小説 | ナノ


 私にはとっても可愛くて器用な友達がいる。その子は雷ちゃんと言って、螢光中に通う女の子だ。学校の友達は雷ちゃんをオカマだ気持ち悪いとか、螢光中の男子だから関わらない方がいいなんて言うけれど。雷ちゃんの魅力は雷ちゃんと仲良くならなきゃきっとわかりっこないのである。雷ちゃんはお裁縫もお化粧も得意で、優しくてとにかく可愛い。身体は確かに男の子かもしれないけれど、中身はそこら辺の女の子よりもずっとずっと甘くて柔らかい何かで形成されている。誰が何と言おうと、雷ちゃんは立派な女の子だ。



「お邪魔しまーす」
「お構い無くー」

恒例の会話を終えて、2人顔を見合わせながらクスクスと笑い合う。螢光町の外れにあるこのアパートは私とお母さんの2人で暮らしている。母子家庭である為お母さんは夜遅くまで仕事をしており、だいたいが日付が変わる直前に帰ってくる。以前雷ちゃんと遊んでいる時、私が1人でいるのは寂しいと呟いた。そんな私を心配してか、雷ちゃんは時々こうして私の家で過ごしてくれる。雷ちゃんと過ごす夜は寂しさを感じる事もなく、ただ楽しい時間だけが流れていく。自動販売機で購入してきたコーラを互いのコップへ半分ずつ注いで。卓袱台に化粧道具を広げて。昨日のドラマについてだったり、人気のアイドルや流行りの化粧について語り尽くすのだ。

「あら、名前ったらそこ解れてるわよ」
「え?」

そう言うと雷ちゃんの細くて白い指が私の制服の裾を摘まむ。僅かではあるが糸が解れており、このまま放っておけばより悪化してしまうかもしれない。

「仕方ないわね、私が縫ってあげるから脱いでちょうだい」
「本当!ありがとう!」

雷ちゃんからの申し出に嬉々として制服を脱いだ。その様子を驚愕した様子で凝視した後、何故か頬をほんのりと赤く染めた雷ちゃんが声を荒げる 。

「ちょ、ちょっと!何してるのよあんた!」
「何って…雷ちゃんが脱いでって言ったんじゃない」
「脱いでとは言ったけど、私の目の前で脱げなんて言ってないわよ!仮にも女の子なんだから、もっと恥じらいを持ちなさいよ!」
「仮にもは余計だよ……。それに照れる事なんてないじゃない。私と雷ちゃんは女の子同士だもの」

私の言葉に再び目を見開く。大きな瞳に長い睫毛。小振りで形の綺麗なお鼻。ほんのり赤く塗られた赤い唇と、爪を彩る赤。雷ちゃんは本当にお洒落で可愛い女の子である。

「そりゃあ……そうだけど。女は恥じらいを持つべきなのよ」

何となく腑に落ちないといった様子で嘆息を漏らす。一応頷けば「素直でよろしいわ」と頬をつつかれた。脱いだセーラー服を掴むと、雷ちゃんは鞄からお裁縫セットを取り出す。糸と針。器用に糸を通してチクチク、チクチク。まるで手品でもしているかのように。雷ちゃんの手は綺麗に解れを直していく。

「本当に凄いね、雷ちゃんの縫い物」
「当然よ!お裁縫はゼラのお墨付きだもの!」
「……ぜら?」
「あら…何でもないわ。今のは忘れてちょうだい」

何故か歯切れの悪い返答に首を傾げる。しかし、いくら仲が良くても雷ちゃんにだって答えなくない事柄もある筈だ。もしかしたら彼氏が出来たのかもしれない。正直恋のお話は大好きなのでそれなら教えて欲しいと思うが、雷ちゃんが話してくれるまでは追求すべきでないのだろう。

「出来たわ。またどこか解れたら私が縫ってあげるからね」
「ありがとう!お母さんもね、雷ちゃんの事はいつも褒めてるの。お裁縫も上手で良い子ねって!」
「ふふ、ありがとう」

花の綻ぶような笑顔とはこういう事だろう。嬉しくって益々口元が緩んでしまう。

「名前、そろそろ……何か着たら?」
「ああ、うん。でも暑いし面倒臭いな」
「もう〜」
「だってブラジャーつけていると蒸れちゃうのよ、まだ必要ないと思うのにお母さんったら形が崩れるって眠る時しか外すのを許してくれないし」

