10
「……それじゃ、今日はこれ位で終わろうか」
どれ位の時が経っただろうか。いつの間にか時間は過ぎ去り、本日の講義も終わりに近付いていた。
本を閉じながら終わりを告げたノアの言葉に、ロゼッタははっとした。いつの間にか考え事をしていたせいで、後半はあまり真剣には聞いていなかったのだ。
「そ、そうね……」
後半あまり集中していなかった事を気取られぬ様に、ロゼッタは精一杯装うとした。折角ノアが講義をしてくれたのだから、悪いと思ったからである。
「明日は……もう少し深い話もするから」
「ええ」
欠伸混じりで片付けを始めるノア。髪の毛のせいで表情は読み辛いが、どうやら気付いていないらしい。ロゼッタはほっと胸を撫で下ろした。
だが、だからと言ってこれで良いわけがないと彼女は思っている。少なくとも、ノアを諌めるべきだと感じていた。
勿論、言い辛い事ではある。特にアルブレヒトを前にしてでは。
「……アル」
「うむ? 何か?」
既に立ち上がり、ロゼッタの支度を待っていたアルブレヒトは首を傾げた。
「ちょっと先に広間に行ってて。すぐに追い付くから」
ならばアルブレヒトを前にしなければ良い、と彼女は結論を出した。今アルブレヒトに出て行ってもらえば、確実にノアと二人になれる。そう思ったからだ。
「……うむ、分かった」
少し不思議に思った様であったが、アルブレヒトは頷いた。ロゼッタの言う事は第一に考えるので、そこは予測出来ていたのだ。
先に広間へ行っている、と彼は告げると書斎を後にした。
「……何か、僕に用かな? 姫様」
何か用があると薄々勘付いていたのだろう。ノアはティーポットから冷めた紅茶をカップに注ぐと、ロゼッタが話を切り出すよりも先に言葉を発した。
それならば話は早い。ロゼッタは意を決して、ノアを振り向いた。彼女にしては真面目な話なので、少しは緊張がある。だが、ここで引き下がるわけにもいかなかった。
「……アルが魔術を使えないって、知ってるわよね?」
「勿論。付き合いだけは長いからね、僕ら」
冷たくなった紅茶を啜り、ノアはそう答えた。
それはロゼッタも十分知っている。ノアとアルブレヒトは兄弟の様に仲が良い事も。だからこそ、分からない事でもあるのだ。
「なら、授業で何であんな例えをだしたの? アルは魔術が使えない事、気にしてるのに」
「勿論、それも知ってるよ」
彼は平然と言い放った。当然、と言わんばかりに。そんな微塵も気にしていない様な彼の態度に、ロゼッタは下唇を噛んだ。
少なくともアルブレヒトはノアの事を兄の様に慕っている。だが、アルブレヒトに対するノアの態度には目を見張るものがあった。
「なら、何で……?!」
「何でって……真実だろう、それは」
「し、真実って……だからって」
ロゼッタの言葉が止まった。いや、止められたと言った方が正しいだろう。
ノアの白い人差し指が、ロゼッタの顔の前に出されたと思った瞬間、それが彼女の唇に触れた。ひんやりした冷たい指だった。
「……誤解している様だから先に言っておくけど、僕は弟が憎くて言ってるわけじゃない」
さも愉しそうに彼は呟く。顔面で唯一見えている口元は、珍しく少しだけ弧を描いていた。
「なら、何?」
だがロゼッタの怪訝な表情は収まらない。これで誤魔化されては堪らない、と彼女は食らいつく様に彼を睨んだ。
「……少なくとも、魔術が使えれば幸せとは限らないよ。僕は幸せじゃない」
不幸そうにも見えないが、ノアはそうきっぱりと言った。確かに魔術が使えれば幸せとは限らないという事は、満足に魔術は使えないがロゼッタも分かる。
何故なら、村で暮らしていた時も幸せだったからだ。魔術なんて便利なものはなかったが、それでも人は幸せに生きられる事を彼女は知っている。
「……弟は、気にし過ぎなんだよ」
「そりゃ、そうだけど……」
彼女もそれは思っていた。カシーシルでもアルブレヒトは少しだけ落ち込んだ様な表情を見せていた。
それに対して、ロゼッタも気にし過ぎだと言った記憶がある。
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