13

 事が起こったのは四日目だった。
 ラシャ畑から荷を積み、出荷場へ向かう途中だった。
 荷車を引いていたラウーが急に道を外れようとした。
 ラシャといっしょに揺られていた三人は大きく動いた荷車から危うく振り落とされそうになった。
「どうしたの?」
 手綱を握る主人マリネールがなだめようとしたが、やがてラウーは立ち止まった。
 がくん……と荷台が大きく揺れる。
 惰性で進んだ荷車は危うく転倒しそうになったがなんとか止まった。
 前方の道の土が徐々に黒く染まる。
 それがみるみるざわざわと集まった。
 ラクティとシンは剣の柄を握り、荷車から飛び降りた。
「あなたはマリネールをお願いします」
 マールの肩を叩いて言うと、パージルも続いた。
 マールはぽかんと口を開けていたが、パージルの言葉にはじかれたように大きく頷くと、荷台から軽やかな身のこなしで座席へ移動し、わなわなと震えているマリネールの隣に座った。
 三人は、二人の乗る荷車といくつかの塊に集約しつつある黒い砂との間に立った。
「来やがれ、<黒髪>!」
 ラクティが剣を抜いてかまえる。
「あんまり煽るなよ、ラクティ」
 ラクティよりやや落ち着いた風に、シンがそれにならった。
 その一歩後ろで、パージルはいつでもマギアのパラブラスを詠唱できるように身構えた。
 黒い砂は今やすっかり犬――あるいは狼のようなカタチにまとまり、三頭になって各々がぶるぶると体を振るわせていた。
「<影こすり>か」
「油断するなよ、ラクティ」
 シンが言うと、<影こすり>の後ろ側に残っていた黒い砂がみるみる盛り上がり、やがて三人と同じ高さになった。
 流れるような動きでそれはカタチを変えた。
「ヒトガタ!」
 真っ黒な砂の中から現れたのは、黒い髪を短く揃え、美しい品のある顔立ちをたたえた一人の青年だった。
 青年はすっかりその姿を現すと、その細い人差し指を口元にあてて、小さく笑った。
「まさか、こんなところで『奇跡のエスパーディア』に会えるとは思いませんでしたよ」
 低く落ち着いた声で青年はいった。
 年齢は恐らく、シンたちよりも少し若いだろう。
 三人は少し面食らった。
 相手がシンを知っていたことにも驚いたが、<黒髪の使者>が人間の言葉をしゃべるとは思ってもみなかったのだ。
 もっとも、ほんの少し前までたくさんいたヒトガタと呼ばれる黒髪たちは、人間と何も変わらなかったので、言葉をしゃべってもおかしくないのだが、少なくともシンたちは生まれてこのかた、出会ったことがなかったのだ。
 なんとか落ち着こうとして、三人は同時に息を吸った。
「お前か、最近、ここらを荒らしてたのは」
 剣を握り直してラクティが問うた。
 その剣から、獣がうなるような、大きな虫の羽音のような低く連続した音が聞こえ、切っ先が青白く光った。
 ラクティの後ろで、パージルがパラブラスを詠唱し始めたのだ。
  今や魔剣として機能しはじめたラクティの剣を見て、忌々しそうに眉を寄せてから、男は静かに瞳を伏せた。
「失礼ですねえ。少し人探しをしていたんですよ」
「お前は人を捜すのに、誰彼構わず怪我をさせるのか?」
 静かに……ラクティたちに厭味を言う時と同じ調子でシンが言った。
「ご存知でしょう。それが我々のやり方です」
 青年が軽く手を振ると、青年の前に静かに座っていた<影こすり>たちが同時に気持ちの悪い唸り声を上げて三人に飛びかかった。
 一番早く、シンの剣が空を薙いだ。
 風を切る小気味の良い音がして、次に酷く耳障りな悲鳴が聞こえた。
 二頭の<影こすり>が、どう……と地面に倒れて、一瞬にしてもとの茶色い砂に戻った。
 遅れて飛びかかって来た一頭は、ラクティの剣に倒された。
「ほう。マギアの加護なしにねえ。噂通りですねえ、『奇跡のエスパーディア』」
「大人しく、ついて来いと言っても無駄なのだろう?」
「そうですねえ。ここには探し人はいないようですし、なにより、貴方が現れてしまいましたので」
 言って男はカタチを崩しはじめた。
「待て!」
 叫ぶと同時にシンは飛び出そうとした。
 一瞬早く、男の手が空を切り、強い閃光がシンの横を通り抜ける。
「しまった!」
 不適に笑う男の顔を見て、シンは慌てて振り返った。
 その閃光が向かったであろう、マリネールとマールの乗る荷車のほうを。



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