小説 | ナノ


「螢光中の男とだけは関わるな」

 母親からは勿論、友人の親や友人等にもそう聞かされている。何故かと聞けば危険だから治安が悪いから工場の煙が24時間出ていて有害だから、と深くは追求させてくれないが刷り込まれた知識だけは私の中にも顕在していた。
しかしどうしたものか。私の初恋は螢光中に通うタミヤ君であった。現金なもので、螢光中の男子は危ない気持ち悪いと批難するものの、顔の格好いい男子に関してはまるでアイドルのような扱いへと昇格を遂げる。あんなに格好いい男の子が何故螢光中に、と話題に上がれば決まって「親が螢光町で仕事をしているから仕方ないのよ」と深く知りもしない癖に変な理解を生み出す。私も例外ではなく、学校の中でちょくちょく耳にするそのタミヤ君とやらを見に行こうと思い立ち、下校中の彼にまんまと一目惚れした。すらりと逞しい身体つきにすっきりとした目鼻立ち。男臭さとあどけなさが同居するその魅力に、一緒にいた友人とその日は飽きる事なく騒いだのも記憶に新しい。
だが彼に直接声を掛ける者は誰もいなかった。やはりと言うべきか、例えどんな理由があろうとも螢光中へ通う男子と交流を持つなどある種の禁忌である事に間違いはなかったし、単純に男慣れしていない女子が初対面の男子に気軽に声を掛けるなど至難の技であったのだ。

 風呂から上がり、パジャマ姿でラジオのチャンネルを合わせる。今夜は絶大な人気を誇る男性アイドルが出演するとクラスの友人から聞いていたので、例え夜更かししようとも聞かない訳にはいかなかった。軽快な音楽とともに司会の男がアイドルの名を紹介する。次いで低くてやや掠れた甘い声が「こんばんは」と挨拶の言葉を述べた。目を閉じる。司会の男の存在をなるべく払拭し、男性アイドルがあたかも自分の傍にいるという都合の良い妄想に耽るつもりだった。しかし一字一句聞き逃してなるものかという意気込みも忘れてはいない。
ラジオが始まって15分が経過した頃、ファンから届いたハガキを紹介するコーナーへと移っていた。3枚目のハガキを読み上げる司会者。内容は高校生の女子が一目惚れした先輩と仲良くなりたいとう恋愛相談で、少しだけ自分と似た境遇の彼女に共感せざるを得なかった。男性アイドルは背を押す意味合いで「積極的な女の子は魅力的だと思いますよ。こっちから行くまで待ってるんじゃなくて、行動力のある感じ」と告げた。その言葉を聞いた瞬間、何故かタミヤ君もそういう女の子は嫌いじゃないかもしれないと思い至り、翌日の放課後には螢光町へと向かっていた。我ながら中々の大胆さであると呆れたが、何も始まらずただ遠くから見つめて終わる恋なんて古臭いとも思えた。工場から出る黒い煙が途絶える事なく続く光景は不気味で、たった1人で来てしまった事を今更ながら後悔する。やはり帰ろうか。迷いが生じたその時だった。


「タミヤ君待ってよ!」

遠くの方で意中の想い人である彼の名が呼ばれ、心臓を鷲掴みにされるような驚きに小さな悲鳴が漏れ出た。慌てて口元を押さえる。

「早くしろよ!ゼラやニコに怒られちまうぞ!」
「わかってるよ〜」

物陰に隠れて様子を窺う。タミヤ君の他に眼帯をした男の子がまるで泣き出しそうな情けない声を上げて走っていた。見ての通り慌てて何処かへ向かう姿に声を掛ける暇もなく、名残惜しいが今日のところは断念する他なかった。小さくなる背中に思わず俯く。何だか恥ずかしいな。こんな所まで来ちゃって。私、馬鹿みたいだわ。押し寄せる自責の念に唇を噛み締めた。