言い終わってから失言だと後悔した。雷ちゃんはどんなに可愛くて中身が女の子でも、身体は男の子である。だから成長とともに胸が膨らむ事もなければブラジャーをつける事もこれから先ないのだ。顔に出ていたせいか。雷ちゃんは眉尻を下げて優しく微笑む。

「気にしなくていいのよ。胸はないけど、でも私はそんじゃそこらの女の子よりずうっと可愛いもの」
「そうだよね!雷ちゃんは本当に可愛いものね!」
「そうよ。名前だって私には負けるけど可愛いじゃない。目が桃子に似てる!」
「桃子ちゃんみたいに可愛くはなれないけど、とっても嬉しい!」

気分が高揚して思わず雷ちゃんに抱きついた。雷ちゃんの制止の声も聞かずにぎゅうぎゅうと。不意に膝が雷ちゃんの股間に当たってしまい「痛っ」と甲高い声が室内に響いた。慌てて身体を離し「ごめんなさいっ!雷ちゃんごめんね」と咄嗟に雷ちゃんの股間を擦る。お母さんが幼い頃、転んで擦りむいた膝や痣が出来た腕を擦ってくれたように。痛みがどうか少しでも紛れるように。しかし、雷ちゃんは驚愕したように目を剥いて私の右手を掴んだ。

「どこ触ってるのよ!えっち!」
「あ……ごめんなさい。私ってばつい」
「もう〜。ついじゃないわよ。本当に名前は慌てんぼね」

いたたまれない気持ちになって俯く。私の良かれと思って移す行動は、時々こうして人を呆れさせてしまう。

「落ち込まないでいいわよ。名前が慌てんぼなのはもう重々承知しているつもりなんだから」
「雷ちゃん、呆れてる?」
「少しね。でもいいわ。これが名前なんだし」

そう言ってスカートを握り締める私の手に雷ちゃんの手が重ねられる。雷ちゃんは本当に大人で優しくて、私はいつも慰められる立場だ。

「ありがとう、いつも良かれと思ってやった事が失敗しちゃうの」
「だから言ってるじゃない。私は大丈夫だって」
「うん。へへ…安心したら何だかお腹が空いてきちゃった」
「脈略も何もないわね…。何で安心するとお腹が空くのよ」

雷ちゃんの問いに首を傾げて見せる。確か冷蔵庫の中に昨日の残り物である煮物と卵がいくつかあった筈だ。さっそく夕飯に取り掛かろうと立ち上がる。四畳半のリビングから玄関脇のキッチンへと。せっかくならば味噌汁も作ろう。冷蔵庫から食材をいくつか取り出し、鍋に水をはる。そこで、いつもならば率先して手伝ってくれる雷ちゃんが隣に来ない事を疑問に思い、顔だけで振り向く。
雷ちゃんは何やら体育座りをしてじっと何かに耐えているようすだ。

「雷ちゃん?」
「な、なに?」
「どうかしたの?そんな蹲って…。もしかして、お腹痛い?」
「違うわ!で、でもそうね。痛いかもしれない」
「え!大丈夫なの?お腹だから胃薬かな?」

慌てて救急箱を取りに戻れば、雷ちゃんが制止の声を上げる。

「大袈裟よ名前ってば。少し休んでたら落ち着くわ」
「でも…」
「いいから、お腹空いてるんでしょ?早く作っちゃいなさいよ。私も治ったらすぐに手伝うから」

本人が大丈夫と言うならば仕方あるまい。心配ではあるがすごすごとキッチンへ戻る道中、不意に彼の学ランの下、ズボンが膨れている事に気がついた。何故だろう。先程まではあんな膨らみなかった筈なのに。疑問に思いながらもその夜もまたいつも通り夕飯を食べて、9時には雷ちゃんも帰っていった。



「男の子は興奮すると股間が大きくなるらしいの」とまるで内緒話をしているようにコソコソと漏れ聞こえる声。
実際卑猥な内容である事も事実だし、思春期の男の子達を獣だ何だと批難する一方で自分達も性的な事に興味津々なのは同じなのだろう。私も例外ではなかった。違うグループの女の子達だったので、悪趣味だとは思ったが話に加わらずそのまま聞き耳をたてる事にする。

「何それ、気持ち悪いわ」
「勃起って言うんですって。大きくなってズボンが膨らむから、そうなれば一目でわかるみたいよ」
「でも、そうなったら普段困るんじゃないかしら。ずっとその、勃起?してるってバレるでしょう」
「整理現象だし暫くしてたら治まるみたいよ。まあ…或いは精液を出せば戻るみたいだけど」

