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リーンハルトが羨ましく、そして悔しい。だが彼に当たっても仕方のない事なので、ロゼッタは言葉を飲み込んだ。
ロゼッタからの羨望の眼差しに気付いたリーンハルトは、少しだけ口許に笑みを浮かべた。だがそれは楽しげな時に浮かべる微笑ではない。困った様な、少し悲哀の隠った笑みだった。
「……まあ、俺は代わりでしかなかったけどね」
何の、とは聞けなかった。自惚れてもいいのなら、正直言ってしまうとロゼッタ自身を指すのものなのではないかと彼女は思った。
何と言って良いのか分からないロゼッタは、さ迷う様に指で本の背表紙を撫でていた。ザラザラとした感触が妙に気持ちが良い。
「でも、ありがとうハルト」
気付けば、感謝の言葉が彼女の口から漏れていた。予想もしていなかった言葉に、リーンハルトは目を見張る。
面を上げたロゼッタは水色の瞳でリーンハルトを見返した。
「正直言えば私はハルトが羨ましいわ。私が孤児院にいる間、ずっとお父さんといたんだから。でも、お父さんはハルトがいて嬉しかったと思うの」
「……シルヴィーにとって本意では無くても?」
本当に側に置きたかったのは違う者。代わりにリーンハルトを置いていたのならば、それは王シュルヴェステルにとっては本意ではない。
だが、迷う事なくロゼッタは「ええ」と力強く頷いた。
どうしてそう思うの、と彼が問うとロゼッタは理由を話し出した。
「だって、代わりだったとしても側にいて欲しくない人をわざわざ従者にしたり、可愛がったりしないんじゃない? 少なくとも、お父さんにとってはハルトは心が許せたんじゃないかしら」
それに嫌なら「シルヴィー」なんて愛称を呼ばせないわよ、とロゼッタは付け足した。一国の王を普通ならば愛称で呼べるわけがない。故に、王にとってリーンハルトは数少ない心許せる者だとロゼッタは思ったのだ。
すると、弱ったな、と彼は苦笑した。そんな簡単な事に気付く事が出来なかった事もそうだが、王にどことなく似た彼女に言われては反論出来ない気がした。
彼女の容姿は決してシュルヴェステルに似ているわけではない。だが、雰囲気や目元、仕草がどこかシュルヴェステルを彷彿とさせるのだ。
「うん、そうだと良いね。俺は父親いないから、シルヴィーが父親みたいなもんだったし」
嬉しげに目を細めるリーンハルトだが、ロゼッタは茫然と見返した。彼に父親がいないという言葉があまりにも意外だったのだ。リーンハルトの両親をうまく想像は出来ないのだが、彼とて人の子。両親はいるものだと思っていた。
するとロゼッタが何か言葉を発しようとした瞬間、部屋の扉がノックされた。
「はーい、誰ー?」
いつも通りの笑みに戻ったリーンハルトは扉に声を掛けた。まるで今まで大した事を話していなかったかの様な態度だ。
ロゼッタとリーンハルトが部屋の扉に注目していると、シリルがゆっくりと扉を開けて入ってきた。彼が来るのはとても珍しい。自分の講義でなければ、ロゼッタの邪魔をしない為に普段は他の仕事をしている。
「シリルさん、どうしたんですか?」
「お勉強中に失礼します、ロゼッタ様。所用がありまして参りました」
穏やかな笑みを浮かべ、シリルは後ろ手で扉を閉めた。突然やって来たという事は緊急の用事だろうか、と思ったロゼッタだが、彼のゆったりとした動作に焦りは決して感じられない。
という事はリーンハルトに仕事の用事だろうか、と思っているとシリルはロゼッタの方を向いた。
「実はロゼッタ様に用があるんです。軍師の方からは何も聞いていらっしゃいませんか?」
「え? 私? ハルトからは何も聞いてないけど……」
ロゼッタはちらりと横目でリーンハルトを見た。彼は軍師のくせに「しまった」と言わんばかりの、分かり易い表情を浮かべていた。
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