小説 | ナノ


 此方を見据える2つの緑。微かに開いた唇。なんて綺麗だろう。ぼんやりと考える。彼が今私に何かを伝えようとしても。私の耳はそれら文字を、言葉を、瞬時に脳で咀嚼したとして、恐らく最後は形を成さないまま沈殿してゆっくりと胃の中へ溶け込むのだろう。悲しいかな。彼自身を私の物にする日は恐らくこの先も訪れはしないだろう。どんなに足掻いてもどんな手段を使っても、私と同じものを与えてくれと望むのは不可能に近い気がしていた。だからこそ私に与えてくれる言葉や仕種、表情、時間。その全てを私は私の中に蓄積させて大切に愛でていたいと思う。私の体内に住むシャルナークという男を形成させる為にも。


「……ねえ、俺の話ちゃんと聞いてた?」
「うん」
「本当に?」
「本当だよ」
「ならまず名前は誰と組んで何処で待機するんだっけ?」
「シャルと、パスタを食べに行きたい」

はああ、なんて私の返答にわざとらしく嘆息を漏らす。本当なら今の二酸化炭素だって丸ごと綺麗に回収してやりたい。私はにこにこと笑って次の言葉を待った。寄せられた眉根。此方に対する苛立ちを隠す気は微塵もないようだ。

「名前が俺の事、馬鹿みたいに大好きなのはわかった。て言うかもう散々わかってる」
「うん。大好きだよ」
「でもさ、今は仕事の話なの。名前だけわかりませんでした。なんて間抜けな状況になったら俺が団長に文句言われるわけ」
「そうだね」
「なら最後にもう1回だけ説明するから、今度はちゃんと聞いてね。んで把握して」

小さく頷いて見せる。それを合図に組んでいた腕をほどき、木製テーブルを指でトントンと叩きながらまた最初から話し出す。うんうん。今度は相槌を打ってあげよう。でもね、本当は昨夜の段階でペアを組む事になってるフィンから連絡があって、待機場所も役割もぜーんぶ聞かされてるんだよ。それでもシャルが私の為に時間を割いて私に話し掛けてくれる事が嬉しいから、私はずっとずっと知らない振りを続ける。1分でも長く。1秒でももっと傍にいたいんだよ。

「この時間帯は警備も手薄で、監視カメラの位置もわかってるから3階1番奥の窓から入って」
「うん」

シャルが少し動く度にさらさらと揺れる金髪。視覚からでもその鮮やかな金色には心惹かれるが、手触りだって申し分ない。それでいてどろどろに蜜が溶け出したような甘ったるい顔も。中身は正反対に苦くて冷静で真っ黒なのも。全部好き。想いを募らせていれば、幼き日の彼がぼんやりと浮かび上がる。深追いせずとも瞬時に蘇る記憶。あの時はこんなに清潔で綺麗じゃなかった。薄汚れてて、孤児特有の異臭も放ってて、生きる事にただひたすら貪欲で。その傍にいた私だって例外ではなかった。醜いだけの存在。あの時の、小さい頃の私の夢はお金持ちの家に生まれて、好きなだけ玩具や服を買い与えられ、危険や空腹とは無縁の生温い贅沢に身を置く事だった。思って、笑う。頬が緩む。向かい側に座るシャルの眉間に皺が寄る。
(だって、おかしいじゃないか)
あの時あの状況で、そんな夢を見れるほど私に外の世界の知識はあっただろうか。それすら覚えていないのに夢だったなんて。記憶を遮断する。少しだけ虚しくなって記憶に闇が広がる。ゆっくりと持ち上げられ、此方に伸びてくる右手。あ、と思った時には思いっきり頬をつねられていた。

「いひゃい」
「痛くないと意味がないからね」
「ご…めん、なひゃい」

パッと離されて参りましたとばかりに降参のポーズ。あれ、それは私がやるべき行動ではなかろうか。

「もう満足したでしょ」
「え」
「名前が俺といたくてわざと知らない振りしてるの、まさか気づいてないとでも?」
「……悪趣味だね」
「お互い様だよ」

がガッと音をたてて椅子を引く。立ち上がる瞬間、微かに香水と汗が入り交じった香りが鼻腔をついた。見上げる形で続きを催促する。

「あんまりにも俺にご執心だから、無下には出来なくってさ。仕事夜からで今は暇だったし。ちょっとくらいなら構ってあげようかなって」

言い訳がましくつらつらと述べられる動機に納得いかず口がへの字になる。それを見たシャルが悪戯に成功した子供のような、どこか邪気のある笑みを浮かべた。

「ネタばらしはいらなかったよ」
「嘘を突き通せと」
「別にメリットなんてないんだから、少しくらい夢見させててよ」
「はは、俺がそんな優しい男に見えるの?」

見えないよ。見えてたらこんなにも好きになる事なんてなかった。声には出さず、内心だけで呟く。だって私に夢を見れた時期なんてなかったじゃない。つい先程の自身の問い掛けに対する答えが脳内を占める。夢なんて不確かなものは嫌いだ。だから目の前の男にも幻想や夢を押し付けるつもりはない。息苦しくなるのも、常に物足りなさを感じるのも、きっと全部偽物。


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