小説 | ナノ


唇が荒れている。思って伸ばした手が彼の唇に触れた瞬間、驚きで見開かれた目と視線が絡み合う。咄嗟に引っ込めようとしたが、触れた人差し指と中指をぎゅっと掴まれ「なんだよ」と問われた。

「唇が」

荒れている、と声が小さくなった。タミヤ君は益々怪訝な表情で此方を見つめる。どうしよう。何だか悪い事をしてしまったような気持ちになって落ち着かない。掴まれていない方の手でポケットを弄り、薬用のリップクリームを差し出した。

「ああ…悪い」

漸く意味を理解したとばかりに掴んでいた手を離す。それから受け取ったリップクリームを凝視して、ちらりと此方の反応を窺うように目線をくれた。塗らないのかと首を傾げて問えば、珍しく歯切れの悪い言葉を寄越す。

「いや、あのさ」
「うん」
「これ……使っていいのか」

どうして、と更に質問を投げ掛ける。中々意地悪だと内心だけで笑った。恐らく彼は間接キスを気にしての事だろう。たかが間接キスと思うが、中学生の私たちにとって間接キスは一大事でもあった。思春期。大人からすればこの一言で片付けてしまえる事を、立場が当事者であればそう簡単に割りきれる話でもない。子供から大人へ移り変わる微妙なお年頃。面倒臭いよね、思春期って。声に出せばタミヤ君はややムッとした顔でリップクリームを塗り始める。カサカサと荒れた唇にもたらされる艶が、どこか色っぽい。我ながらませた発言だ。しかしこんなませた発言も、女だからと言えば妙な説得力が生まれてしまう。私だって結局は思春期なのに。

「あーあ。これだから女子は苦手なんだよ」

不貞腐れたように唇を尖らせる。半ば意地で塗ってみたはいいものの、馴れないリップクリームの感触にそわそわと落ち着かない様子だ。おざなりに返されたリップクリームを再びポケットへとしまう。

「私だって、男の子はあまり好きじゃないわ。下品で乱暴で、汚ならしいもの」
「はあ?随分な言い種だな。それなら何で、」
「タミヤ君は特別だからよ」

タミヤ君は他の男の子と違うもの。根拠なんてなかった。私はタミヤ君が好き。ただそれだけ。タミヤ君は格好いいし頼りがいがあって、他の男の子より汚くない。綺麗でもないけど嫌悪感を抱かせない。所詮は感情論だ。何の気なしに伝えた言葉を彼は再び怪訝な表情で受け止める。明後日の方向を向いてガシガシと頭を掻き、唇を開いたり閉じたり。

「俺は、特別にお前が苦手」
「……傷つくわ」
「いやだってさ、嫌いとかそーいう訳じゃないけど」

けど、なに?上目遣いで続きを催促する。あくまで素知らぬ振りを続けるが、彼の言動が照れ臭さからきている事も気づいていた。別に特別なら何だって良いのだ。好きでも嫌いでも、特別なら良い。無関心ほど怖いものもないから。そっと腰掛けたコンクリートは予想以上に冷たくて、スカートの薄い布1枚では到底この冷たさを緩和出来る筈もなかった。座った手前すぐに立ち上がるのも不自然だし、何より恥ずかしい。つまらないプライドだが、ここは自他ともに認める難儀な性格。両手をお尻とコンクリートの間に差し込んでどうにか誤魔化す。

「観てるテレビとか、好きなものも違うし。何話したらいいかわかんねえよ」
「学校も違うわね」
「……お前の親は、お前がこうやって螢光中の男子と会ってたりするの嫌がるだろ」
「両親は…関係ないわ。別に悪い事をしている訳じゃないもの」

後ろめたさはあるが、それは螢光町や進学校ではない男子校の生徒という理由によって根付いた悪いイメージがあるせいだ。タミヤ君を知れば、私の両親だってきっと彼を気に入るに違いない。だけど悲しいかな。私とタミヤ君はお付き合いをしている訳でも、両親に紹介するという親しい間柄でもない。私がタミヤ君に一目惚れして、勝手に付き纏っているだけで。寧ろ疎まれるべきは彼でなく私なのだ。

「お前が構わないならいいけど、あんまり心配掛けるような事はするなよ」
「何よ偉そうに。さっきは間接キスがどうって狼狽えてたくせに」
「可愛げねえな」
「……そんな可愛げない女と話も合わないのによく付き合ってくれるよね、タミヤ君」

今度は私が不貞腐れたように返せば、バツが悪いとばかりに目を逸らされる。意味がどうであれ彼の中で私という存在が特別なのは恐らく自惚れでない筈だ。その証拠にほら、彼の耳が赤くなっている。私を満たしてくれる素直な反応。嬉しくなって突き出した唇が緩やかに笑みを作る。

「何笑ってんだよ、気持ちわりぃ」
「タミヤ君こそ酷い言い種ね。でもいいわ、今は気分が良いから」

地面に到達せず、ぶら下がっていた足を嬉々として動かす。その弾みで捲れ上がるスカート、感じる横からの視線。敢えて気づかぬ振りをしてスカートはそのまま。馴れない感覚だ。性的対象として見られる事への圧倒的な違和感。こそばゆい。しかし嫌悪感はなかった。相手がタミヤ君であるが故に。

「……私はタミヤ君と一緒にいられるだけで楽しいの」

横目で窺えば、男臭いのにあどけなさが残るアンバランスなタミヤ君の顔にはうっすらと熱が帯びている。手を握ってくれないかな。タミヤ君とならキスをしたっていいのに。期待したところで彼は微動だにしない。ただ己の内で湧き上がる欲望に悶々としているだけ。この場で上手く消化する方法もなく、捌け口はいつだって別なのだ。あーあ。思春期って面倒だよね。これがテレビドラマの世界だったら、きっと私はタミヤ君と物理的な距離を縮めて今頃頬を染めていられたのに。


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