22
ロゼッタもラナも突然の唸り声に面を上げた。今のは人の物ではない事は明白。すぐ近くから聞こえた気がして、二人は歩みを止めて警戒した。
「何、今の……?」
緊張した面持ちでロゼッタは呟く。小さい森とはいえ、何が潜んでいるかは分からないとラナも言っていた。獣か、それとも魔物か、彼女は息を飲んだ。自然と首筋には冷や汗が流れる。
「お下がりください姫様……」
「え?」
そう言うやいなや、ラナはロゼッタを背にする様に立ちはだかった。ロゼッタの目の前では長い黒髪が揺れるだけで、状況が一向に飲み込めなかった。何故小さい背中に庇われているのか、何故そんなにもラナは焦っているのか。
ロゼッタは横に一歩ずれて、ラナの視線を辿った。その先にあるものを知る為に。
「!」
彼女の視線の先は身の毛の弥立つ様な生き物がいた。見た瞬間、ロゼッタは悪寒が走り、強烈な恐怖に襲われる。
「あれは……?」
多分、頭ではそれが何なのか分かっている筈である。だが、拒絶したい思いでロゼッタはラナに問い掛けていた。
「……獣型の、魔物です」
静かに、ラナはそう呟いて教えてくれた。しかし彼女の目線は未だ魔物に向けられていた。いや、警戒して魔物から目が離せない状態であった。
魔物だという事は、その姿を見た瞬間ロゼッタでも薄々気付いていた。その生き物の体躯は大きくないものの、狼の様に鋭い牙と爪を持っており、ボサボサの毛並みを逆立たせていた。だが、狼と大きく違うのはその毛色。普通の動物では有り得ない、紫黒色をしていたのだ。
魔物は口から涎を垂らしながら、ロゼッタ達を見詰めている。前足の鋭い爪が土を抉り、大きな跡を作り上げた。
「まさか、魔物が出るなんて……」
ロゼッタの嘆く様な呟きに、ラナも微かに頷いた。
この森でも魔物が出る可能性はあるとは言っていたが、普通ならば昼間は可能性が低い。魔物が活発になるのは夜からなのだから。
「もしかしたら、縄張りに入ってしまったのかもしれません」
この森に住みついている魔物なのだとしたら、巣や縄張りがあってもおかしくない。ハチを追い掛けるのに夢中になり、知らず知らずのうちに二人は魔物の縄張りに侵入してしまったのだろう。
一匹だけだと思っていた魔物は、森の深くから一匹、また一匹と姿を見せ始める。全てが二人に敵意を剥き出しにし、吼えていた。
実はロゼッタは魔物をちゃんと見たのはこれが初めてだった。人間の国でも魔物は少しは出るのだが、滅多に見れるものではない。また育ったオルト村は魔物とは縁遠い様な村。まず魔物に襲われる事はなかったのだ。
また、このアスペラルに向かう途中何度か野宿したものの、幸いにも魔物と遭遇する事がなかったのだ。そのせいか、異様な恐怖がロゼッタを竦み上がらせていた。
(どうしよう、このままじゃ……逃げられない)
囲まれているわけではないが、魔物の体躯は狼に似ている。走って逃げたところで、魔物から逃げ切れるとは思えなかった。
簡単に追い付かれて、その鋭い牙と爪で引き裂かれるのが容易に想像出来る。
(元はと言えば、私が帰らないって言ったから、ラナも巻き込んじゃったんだわ……)
ハチを追い掛けて森に入ったロゼッタに、確かにラナは危険だから戻ろうと進言した。だが、それを聞き入れなかった彼女にラナは付いてきたのだ。
自分の我侭で彼女を巻き込んでしまった事を、ロゼッタはひどく後悔した。
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