9
そしてロゼッタはそわそわしながら夜を待った。
午後の講義を受けている時も食事をしている時も、出発が待ち遠しくて仕方が無かったのだ。きっと周りから見れば少し挙動不審だったかもしれない。だが、ロゼッタにはそんな事気にならなかった。
夕食後、グレースに湯浴みを手伝って貰い、寝間着に着換えるととりあえずベッドに入る振りをした。使用人は一応部屋まで付いてきて、彼女がベッドに入るのを見てから出て行くのだ。
部屋のベッドに潜り込み、室内から人の気配が消えるのをロゼッタは待った。扉が閉まる音がし、そして足音が遠ざかっていく。
「そろそろね……」
小声で呟くと、ロゼッタは体を起こした。部屋を見渡してみても、暗い部屋に彼女一人。使用人も誰もいなかった。
ロゼッタはベッド脇の台とテーブルの上の燭台に火を灯し、室内を少し明るくする。これで視界的にも動き易い。
ベッドから出た彼女はとりあえず着替えるべく、クローゼットへ向かった。動き易く、地味な服が適しているだろう。クローゼットの中身はどれも華美だが、ただ一つとても見覚えのある服が見えた。それは先日町でシリルが買ってくれた服。色も黒で、他の服よりも割りと地味なデザインだろう。
(よし、これにしよう……)
シリルに黙って行くというのに、そんな彼に買って貰った服を着るのは皮肉なものだとロゼッタは思った。だが、アルセル行きを止めるわけにはいかない。寝間着を脱ぎ、黒いワンピースに彼女は着替えた。
(あと何かいるかしら……?)
馬を使えば二、三日程度で着くらしいのでそこまで大量の荷物を持って行く必要は無い。むしろ、いらない物を持っていけば邪魔になる。食料関連はノアが用意してくれるらしいので、ロゼッタが用意するものなどほとんど無かった。
アスペラルのお金を持っていくべきか考えたが、それは止めることにした。どうせ国境を越えてしまえば、アルセル公国ではただの紙切れ。持って行っても意味が無いのだ。
(そうだ、お金の代わりになりそうな物を持って行けば良いのかも)
戦争の最中にあるアルセル公国。何が起こるかロゼッタには全く想像が出来ない。
彼女はベッド脇の台の一番下の引き出しを開けた。そこに入っているのは所謂ロゼッタの宝箱。飾りっ気のないただの木箱だが、中には父から貰ったティーレの鈴やネックレス、ラナとお揃いのリボン、少しだけあるアルセルの通貨などが入っていた。
ロゼッタは中から指輪やブローチを取り、ポケットに大切にしまい込んだ。これで何かあった際、アルセル公国でもお金と交換だって出来る。
「これは……」
手に取ったネックレスを見て、ふとこれは父が仕事の合間をぬって商人を呼び買ったという薄い黄緑色の石のネックレス。リーンハルトが本城から帰って来る際持ってきた物だ。貰って一回しか着けておらず、今見るまでほとんど存在を忘れていた。
これもきっと何かの縁だろう、とロゼッタはそれを身に着けた。父から貰ったということもあり、今回のアルセル公国への旅路のお守り代わりにしたのだ。
(そろそろ行かなきゃ……)
時計を見て大分時間が立った事に気付いたロゼッタは、クローゼットから出したローブを着て部屋の外を覗き見た。
いくら夜でも廊下では使用人が見回りをしている。数が少なくとも、決して誰にも見付からずに離宮裏の馬屋へ行かなくてはいけなかった。
今部屋の前の廊下には誰もいない。今のうちだ、とロゼッタはローブを被って廊下に踏み出した。早足で廊下を歩きながらも、人の気配や足音には気を配った。曲がり角では必ずその先の様子を窺い、誰もいないことを確認した。
普段生活していた離宮だというのに、こんなにコソコソしなくてはいけないのは少しだけ変な気分だった。しかし悪い事をしているという自覚はある。それでも脱走を止めるわけにはいかないのだが。
(あともう少し)
ようやく一階に辿り着き、馬屋まで目と鼻の先まで迫って来ていた。ここまで来れば大丈夫だろう、と思っていると背後に気配を感じた。
こんな所まで来て見付かるわけにはいかないのだが、つい咄嗟にロゼッタは振り向いてしまった。
「……止まって下さい、ロゼッタ様」
ロゼッタの瞳が大きく見開かれた。
まるで彼女の行動など見透かされていたかの様に彼は待ち伏せていた。
「アル……!」
窓から差し込む月光が照らす先にいたのは従者のアルブレヒト。彼は険しい表情で立っていた。
(9/16)
prev | next
しおりを挟む
[
戻る]