アスペラル | ナノ
3


 戦争が国境付近で始まったとはいえ、結局のところ離宮での生活は昨日と変わりは無かった。多少の戦争に対する不安は隠し切れていないものの、ロゼッタの生活もペースも普段と変わりなかった。
 ただアルブレヒト達の少しのぎこちなさと、リカードとリーンハルトがいないという事実だけが戦争の始まりを彼女に実感させていた。

 そして戦争が始まって一日経った今日は、いつもと変わりなく魔術の講義。本来ならばリーンハルトの兵法の講義が入っていたのだが、彼は今戦争に出立してしまっていた。

 分かりやすく意気消沈したロゼッタが書斎へ入ると、既にノアが室内で読書をしながら彼女を待っていた。

「……」

「…………おはよう」

 ロゼッタが無言でいると、珍妙なことにノアから挨拶をしてきた。少しだけ目を見開いて驚いたロゼッタだったが、おはよう、と小声で返すだけであった。
 いつもの席に座り、講義が始まるのを彼女は待つ。きっと講義なんて受けている余裕など彼女の心には無い。だが、シリルからは「いつもの生活」をするようにと言われ、何も出来ない彼女はただそれに従っているのだろう。

「弟は?」

「シリルさんの、お手伝いをするからっていないわ……」

 あまり眠れなかったのか、彼女の顔色は昨日に引き続き蒼白く、加えて目の下には隈が出来ていた。
 昨日のロゼッタの誕生日会兼歓迎会にいたノアは、彼女が今にも倒れそうな表情をしていたのを知っている。勿論、記憶の片隅にはあったが彼女が今までアルセル公国にいた事も分かっている。

 だが、彼がロゼッタの気持ちを理解することだけはなかった。

「……ねぇ、ノア」

「何?」

 思い詰めいている様な、神妙な表情でロゼッタはノアの名を呼んだ。戦争の事実はどうやらノアが思っている以上に彼女を精神的に追い詰めているらしい。
 多分、ロゼッタの感覚は普通だった。家族が戦争に巻き込まれてしまうかもしれない、と知ったら慄かない方がおかしい。その点で考えれば、きっと自分はおかしいのだろうな、とノアは感じた。
 家族という存在、愛され大切にされることが欠落してしまった彼には分からない感覚なのだ。だがそれを悲しいとも思わないし、ノアは知りたいと思うこともなかった。

「今回の件について、何か知ってるなら……教えて」

 彼女が聞きたかったことなどノアには想定内であり、質問内容を聞いても「やっぱりね」といった感じであった。

「知ってるけど……弟とか文官さんから聞いたら? どうして僕なの?」

 あえて口止めされている件については触れないで、ノアは二人に聞くといいと突き放した。
 しかし、ロゼッタは首を横に振った。

「……無理よ。きっとあの二人は教えてくれない。だからノアから聞くしかないの」

 よく分かってるね、とノアは溜息を吐いた。
 落ち込んではいるものの、彼女は自分の立場も忘れてはいない。そして二人がするであろう行動も予想は出来ているのだ。思考までは鈍っていない様であった。
 アルブレヒトやシリルはお役目第一の人だからロゼッタを守ることを優先するだろう。だが役目に必死ではなく、むしろロゼッタにすら興味の無いノアなら教えてくれると彼女は踏んだのだ。

「別に教えても良いけど、むしろどうしてそこまで必死になるの?」

 理解に苦しむ、とノアは淡々と呟く。彼にしてみれば漠然とした疑問なのだろうが、ロゼッタには逆に何故肉親の情が分からないのかが解らなかった。

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