AtoZ−高校1年時代 2ー
「ごんべちゃん、白鳥沢行ったんだ」
なんか、裏切られた気分。
声をかけられて振り返ると及川がいた。
まぁ、金田一と国見ちゃんから聞いてたけど、と肩をすくませて近づいてくる先輩は、ずっと大きくなっていた。
「……ギリギリまで、飛雄君と一緒の高校のつもりでした」
「だよね。アイツが独裁の王様になっちゃったの、半分は君のせいだし。お陰で昨日は苦労させられたよ」
「!」
「……信頼、ってものを持ち始めてた。君にしか持ってなかったものを、チームメイトに」
及川が何故それを教えてくれたのかは分からない。
だが、嬉しくて思わず目が潤む。
鼻がツーン、と熱くなって、涙が零れそうになるが、耐える。
泣くのは、影山の前だけだと、決めたから。
なんでそこで泣きそうになるのさ、君ってほんっと…変わらないね、とポンポン、と頭を撫でられた。
「………私は、飛雄君にとって邪魔だったんだと、痛感しました」
「あら。そういう事言っちゃうんだ。じゃー及川さんが慰めてあげよう」
「いりません。及川先輩に付き合うと女の人が怖いので」
「ガーン!ショック!………でもま、君のそういうところ、悪い癖」
飛雄に似て、自分一人でなんとかしようとするのは駄目だよ。
そう言って去っていく背を見送る。
ドリンク作ろう。
良かった、ちゃんとチームメイトと今度こそ仲間になれてるんだと、安心した。
離れて良かった、そう本当に思った。
東京合宿に参加する、前にテストで赤点を取った。
補習。
新しくマネージャーになった谷地仁花と月島に教わりながら机代わりの椅子にかじりつく。
何か知ってる漢字があれば少しは覚えやすいのに、と知っている漢字に関連する四文字熟語を言っている時だった。
「日進月歩!」「君たちの学力は一向に進歩しないけど」「ぐぬぅ…」
「愛及屋烏」
「あいきゅう…おくう?」
「いやーカラスって入っててさ、思わず目に着いて。意外と烏が入ってる四文字熟語って恋愛系多いよな」
「へーー!どういう意味なんですか菅原さん!」
「溺愛、って意味。その人が好きなあまり、その好きな人の家の屋根にとまる烏さえも愛おしく感じる、って言うね」
「うおお……」
「なんか、恥ずかしいっスね、ソレ。でも俺も潔子さんの家の烏なら…!」
「田中ぁ……でもさ。そこまで好きな人に会えたら、なんか幸せなことだよな、それって」
そんなことを話したのを思い出す。
東京の体育館。
谷地に付き合ってもらい、止まるトスの練習。
かつての先輩からの言葉と、俺にならできるだろうという日向の信頼。
夜風に当たり、軽く休憩を取っていると「影山君、ドリンクどうぞ!」と差し出され、「アザス」と受け取った。
「………谷地さん、アザス」
「ほあ!えっと、いや、あの、私、マネージャーですし!影山君と日向の速攻、見たいし」
「………俺、こういうの当たり前だと思ってた、です」
口下手な、言葉数の少ない影山が会話を続ける。
それに思わず谷地も慌てて振り回していた手を止め、傍らにたたずむ。
影山はじっ、と黒く塗りつぶされた空を眺めているような、そうでもないような、ぼんやりとした様子だった。
「ずっと俺の隣に居て、ずっと俺のこと見てくれる。俺が一人になっても、俺の味方でいてくれるって、思ってました」
「………?」
誰のことを話しているのだろうか。
日向の事かと思ったが、言葉の意味合い的には友達や相棒に対するそれよりも、少し違った感じがした。
夜風に揺れる黒髪がサラサラと、憂いを帯びた影山の顔を掠めている。
「谷地さん、同じ女の人、だから。その…小中、一緒で、結構仲良かった、と思う…そんな奴から高校で別れて全く会わなくなるのって、やっぱその、嫌いになったらそうなるもんスか」
「……それは、その。影山君は小学校中学校と仲良かった女の子と、高校で別れちゃった、と言う話なのでしょうか…?」
「……ッス」
「喧嘩した、とかですか」
「………ちょっと違う。俺が受験で落ちて、あっちは受かって、そのまま。結構、悩んでたっぽいけど」
「別れる前に、話…とかは」
「……俺の為に、って」
ぎゅ、とボトルを握る力がこもるのが、へこんだことで分かる。
それは、その言葉の通りなのかもしれないと谷地は思った。
同じ高校を受験して、影山が落ちてその子が合格。
いい機会、だと思ったのかもしれないと、谷地は思う。