 それから何時間が経過しただろう。右を見ても左を見ても見知らぬ土地にその場で蹲る。完全に道に迷ってしまった。元々方向音痴であった自分が陽も暮れた知らない町に来てしまった事、それ事態が危険行為だったのである。夜も深まり今が何時なのかさえわからない。父も母も心配しているだろう。凄く怒られてしまうだろう。いや、それ以前に自分は無事に帰れるのだろうか。何か事件や事故にでも巻き込まれて永遠に両親のもとへは帰れないのではないだろうか。渦巻く不安と恐怖で視界が滲む。疲れ果てた足と空腹で余計に思考は暗い方向へと落とされる。

「お母さん、お父さん、よりちゃん、ひろちゃん…………タミヤ君…!」

遂に頬を伝う涙。しゃっくりを上げながら泣きじゃくっていると、誰かのと足音が聞こえてくる。

「誰かいるのか?」

突然響いた低い声にびくりと肩が揺れる。男の人。人が来た事への安堵と男という事への恐怖で返事に迷っていると、再度「おい、大丈夫か」と先程よりも近くで声がした。恐々と顔を上げて振り向く。そこに立っているのは怪訝な表情を携えた学ラン姿の、タミヤ君であった。

「……た、タミヤ君」
「は?」
「あ、ご、ごめんなさい!私っ!」
「何で、俺の名前知ってるんだ?」

明らかに警戒の意味を滲ませた声音に涙を拭くのも忘れて慌てて立ち上がる。何と説明すればいいのだろうか。混乱した頭で必死に言葉を紡ぐ。

「あ、あの、あのね!誤解しないで欲しいのだけど」
「…………」
「そ、その、私は星華女子中に通う名前って言うの!タミヤ君の事を知ってるのはその、何て言うか、タミヤ君…有名だから」
「有名?」

益々意味がわからないといった風に眉根を寄せる彼に白状する他ないと思った。意を決して彼の目を見つめる。スカートを握り締める手に力が込められ、皺になってしまうかもと一抹の不安が頭を過る。

「私の学校でね、螢光中のタミヤ君が格好いいって噂になってて…だから知ってるの」
「……何だそれ」
「ごめんなさい。気持ち悪いわよね、こんなの」

私の言葉に肯定も否定もせず、彼は何かを考えるように視線を宙にさ迷わせている。

「あーあの、騒いでる女子どもか」

何となく思い当たる節があるのか、納得したように呟く。今度は私が肯定も否定も出来ずに押し黙ってしまう。再び目線が絡み合い、彼は未だ疑問とばかりに問い掛けてきた。

「で、何でそのえーと名前なんだっけ」
「私?私は名前よ」
「名前な、お前は何でこんな所で泣いてるんだ?」

至極当然の質問に恥ずかしさで俯く。先程より彼からは呆れの感情しか伝わってこない。出逢いとしては最悪だ。これで道に迷った等と言ってしまえば更に面倒臭いという不名誉な印象まで追加させてしまう事になるだろう。

「……その」
「もしかして、迷子か?」

言い当てられれば頷く他ない。溜め息をつかれて面倒臭いと言われるのか、或いは知らないと突き放されるのか。怖くて顔を上げられずにいた。

「星華女子中ならここから反対側だぜ」
「……え?」
「工場ばかりでわかり難いよな、ここら辺の道。お前の親も心配してるだろうからさっさと行こうぜ」

道案内してくれるの?聞けば「しなくても帰れる自信あるのか」と逆に問われ首を横に振った。それから歩き出すタミヤ君を見失わぬように慌てて後ろをついて行く。数歩先を歩く彼からは埃と鉄錆びとうっすら汗の臭いが混じっていた。

「なあ、名前」
「え、なに?」
「何でお前ここに来たんだ?」

前を先導する自分よりも大きい背中。暫く頭の中であれこれ上手い言葉はないかと引き出しを漁るが、結局素直になる以外の道なんてないような気がした。観念して口を開く。

「タミヤ君と、お話がしたくて」
「……はっ?」

ぐるりと振り向く彼は目を見開き、驚愕と混乱が入り交じる顔で私を見つめた。

「わ、わかってるわ。勝手に見掛けて勝手に騒いで、おまけに勝手に押し掛けてきて話したいだなんて、気持ち悪いし身勝手だと思ってるのよ」
「……………」
「でも、タミヤ君の事知りたかったの。何も知らないまま友達と騒いでるだけじゃなくて、話してタミヤ君がどんな人か知りたくなったの」

