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離れていくロゼッタの背中と銀髪も、獣の咆哮もやけに鮮明に、そしてゆっくりと感覚が捉えていた。
突然走り出した獲物に、獣は本能的に反応し、地面を蹴り上げている。
「!」
ラナにただ分かるのは、ロゼッタが死んでしまうという事。武器も無しに、魔物の囮になるなんて自殺行為に等しいだろう。
気付けば、ラナの足は声も無く走り出していた。前を横へ走り出したロゼッタを追い始めたのだ。勿論、それは彼女の命令を無視するという事になる。
だが、彼女には命令よりも大切な物、守る物があるのだ。
ふと、ラナは使用人に支給されている仕事着の黒いスカートに触れた。正しくは、スカートの上から自らの脚に。
(これは……)
魔物相手に勝算なども無い。だが、スカートの上から触れた固い感触に、頭の中では冷静に自分のすべき行動を描いたのだった。
***
走り出したロゼッタはとにかく、前へ前へと進んでいた。少しでも気を抜けばこの身は獣の餌食となる事を重々承知していたのだ。
横から獣の唸り声や大地を蹴る音、草木が妙にざわつく音が聴こえていた。そして、自分の跳ね上がっている心音と荒い息遣いも聴こえている。そんなもの聴いている暇などないのだが、全ての感覚が研ぎ澄まされているかの様に耳に入って来る。
いや、多分彼女の感覚が意識的に研ぎ澄まされているわけではないだろう。
次第に近付いてくる死の音に、脳がそれを拒絶するべく、必死に生き様としているのだ。脳はフル回転して周りの情報を必死に集め、生きる術を模索してる。
(でも、もう……)
だが彼女はもう限界だった。いや、体力はまだまだある。しかし俊敏な魔物の速さを見ていると、どう頑張っても逃げ切れるわけないと脳が冷静に判断を下すのだ。
最初は離れていたものの、数秒で既に至近距離にまで迫っていた。
魔物から逃げ切れるなんてやっぱり無理だ、とロゼッタは思った。
(せめて、ラナだけは……)
自分の我侭で巻き込んでしまった少女だけは助かって欲しい、と切実にロゼッタは願う。もう彼女には後ろを振り向く余裕などなく、ラナがちゃんと逃げたか確認する事は出来なかった。
(……お父さん)
寂しさを感じた心が、自然と呟く。
この離宮に来るまで何度か危険な目に遭ってきたが、今まではアルブレヒトやリカードが助けてくれたりした。
しかし、今日はこの森に入ってしまった事をアルブレヒトもリカードも知らない。助けに来てくれない、いや、ロゼッタの助けには気付いてくれないだろう。
全ては自業自得なのだから仕方ないのだが。
だが、せめて死ぬ前に実の父親に会いたかった。離宮に来てから実は、父親に会ったらしたい事をたまに考えていたのだから。
会ったら父に抱き締めて貰って、ロゼッタの名前を呼んで貰う。そして、自分を預けた理由を問い詰める。そんな事すらもう出来ないと思うと、自然と涙が零れていた。
そして、ロゼッタは横目に飛び掛かって来る一匹の魔物を見たのだった。
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