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「……例えば、騎士長が姫様にとても重い百冊の本を運ぶから手伝って、と頼んだとするでしょ?」
突然ノアは何を言い出したかと思えば、どうやら例え話を持ってきたらしい。
ロゼッタは頭の中で、ノアの言葉を想像してみた。あまり有り得なさそうな話だが、例え話なので彼女は必死に想像した。
「無償だったら、嫌だよね?」
「そ、そうね」
リカードと仲が悪いというのは置いておいて、確かに本を百冊運ぶという労働を考えれば、何も無いっていうのは嫌だろう。特に、相手がリカードならば。
「でも、とっても美味しいケーキを1ホールくれるって言ったら、喜んで手伝うよね?」
「ま、まぁ……確かにそれならしても良いかも」
実際なら有り得ない話だが、今はそんな事どうでも良い。確かに報酬が貰えるならば、ロゼッタは喜んで手伝うだろう。
すると、これが魔術の仕組みだと、とノアは呟いた。
「騎士長が魔術使役者、姫様が精霊、ケーキが魔力に置き換えると、魔術はこんな感じ。精霊は魔力を術者に貰って、代わりに魔術という恩恵を授ける。これが魔術の仕組みだよ。そんなにややこしいものじゃない」
「成る程……」
ロゼッタは納得した様に頷いた。
今の例え話を魔術に置き換えてみると、確かにロゼッタにも分かり易かった。難しい単語を彼はあまり使わないので、ロゼッタの頭でも充分ついて行く事が出来るのだ。
「……仕組みについて分かったところで、魔力について話を戻そうか」
そう言って、机の上に置いてあったカップの紅茶を、彼は一口飲んだ。その横には、地下室にあった彼愛用の少し大きめのティーポット。どうやら持参してきたらしい。
既にカップの中の琥珀色の紅茶は冷え、湯気も立っていなかった。だが、喉を潤すのには丁度良いらしい。気にせずノアは飲んでいた。
「魔力は生まれ付き持ってるって言ったよね? その容量にも個人差があって……」
しばしノアは何かを考え、指で摘んでいた白墨を黒板の上で走らせ始めた。カツッカツッと、両者がぶつかり合う小気味の良い音が室内に響く。
ノアが黒板に描いたのは小さなティーカップと、多分バケツと思われる大きめの器。更に、歪んでいるが棒の様なスプーン。
「……仮に弟の魔力がスプーン一杯程、姫様がティーカップ程、僕がバケツ分の魔力を生れ付き有していたとする」
本当の事なのか、ただの例え話なのかは分からないが、ノアは例え話として話を進める。
ノアとて、アルブレヒトが魔術を使えない事は知っている筈。それなのにこうした例えを出すのは、若干彼は考え無しだ、とロゼッタは思えた。
だが、アルブレヒトは何かを言う事はなかった。いつもと変わらない無表情で、ノアを見上げていた。
「……これは一生変動する事はないよ。器は変わらないし、器以上の魔力は得られない。バケツやカップにそれ以上の水を足しても、零れるだけでしょ?」
ロゼッタはノアの話に頷いた。彼の言いたい事は何となく分かる。
魔力を水に例えると、ティーカップ程の器しか持たないロゼッタはその分の水しか持てない。ティーカップにそれ以上の水は注げないからだ。
しかし、これは例えである。実際ロゼッタにどれ位の器があるかは、まだ分からないのだ。
「ちなみに、魔術が使える人と使えない人の差は魔力の差。弟は生れ付き微量の魔力しか持っていないから、精霊に捧げる分もない。だから魔術が使えないんだ」
魔術は魔力を引き替えに精霊に力を借りる術。精霊に渡す分すら無いから、アルブレヒトは魔術が使えないという。
ノアの言葉は一見、アルブレヒトに残酷の様に見えた。それは傷を抉る様な行為でしかない。
正直ロゼッタは迷っていた。彼に注意をすべきなのか。だが、そんな事をしてしまえば、下手すれば今度は彼女がアルブレヒトの傷を抉りかねない。
「……質問は何かある?」
「……いいえ、ないわ」
しかし、結局彼女は講義の最後までそれを口に出す事はなかった。ただ、自分の手でアルブレヒトを傷付けてしまう事を恐れての事であった。
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