そこで突如、昨夜の雷ちゃんを思い出す。確かに雷ちゃんのズボンが突然膨らみ、暫くの間動かずにじっとしていた。もしそれが生理的な現象だとすれば、原因は何だろう。私が目の前で脱いだりブラジャーを見せた事か。それとも膝を当ててしまった事による痛みのせいか。いや、可能性としてはその後に間違って擦ってしまった事が1番疑わしい。雷ちゃんがキッチンで隣に立っていた時は膨らみもなくなっていたし、その後もいつも通り過ごせた。ならば私が慌てたり余計な事をして失態を起こさない限り、あの現象はないという事。
頭で理解は出来ても、やはり雷ちゃんの身体は男の子である事に間違いはないのだ。刺激が加われば己の意思とは無関係に股間が反応し、発散する事も出来ず自然に治まるのを待つばかり。悪い事をしたなと思った。でもそれ以上に、雷ちゃんが女の子であると胸を張って言う事に躊躇いを抱きつつある自分の身勝手さに嫌悪が渦を巻いた。




「あらっ久し振りね!名前!」

嬉しそうに手を振りながら此方に駆けてくる雷ちゃんはいつも通りの可憐さで、どこか安堵を覚えた。ぎゅうと私の手に雷ちゃんの手が繋がれて、ぶんぶんと揺すられる。

「暫く見掛けなかったからどうしたのかと思ったわ。お家に行こうとも考えたけど、忙しいのならお邪魔出来ないし…」
「ううん、気にしなくて良かったのに。ちょっと小テストが続いててね。勉強してたの」
「偉いじゃない!なら今日はパーっと語りましょうよ。夜は聖子が出演する番組もあるし」

女の子のように可愛くて、好きな男性アイドルも女性アイドルも同じ気持ちで同じように感じる雷ちゃん。いつも通りだ。この前のたまたま起きた事故であり、私の不注意が招いた結果である。私さえしっかりしていれば、もうあんな事態になる事はない筈。

「今日は果汁100%のオレンジジュースが飲みたいわぁ。お肌にはビタミンが良いって言うし」
「果汁100%か…。自販機では中々見ないよね」
「そうなのよぉ。探してるのに困っちゃう」

相槌を打ちながらも、目線はつい雷ちゃんの股間へと向いてしまう。気づかれぬようもう止めよう。見たら駄目と思えば思うほど意識はそちらに集中してしまい、頭が混乱していく。

「名前ったらどうしたのよ。さっきから目が泳いじゃって」
「えっ……泳いでたかな」
「そうよ!そりゃあもうじゃぶじゃぶ泳いでたわ!……何か悩み事でもあるの?」

雷ちゃんの事で悩んでいる、なんて口が裂けても言えなかった。普段雷ちゃんを可愛い女の子だと公言してきた自分が、たった一度の出来事でやっぱり雷ちゃんは男の子であると確信したなんて、言える筈がない。しかし、例え雷ちゃんが他の男の子と同じように生理的な現象で股間を膨らませていても、自然と気持ち悪いとは思えなかった。雷ちゃんに対して嫌悪感なんてまるでない。ただ私の理解力不足による迷いがあるだけで。雷ちゃんが私を襲うなんて、万が一にもあり得ない。あり得ないのだ。繰り返せば繰り返すほど胸に鋭い痛みが走る。雷ちゃんは女の子、これは胸が痛くない。雷ちゃんにとって私は性的な対象にはなり得ない。これは少し、胸が痛い。どうしてだろう。

「名前?どうしたの、置いていくわよ」
「……雷ちゃん」
「ん?なに?」

にっこりと笑って私の言葉を待つ雷ちゃんはやっぱり凄く可愛い。雷ちゃんの手に触れる。少し驚いたように目を大きくしたが、すぐに握り返してくれる。雷ちゃん、雷ちゃん。2回呼び掛ければはい、はい。って2回返事を返してくれる。

「私は、雷ちゃんが好きみたい」
「何よ今更ァ、私だって名前が好きよ!」
「違うの」
「え?違う?」
「……私も、思春期なんだね」

下唇を噛み締める。雷ちゃんは怪訝な表情で私の名前を紡ぐ。鼻の奥がツンとした。泣いてしまうかもしれない。雷ちゃんが口元を覆う。眉尻は下がって。ああ、困らせているね。雷ちゃんの爪を彩る赤が夕日に反射してキラキラしている。


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