4
実を言うと、インクと紙が切れたなどシリルの嘘であった。
ロゼッタを町へとお使いに出す、口実でもあったのだ。ああ言えば、彼女は町へ行く気になると思ったからである。
そもそも、何故彼がロゼッタをお使いに出そうとしたかと言うと、気分転換の為であった。一度町に出て買い物などをすれば、彼女も少しは羽を伸ばせると思ったからだ。
あれからすぐに行動の早いシリルは、馬車の手配を済ませた。ロゼッタは身支度があるので一度部屋へ戻り、アルブレヒトと共に離宮の門の前で待っていた。
シリルは仕事で行けないものの、当然アルブレヒトは従者として一緒に行くからである。
「……シリル」
無言だった二人だが、突然アルブレヒトが口を開いた。
「何ですか?」
「リーンハルト、今回の事知ると、怒る?」
真っ直ぐな瞳で、彼はシリルを見上げる。シリルは静かに苦笑した。
怒るでしょうね、と呟きながら。
「確かに、今回は独断ですから怒られるかもしれません」
ロゼッタを任された従者は五人いるが、その中でも一番位が高いのはリーンハルトである。そして王から直々に命を受けたりもしている彼は、ある意味五人の責任者でありリーダーでもある。
シリルは彼の許しを得ず、勝手にロゼッタをお使いに出そうとしていた。
「ですが……ロゼッタ様に息抜きして欲しいですから」
シリルは柔らかく微笑む。アルブレヒトの瞳には、彼が慈愛に満ちた青年に映った。
また、二人共近くの町ならば大丈夫、という考えもあったのだった。
「それに大丈夫です、責任は私が負います。だからアルブレヒトは、ロゼッタ様を任せましたよ」
それは本来ならば、並大抵の責任ではない筈だ。もしロゼッタの身に何かあれば、彼の首は間違いなく撥ね飛ぶ事になるだろう。
だが、それすら彼は承知しているのだ。
「うむ」
シリルが責任を負うならば、アルブレヒトはそれに応えられる様に全力で彼女を守らなければいけない。そして、ロゼッタを元気付けなければいけない。
アルブレヒトは力強く頷いたのだった。
***
それから程なくして、支度を終えたロゼッタは姿を現した。
元々華美な衣服は着ていなかったが、あまり目立たない様な普通の衣服着替えてきたのだ。動きやすく、これならば裕福な家の子としか思われないだろう。
「お金はアルブレヒトに渡しておきましたから」
「はい」
今回の町への目的は、一応紙とインクを買う事。お金を所持していないロゼッタは、お金を貰うしかなかった。
二人は馬車に乗り込み、窓を開ける。心配そうなシリルと目が合った。
「良いですか、知らない人に声を掛けられてもついて行っては駄目ですよ。それから、知らない人から貰った物は食べても駄目ですからね。あと、はぐれない様に気を付けて下さい。人も結構いますからね。あ、寄り道はしても構いませんが、変なお店に入ってはいけませんよ」
「わ、分かってますって、シリルさん……」
まるで母親の様に様々な注意をしてくるシリル。心配性な彼は心配が尽きないらしい。
そんな彼にロゼッタは苦笑した。
「それじゃ、行ってきます」
「ええ、いってらっしゃいませ」
そしてシリルに見送られながら、馬車は離宮を出発したのだった。
馬車は穏やかに揺れながら坂道を下っていく。窓の外を覗けば、森林ばかりが広がっていた。離宮が丘の上にあり、辺りを森林が囲んでいるからだった。
離宮に来る時寝ていたロゼッタは、離宮の外の風景を見るのは初めてである。彼女は窓からぼーっと外を眺めていた。
だが眺めるといっても全て似た様な風景。一見普通の森である。
(……そういえば、村の近くにも小さな森があったわね)
どうやら今日の彼女は、何を見ても村や教会、大切な人達を思い出してしまうらしい。彼女自身も不思議と思う程に。
(ちょっと前の事なのに、もう昔の事みたい……)
村を離れて数週間しか経っていないが、彼女の中では遠い昔の様に懐かしい記憶になっていた。
村の近くの森では様々な薬草や木の実、茸が採れる。毎年育ての親であるシスターや弟、妹達と一緒に収穫したものだ。
(途中でリーノが転んで、泣いちゃって……それからアンセルが迷子になって、シスターに怒られて……)
今でも昨日の様に思い出せる。懐古の念と共に。
だが、今の彼女には過去の記憶など儚い物でしかなかった。今では良い思いで、と笑って言う事は出来ないだろう。
戻りたい、という気持ちは未だ彼女を縛っているのだから。
(戻れないって分かってるのにね……)
頭では勿論分かっている。戻れない事も、戻ってはいけない事も。自分が魔族だと知った今では、村の人の反応が怖かった。それに、迷惑を掛けてしまうかもしれない。
しかし、ロゼッタは気持ちを押し殺せるわけもないのだ。
(4/25)
prev | next
しおりを挟む
[
戻る]