揺しているのが、ロゼッタにも手に取る様に分かる。

「違う」

 騎士達に剣を向けられているにも関わらず、彼の言葉ははっきりと澄んでいた。臆していないのがよく分かる。

「なら、何なんだ?!邪魔するようならお前も切るぞ!」

「自分は……………ロゼッタ様の下僕だ」

「は?」

 騎士達だけではなく、ロゼッタすら目が点になった。そんな事を声高らかに言われても、ロゼッタには微塵も見覚えがない。
 最早、初対面の人が何故自分の名前を知っているのかは気にならない。それよりも「下僕宣言」の方が気になった。

「な、何ふざけた事言ってんだ?」

「本当の事。ふざけていない」

 すると男は向きを百八十度変え、ロゼッタに向かってきた。

 そこでようやく彼の顔が見れた。
 歳はロゼッタ位。まだ顔にあどけなさが残っており、男というより少年であった。綺麗な瞳が瑠璃の様だと、ロゼッタはふと思った。

「……遅くなりました、ロゼッタ様」

「え……?誰……?」

 僅かに細められた彼の青い瞳には、安堵の色が宿っていた。

「今日からロゼッタ様の側近を仰せ付かりました」

「え?側近?何?どういう事なの……?」

 側近という単語が頭を駆け巡り、ロゼッタは側近の意味を考えた。

(……側近って言ったら、あれよね。偉い人の側にいつも控えてる……)

 その意味で合っているならば、何という勘違いだろう。ロゼッタが偉い人なわけがない。彼女は村の教会に住むただの村娘だ。そんな彼女に側近がつく筈がなかった。
 勘違いです、とロゼッタはすぐに思った事を言ったが、少年は首を横に振っていた。

「そんな筈ない。貴方がロゼッタ様の筈」

「そ、そりゃ、そうだけど……」

 自分がロゼッタである事は紛れもない真実。そこは否定出来なかった。

「……詳しい話は後。まずあちらを片付けます」

 あちら、というのは勿論騎士達の事。ロゼッタにはその場に座っている様に言うと、彼は静かに立ち上がった。そして刃があまり長くはない、双剣を抜いた。
 彼一人で騎士四人に勝てると思っているのだろうか。ロゼッタには、あまりにも無謀に見えた。

「ちょ、ちょっと!四人相手にする気?!」

「……勿論。ロゼッタ様を殺そうとした。すなわち、万死に値する」

 既に彼が本気で言っているのかは分からない。だが、彼の身体から出ている殺気は間違いなく本気だろう。

「危ないわ!それに……無闇に人が人を殺して良い筈がないでしょう!」

「だけど……ロゼッタ様を殺そうとした」

「確かにそうだけど……私は生きてるんだし、それは……人を殺して良い理由にはならないじゃない」

「……」

 すると彼は無表情で何かを考える。周りの空気が震える程出ていた殺気は、いつの間にか止んでいた。

「……分かりました」

「え?」

「ロゼッタ様の意思を尊重します。ですが、厄介なので……」

 次の瞬間、彼の姿は消えた。更に風を切る音が聞こえたと思ったら、息の吐く間もなく、彼は騎士達の後ろに立っていた。全てが一瞬の出来事であり、ロゼッタは勿論騎士達にすらその姿は見えなかった。
 そして、騎士達全員はその場に崩れ落ちた。

「……気絶させただけ。命に別状はない」

「そ、そう……」

 騎士達が倒れた今、この一帯に残されたのはロゼッタと彼。彼はゆっくりロゼッタに歩いて近寄ってくるが、彼に対する不信感は拭えない。
 ロゼッタを助けてくれたとはいえ、彼の正体が分からない。彼女を様付けにし、側近になったと言うが……

 ともかく、見た目に反したあの強さも不安の要素だ。ただただ、ロゼッタに僅かな恐怖しかなかった。


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