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ノアのことを信用していないわけではない。彼は自分の欲には正直なところが有り、したい事はする、したくない事はしない、と物事もはっきりしている。普段は隠し事をするような男でも無い。
だが、共に過ごした日数を考えると全てを信じきるのも危ないとこ。
だからこそ、答えを出す事にロゼッタは躊躇っていた。
「……いいの? 家族、助けなくて? 安否を確認したいんでしょ?」
しかし、ノアも弱点を突いてくるのが上手い。ロゼッタ自身一番気にしている事を引き合いに出すのだ。そんな事を言われてしまえば、彼女の心が揺らがないわけがない。
ロゼッタの顎を掴んでいた指を離し、ノアはふらりふらりとロゼッタから数歩離れる。彼女に選択を迫ってはいるものの、時間までは制限しないらしい。
だが、今までに見た事ない程ノアは楽しげだった。まるで新しい玩具を貰った子供の様に、無邪気なのだ。
(……理由は、何? どういうこと?)
簡単に答えを出してはいけない、そう分かってはいるものの頭の中では村へ戻ることしかなかった。今彼女を繋ぎ止めているのは、ほんの少しの理性。それが無かったら感情のままにノアの提案を飲んでいただろう。
(罠、ということは無いわよね……?)
一応、ロゼッタは命を狙われている身分。彼女を離宮から誘き出して、ルデルト家に売り渡すということだって充分に有り得る話だ。忠誠心などさらさら無いノアなら特に可能だろう。
そんな事をロゼッタが考えているとは露知らず、ノアは呑気に机に腰掛けて鼻歌を歌っている。スパイかも、と疑われているとも分からないだろう。
(信じて、良いの……?)
ロゼッタには嘘を見破るなんて高等な技術は持ち合わせていない。むしろ逆に騙され易い方とも言える。
(でも……)
出来る事ならば彼を信じ、そして村へ戻って皆の無事を確認したい。ロゼッタは右の拳を握って、下唇を噛んだ。
ノアを信じて良いかは知らない。もしかしたらそれは嘘で、ロゼッタに危害を加える可能性もある。だが、それは全て想像の範囲内でしかない。ノアの言葉が嘘であるという事実も無い。
「さあ、どうする? 僕の手を取る?」
タイミングを見計らったかのように、ノアは再度問い掛けた。彼女の目の前には差し出されたノアの左手。白く細い腕がロゼッタを誘っていた。
「……」
ロゼッタは再び躊躇った。シリルは危険だから離宮にいるように、と言っていた。この白く細い手を取れば、その約束を破る事になるだろう。
だが、耳からノアの言葉が離れない。甘言が、脳内を支配して、まるで痺れた様に判断力を鈍らせていく。駄目だ、と思いつつもロゼッタの手はそろそろ持ちあがり、ノアの手に自らの手を乗せていた。
「契約成立、だね」
「……ええ」
満足したようにノアは口元に弧を描いた。その様は妖艶で、漠然と絵本に出てくる悪魔はこんな美貌をして人を惑わせるのかもしれない、とロゼッタは思った。
だが、ロゼッタは後悔などしていない。彼を信じ、村へ戻ることを決めたのは全て自分なのだから。
また戻れない一歩を踏み出してしまった、と彼女はそう感じたのだった。
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