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もう死ぬのだ、とロゼッタは死を直感した。
だが、後ろから黒い何かがロゼッタと魔物の間に壁の様に立ちはだかった。その直後に魔物が短い悲鳴を上げながら、バランスを崩して地面に墜ちた。すぐさま魔物は立ち上がって体勢を整えるが、体躯に浅い傷を負っているかの様だった。
そして魔物は血を垂らしながら睨み付ける。ロゼッタとの間に立つ、表情を強張らせたラナを。
「ラナ……?」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
逃げろと言った筈なのに、逃げずにロゼッタの前に立つラナ。それから喰われると思った瞬間に、魔物がバランスを崩した理由も。
(ラナの手のって……短剣?)
少し動揺しながらもロゼッタが緊張の面持ちで観察をしていると、ラナの手には一本の短剣が握られていた。長さはニ十センチ程度。まるで飾り物の短剣の様に、柄や刃には綺麗な彫り細工が施されていた。
そんな短剣をラナは僅かに震えながら、両手で握っていた。刃に着いた血が、たらりと赤い滴を垂らす。ラナの衣服の袖も赤く染めていた。
どうやらラナはその手に握る短剣で魔物を斬り、ロゼッタを助けてくれた様だった。あまりにもラナにしては不釣り合いな行動に、ロゼッタは目を見開いた。
「ご、ご無事ですか……?!」
確かにロゼッタは無事だ。傷一つ負う事はなかった。だが、下手をすれば今のはラナが死んでしまっていた。
「無事だけど……逃げてって言ったじゃない! どうして戻ってきたのよ……?!」
折角のチャンスを蹴り、自ら危険へ戻ってきたラナにロゼッタは怒鳴った。それ程自分を助ける行為は愚かだとしか思えなかった。
だが、ラナは首を左右に振った。短剣を掴む手に力が込められ、震えがぴたりと止まる。
「私は……いえ」
今にも泣きそうだった声が、張り詰める。ロゼッタを振り返る事なく、凛とした眼差しを魔物に向けた。
「私とて、名門アッヒェンヴァル家の者です! 兄の名誉にかけても、主人を置いて引くわけにはいきません……!」
使用人として主人の命も、騎士団の団長の妹として兄の名誉も彼女は守りたかった。
彼女は兄と共に戦えない事を悔いていた。火の属性の魔術を使えない事を嘆いていた。だが、その姿は確かに騎士の如き勇敢さと気高さだった。
彼女に握られた短剣の切っ先が、真っ直ぐに魔物へ向けられる。だがその短剣ではあまりに頼りなく、殺傷力が低い事は窺える。
「……!」
唇をキツク噛んで魔物を睨み付けるラナ。彼女だって震える位魔物が怖いのだ。実戦経験など皆無に等しいのだから。
真面目な所も、本人に自覚はないが忠誠心が厚い所も兄と似ているだろう。似ている事を悲しい程ロゼッタは感じていた。彼女の良い所なのかもしれないが、それが今彼女を殺そうとしているのだから何とも言えない。
「馬鹿ね……」
それでも嬉しいと思ってしまう自分も自分なのだが。
「そう、ですね。でも……大切な友人を見捨てるわけにはいきませんから」
「こんな時にそんな事言って……嬉しいけど、困るじゃない」
こんな時だからこそ、ロゼッタは苦笑した。ラナの表情は見えないが、彼女も苦笑している気がした。
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