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話も一区切りついたとノアが思っていると、ロゼッタが彼に詰め寄って来る。いつ出発するのか、ということらしい。
彼女の心境にしてみれば一刻も争うことなのだ。今すぐにでも出発したいのだろう。オルト村もアスペラルも戦争もどうでもいいノアだが、約束は約束だ。彼女の要求はある程度飲む必要はある。
ノアは顎に手を添え、少しだけ考える素振りを見せた。
「……じゃあ、今夜日付けが変わった頃に行こう。文官さんや弟に見付かっても厄介だから」
そうね、とロゼッタは頷いた。アルブレヒトやシリルに見付かってしまえば、連れ戻されることは容易に想像出来る。それを考えると闇夜に紛れて夜中にこっそり出発した方がリスクは少ない。
「馬小屋の場所は分かる?」
「ええ、大体は」
馬小屋に行ったことはないが、前に離宮内を歩き回った際に離宮の裏で見たのは覚えていた。馬車や荷車に必要な馬などがいて、普段は使用人が世話しているらしい。
それなら充分だ、とノアは満足そうに頷いた。
「……そこで待ち合わせで」
そこで話を終わらせようとするが、待ってとロゼッタが再び呼び止める。
「でも私馬には乗れないわよ?」
彼の話から馬で行くことは窺い知ることが出来る。
だが、ロゼッタが乗った事があるのはせいぜい荷馬車や普通の馬車くらいだ。馬に鞍を着けて乗った経験など皆無。馬に乗って行こうと言われても、そう簡単に出来ることではなかった。
「あー……じゃあ僕の後ろに乗って。馬車で行くわけにもいかないし」
とても面倒そうな表情だったが、ノアはそう提案した。彼女も異論は無い。馬車で行けば時間が掛かるし、徒歩で向かえば尚更時間が掛かる。
それだったら素直に彼に頼み、後ろに乗せて貰った方が少しでも早く村に辿り着けるだろう。
決行時間も場所も決まった。ノアは持っていた本を纏め、部屋を後にしようとするがふいにロゼッタからとある言葉が飛び出る。
「……ねえ、今更なんだけど……こんな事してノアは大丈夫なの?」
それは王に仕える立場として、あえて姫君を戦場近くまで連れ出す行為のことだろう。国の制度などには疎い彼女だが、これが大罪だということはすぐに想像出来た。もしこの計画がバレてノアもロゼッタも捕まったりしたら、ノアの断罪は避けられない。
しかし、ノアとてそれは知っている筈。彼女を連れ出し、万が一死なせてしまったら極刑。無事だったとしてもある程度の処罰は下る。
そんなリスクを負ってまで、何を彼は求めているのかとロゼッタは気になった。
「……別に国の制度にも、王族にも興味無いから。それに捕まりそうになったら殺して逃げれば良いし」
しれっと言い放つ彼に、ロゼッタは少しだけ鳥肌が立った。彼は難なく言うが本来ならば難しいこと。だが彼なら無表情で、本気で成し遂げてしまいそうだと思ったからである。
今は味方だから心強いと思えるが、敵に回したら厄介なのかもしれない。
「それに、言ったのは姫様でしょ」
「?」
「……僕は研究第一で、金には執着しないって」
そう言って彼は薄らと笑う。ロゼッタの言葉に対して根には持っていないようだが、どうやら覚えれてしまったようだ。それが良い意味か悪い意味かは聞き手側に寄るだろう。
ロゼッタも苦笑した。きっとこれから事ある毎にこれを言われる気がしてならないからだ。
だが、今の彼女にはとても心強い言葉だった。信頼関係があるわけがなくただの利害関係だが、それ故に相手が裏切ることはないと確信出来た。
「それじゃあ、改めてよろしくノア」
にこやかに言う彼女の言葉に、ああ、とノアは応えたのだった。
――その瞬間、書斎の扉の前から少年が音も無く踵を返した
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