7
「なら、実力があれば偉くなれるの……?」
元々平民のリーンハルト。そんな彼が実力で軍師の地位を得たならば、誰だって実力があれば地位を得られる事になる。
だがシリルは、多分そうですね、と言葉を濁した。はっきりとはせず、曖昧であったのだ。
「身元がはっきりしてた方が、出世はしますよ……」
「え?」
シリルのはっきりしない表現に、ロゼッタは首を傾げた。身元のはっきりしない人などいるのだろうか、と思ったからだ。
少なくとも、アスペラルは戸籍も有り、役所はしっかりと機能している。辺鄙な村の人でも戸籍はあると聞いた事もあった。
「……たまに、生まれがアスペラルではない民もいます」
「私みたいに……?」
それとはちょっと違います、とシリルは弱々しく笑った。彼はその先を言うべきか、躊躇っている様にも見える。
しかし業を煮やしたのか、アルブレヒトが突然口を開いた。
「奴隷として、人間の国に連れていかれた魔族の間に生まれた子供。人間の国にも、アスペラルにも戸籍ない」
「え……?」
面を食らった様に、ロゼッタは固まった。水色の瞳を見開いて、アルブレヒトを凝視していた。
シリルは何とも言えない様な苦々しい表情を浮かべていたが、アルブレヒトは気にする事なく、話を更に淡々と続けた。
「人間の国で、裏では魔族は高く売れる」
「……」
ロゼッタの口からは、既に言葉が出てこなかった。いや、どんな言葉を出したら良いか分からなかったのだ。
ずっと辺鄙な村で暮らしていたロゼッタには知らなかった事。シスターから教えられた事もない。もしかしたら、あえて大人達は教えなかったのかもしれない。
あまりに歪んだ内情に、ロゼッタは苦虫を噛み潰した様な表情をした。聞いていて、愉快な話などではなかった。
だが、それでも知らなければならない事だと、ロゼッタは確信した。
「どうして……?」
「……用途は様々です」
意を決したのか、ロゼッタの疑問にはシリルが答えた。彼とて、気持ち良い気分ではないだろう。
「貴族の観賞や愛玩、それから見世物小屋、労働用の奴隷……少なくとも、決して良い環境ではありません」
同胞を悼み、シリルは今まで見た事ない程、苦痛に表情を歪ませる。心優しい彼の事だ、同胞の事を心から嘆き悲しんでいるに違いない。
ロゼッタはちらりとアルブレヒトを見た。彼はいつもの無表情で、どんな事を感じているのか分からなかった。
「たまに、その奴隷同士の間に生まれた子供がいます。それのほとんどが、出生が人間の国になります。魔族には変わりありませんが、人間の国では戸籍は得られず……アスペラルに戻って来れても、戸籍は無いです。正式な手続きを踏めば、得られますけどね」
ですが色々と難しいです、とシリルは困った様に言う。
それはロゼッタにも想像がつく。彼女も魔族だが、人間の国でずっと生きてきた。なのに突然アスペラルでの生活を始めても、文化も生活様式も違うので、戸惑いを隠せない部分も多々ある。
「……やはり、世間的な目もあります。魔族でも生まれが人間の国というだけで、白い目で見られる事もないわけではありません」
「そう……」
軽い気持ちで聞いた筈の疑問だったが、いつの間にか室内の空気はどんよりと重いものになっていた。
「すみません、暗い話になってしまって……でも、陛下はそれについて尽力なさっています。救出すべく、アスペラルでも色々動きがありますから」
フォローを入れつつ、場の空気を和ませようとするシリル。うむ、とロゼッタの横ではアルブレヒトが何度も頷いていた。
するとシリルは胸ポケットから銀色の懐中時計を取り出した。短針と長針は共に、文字盤の一番上の数字を丁度を指し、お昼頃を訴えていた。
「そろそろお昼頃ですね……」
「え? もうそんなに経ったの?」
懐中時計の蓋を閉め、シリルは苦笑して呟いた。あまり時間が経っていないと思っていたが、真面目な話をしていたら随分経っていたらしい。
シリルは手元に置いていた本をゆっくりと閉じた。
「さ、ロゼッタ様、そろそろ昼食に致しましょう。午後からはノアの授業もありますからね」
「そうね、そろそろご飯を食べて、次の用意をしなきゃ」
午前のシリルの授業はこうして一端終了となった。といっても、彼女には午後の授業も待っている。とうとう今日はノアの初の講義であった。
少しだけ不安に思いつつも、ロゼッタは道具を仕舞い、広間へ昼食を食べに向かったのであった。
(7/13)
prev | next
しおりを挟む
[
戻る]