日向と居たら影山は基本的にしゃべらない。
日向の話す言葉に便乗したり、同意したり、否定したり。
コミュニケーションを取るのが苦手なのだろう、と思う。
「もしかしてその女の子は影山君の代わりに話したりとかしてくれたり?」
「……谷地さん、エスパーか?」
「影山君…の為。ということは、その、影山君にもっと周りとコミュニケーションを取ってほしかったのかもしれません。かわいい子には旅をさせよ、みたいな。だから影山君の事嫌いになったわけじゃないと、思います」
「…俺はかわいくないっス」
「ことわざです!」
大切だからこそわざと手元から追い出して、いろんな経験をさせて成長を図るって言う。
その言葉を聞いて、影山はまた空を見る。
なんかそんなことを言っていたような気もする、と呟いた言葉に、やっぱりか、と谷地は心の中で思った。
「でも俺は、一緒に居たかった……今も、会いたくてたまらねぇ。俺の知らない所で、泣いてそうだから」
「影山君……」
「菅原さんに教えてもらった四文字熟語。俺はやっぱり意味わからなかった」
立ち上がった影山は、腰を落として体育館脇にドリンクボトルを置く。
「俺なら、烏でも追い払いたくなる」
そう言うとバレーボールを手に取ってギラリ、とコートを見た。
ボールを上げてからはもう、その話はしなくなった。
ただ珍しく、日向と喧嘩別れした時や普段怖い顔が多い影山が、その誰かの話をするとき、誰かを思っているように空を見上げた顔は、どこか弱く見えた。
宮城県代表決定戦。
ついに、ここまで来たと烏野全員で興奮した。
誰も、烏野の勝利を期待していない。
そんな言葉を聞きながら、影山は周囲を見渡す。
まだ、白鳥沢のバレー部員は誰も来ていなかった。
扉が開いて、歓声が上がる。
貫禄のある姿で白鳥沢のメンバーが体育館へと入ってくる。
そして、その最後。
荷物を肩にかけた、小さな体。
最後に会った時よりも、さらに大人っぽくなっている…ごんべを見た。
「白鳥沢め……チアもいて、マネもいんのかよ……恵まれ過ぎかよ…!!」
「なんかこう、可愛いのに大人しそうな雰囲気と胸がでかいせいか色気もある…そんな感じだな…!アンバランス!良い!」
「あ、おい、影山?!」
田中と西谷が話すのを聞きながら、白鳥沢側へと歩いて行く影山を、思わず日向が呼び止める。
影山はその静止も聞こえないようで、ただ一直線、ごんべの元へと歩んでいく。
影山に気付いて目を見開いた時にはもう近く、目の前。
逃げないようにとしっかり腕を握りしめた影山に、ごんべは何も言えなかった。
「……試合。絶対に俺たちが勝つ……だから、俺のこと見てろ」
「………私、白鳥沢のマネ、だよ?」
「関係ない。その後、話がある」
俺、たち。
その言葉に、ごんべは一瞬だけ泣きそうになる。
影山は掴んだ手を、離し難いように、ゆっくりと指を腕に滑らせて、最後にごんべの指と自分の指をひっかけたそれを名残惜しく離す。
あんなに細かっただろうか、手、小さかっただろうか。
脳裏から消えることのないはずの彼女は、記憶よりも随分と小さかった。
バチン、と頬を叩くと、切り替えたように白鳥沢の方へ目を向けるごんべを見送って背を向ける。
影山も烏野側に戻るともう振り返らなかった。
「おいおいおいおいおい。アレなんだよ!なんで影山君は白鳥沢のマネちゃんとこに行ってんの?!」
「一目惚れかーー!!!??」
「あの影山がーー!?何話してんだろ…オレちょっと!いってきます!!」
「おいおい日向よ!ダメだろ!そういう雰囲気じゃないだろアレは!!」
「………あれ、影山の中学んときのマネなんじゃない?」
「「「え?」」」
「いやほら、前聞いたべ。白鳥沢受験して影山は落ちてマネだけ受かってったって話。北一も強豪だったし、白鳥沢のマネもやっておかしくないだろ」
「ああ……あんときの子か!」
名残惜しそうに手を離してこっちに戻ってくる影山にとびかかる田中と西谷。
青春しやがって!クソー!とちょっかいをかける2年生組を引っ張り上げる、縁下力。
日向は、先輩たちから解放された影山に近づき、「元カノ?」と聞けば「ちげーよ!んなことより、試合に集中しろ!」と怒鳴る。
ウォーミングアップ、影山の上げたトスを高く飛び上がって真下に叩き落とした日向の速攻攻撃に、ごんべは酷く驚いたし、白鳥沢メンバーも驚きの声を上げた。