話すにつれて自信が無くなり、語尾が弱々しく揺れる。でも本音を伝えて駄目ならこの先はもうないのだし、本来の目的も彼と話す事だったのだから例え嫌われても仕方ないと思えた。

「別に気持ち悪いとは思わねえけどさ…」
「…うん」
「危ないだろ。お前みたいな女子が1人で、こんな暗くなるまで螢光町にいるのはさ」

説教じみた言い草だが、事実なので素直に頷いた。それに心配も滲ませる声音に、不謹慎だが嬉しいとさえ感じる。

「確かに知らない所で噂されてるってのは気持ち悪いしうぜーけど、お前みたいに相手をきちんと知ろうとする気持ちは悪くないと思うぜ」
「……本当?」
「ああ。ありがとうな」

そう言ってお世辞にも気品とは程遠い笑みを浮かべる彼は、今まで見てきたどのアイドルよりもキラキラと輝いているように思えた。頬に熱が集まる。今が暗くて良かった。こんな真っ赤になった顔を見られたらそれこそ羞恥心に耐えられなくなる。

「あの角を曲がったら、そろそろ商店街が見えてくる筈だ」
「え!そうなの!」
「ああ。別に距離としてはそんな離れてなかったけど、お前本当、正反対にいたんだよ」

ずんずん突き進んで角を曲がれば、タミヤ君の言う通り商店街の灯りが見えた。喜びと安堵から自然と顔が綻ぶ。

「本当にありがとう!ここからの道ならわかるわ!」
「……ああ、そうか。気をつけて帰れよ」

何故か歯切れの悪い彼に首を傾げる。彼は小さく口を開いたり閉じたりと暫く悩んだ後、漸くあーと唸り声を上げた。

「お前さ、笑ってる方がいいよ」
「え?」
「だから!泣いてるより……笑ってる方がいいって」

ぶっきらぼうな言い方だが、もしや笑顔を褒められたのではないか。彼の照れ臭そうに頭を掻く仕草を見て、こちらにも照れが伝染する。タミヤ君、遠くから見るよりも直接会って話した方が数倍格好いいし優しかったな。出来ればまた会えたら嬉しい。また話したい。そう思うが今日だって初対面なのに迷惑を掛けてしまった。断られてしまったらどうしよう。寧ろ断られるのが当然なのかもしれない。

「……じゃあ、俺は行くから」
「あ、うん。えと……タミヤ君!」
「ん?何だよ」
「その、また会えるかな?」

諦めきれずに覚悟を決めた。しかし、これ以上の言葉は出なかった。彼の返事を聞くのが怖くて思わず目を瞑る。心臓がドキドキと騒ぎ出し、喉が詰まるような感覚に陥った。

「……まあいいけど。でも危ないからもうこっちには来るなよ」
「え、ほ、本当?本当にまた会ってくれる?」
「ああ。せっかく知り合えたんだしな。でも俺が星華に行く訳にはいけないから、今度は商店街で会おうぜ。そこなら危なくないし」
「うん、うん…!約束よ!」

小指を差し出せば照れ臭そうに絡めてくるタミヤ君は年相応の男子なんだと思えた。曜日と時間を決めて、今度こそ歩き出す彼の背中に手を振り、慌てて駆け出す。父も母も大層心配している筈だ。怒鳴られたり、頬をぶたれてしまうかもしれない。湧き上がる罪悪感と不安に気持ちが沈む一方で、タミヤ君とお近づきになれた喜びもまた大きかった。明日学校に行って親友の2人にだけこっそり話してしまおうか。なんて考えて、だらしなく笑った。


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