アスペラル | ナノ
20


 しばしば経った頃の広間……
 そこには未だ一同の姿があった。だが、アルブレヒトは席から立ち、酔い潰れたロゼッタを背負っていた。

「ロゼッタ様、お部屋にお連れする。自分も部屋戻る」

「ええ、お願いしますアルブレヒト」

 お休みなさい、と軽く会釈したアルブレヒトは、そのまま彼女を背負って広間を出ていった。

 事の顛末はこうだ。
 リーンハルトからの勧めを断ったロゼッタだったが、今日のメインにはワインが、更にはデザートにもリキュールが使われていた。近くにはワインを飲む大人達、鼻腔も充分刺激されていた。
 そして、一番予想外だったのが彼女自身酒が弱いという事である。

 つまり、匂いと料理に使われていた少量で酔い、撃沈したのであった。

「まさか、これで酔うとは……明日、料理人に伝えておきます」

 苦笑しながらシリルは言う。料理に使用する酒を、出来るだけ抑えて貰う為だろう。

「で、どうすんだ? もうお開きか?」

 食事は既に全員が終えている。残ったシリル、リーンハルト、リカード、ノアの四人は静かにグラスを傾けていた。特にする事がないなら部屋に戻って寝たい、とリカードはぼやく。
 だが、それをさせる気は微塵もない男が一人いた。リーンハルトだ。

「えー、一緒にもっと飲もー」

「黙れ酔っ払い!」

 リカードの腰に縋り付き、離そうとはしなかった。叩いて剥がそうとするが、リーンハルトも体格は良い方なのでなかなか離れない。
 すると、それを見ながらワインを一口飲んでいたノアは、グラスを口から離し、珍しく言葉を発したのだった。

「……軍師、僕達に話でもあるの?」

 何を考えているのか分からない深緑の瞳を、ノアは一直線にリーンハルトに投げ掛ける。だが、今まで酔っ払いの様に騒いでいたリーンハルトの動きが止まった。
 え、とリカードもシリルも驚いた様な表情を浮かべている。

「……姫様は聞かなくていいの?」

 大切な話ならば、彼女を通す必要がある場合もあるだろう。特に王からならば。しかしリーンハルトは椅子に座り直すと、頭を横に振った。

「逆、ロゼッタお嬢さんには聞かせなくて良い話。ちなみに、楽しくもないかな」

 やっぱりね、とノアは呟いた。彼は土産にワインがある時から、薄々感付いていた。王がロゼッタにプレゼントを渡すならまだしも、部下の自分達にもあるのが妙に引っ掛かったのだ。
 今のところ面白くない話なら、二種類予想出来る。例えどちらでも、ノアは面倒臭いとしか言い様がない。

「面白くない話……後継者争いか? それとも、戦争の方か?」

「皆察しが良いねー」

 どうやらリカードもシリルも、ノアと同様の事を考えていたらしい。彼らが関与するという話といえば、これ位だと思ったのだろう。
 すると、リーンハルトは残念、両方だよ、と笑った。彼はまず聞きたい方を選んでと言うが、正直どちらも聞きたい話ではない。

「さて、子供はもうお眠の時間……こっからは、大人らしい話といこうか」

 先程まで酔っていたのが嘘の様に、リーンハルトは不敵に口角を上げる。多分、酔っていたのは半分は演技だったに違いない。あちらも素では間違いないが、こちらの側面も彼の本性であった。
 つまり、軍師としてのリーンハルトである。

「……軍師がそう言うと、卑猥に聞こえるよねー」

「初っ端から話の腰を折るな、ノア」

 頬杖をつきながら冷笑を浮かべているノア。いつもは痴漢紛いの事を言い放つリーンハルトだが、今のはそう言うつもりはない。あくまで真面目であった。
 すると、ノアは口元に人差し指を立てる。それは静かにするように促す動作であった。

「どうした……?」

 小声でリカードが聞くが、ノアは黙って天上を見上げている。深緑の瞳は鋭く天上を射抜くが、特段変わった所など見受けられない。
 高い広間の天井からは、灯りが吊るされている。淡い光を放つ灯りには、一匹の蛾がその習性故に辺りを飛び回っていた。

「蛾が、どうかしたのか……?」

 確かにこの時期に蛾が飛んでいるのは珍しい。が、所詮は蛾に詳しいわけではない。珍しい蛾がいるものだ、という認識しかノア以外の彼らにはなかった。
 だが、ノアはあれが蛾に見えるの、と薄笑いを浮かべながら尋ねてくる。

「?」

 わけが分からない、とリカードが理由を聴こうとした瞬間、彼は静かに口を開いた。だが、それは言葉ではない。
 瞬時に冷気が空間内の気温を急激に下げた。

「 冷箭たる氷塊
  我紡ぐは失墜の落款  」

 ノアの口から紡がれたのは、短い詠唱。椅子にもたれながら気だるげに呟いていたが、声は広間に響き渡る。一切の迷いを見せない声音だった。
 すると、空中で氷柱が姿を成した。先端が鋭利な氷柱はそのまま一直線に飛び、蛾を音も無く貫く。
 その瞬間、蛾にはあまりにも不釣り合いな獣の悲鳴にも似た金切り声が広間中に響いた。

「?!」

 あまりの不快な音に、ノア以外の人物は皆表情をしかめた。
 その後、蛾は羽の一片も鱗粉も遺す事なく、黒い霧状となってその場から消えたのだった。

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