小説 | ナノ


嘘でもいいから、笑っていて。私の傍で。


 ガラス越しに眺めた空は陰鬱として重く、今にも雨が降りだしそうだった。現在の時刻は午後3時を過ぎた辺り。夕飯は何にしようか。ぼんやりと思考を巡らせ、昨晩のやり取りを思い浮かべる。確かハンバーグが食べたいと言っていた気がする。中にトロトロと溶けるチーズの入ったやつ。小さな寝息が、秒針の音とともに鼓膜を震わす。膝にかかる重みと温度が愛おしくて目を細めた。眩しいな。柔らかくてふわふわとした髪の毛。触れて、そっと撫でれば、少しだけ身動ぎする什造が幼子のようで更に愛おしさが募った。突然、野良猫のようにふらりと現れてはふらりと姿を消す什造に、最初こそ戸惑って心を砕いたが、今となれば性質を理解している為どうって事はない。私が什造に向けている想いは複雑だった。母性を擽られて温かく見守ってあげたいと願う反面、性的で歪で、掌握していたい欲求にも駆られる。什造はどうだろうか。私に対して何を望んでいるのだろう。居心地の良さや利便性。自身にとっての都合の良い女。そのどれでも良い気がした。例え嘘でも、目の前で笑ってくれて、その小さな唇から吐き出される好意的な言葉に溺れていられるから。この関係に終止符を打たれない限り、傍にいてくれる瞬間がある限り。私は正気でいられるし、ずっと什造を待ち続けていられる。
指に絡ませた髪の毛が、少し割れた爪先に引っ掛かる。まずい、と思った矢先に什造がうっすらと瞼を開いた。


「ごめん、起こしちゃったかな」
「ん…平気です」

普段よりも掠れた低い声。どこまでも中性的であどけなさが残る顔立ちと、それでも男なんだと物語る小さな喉仏。パチパチと数回瞬きを繰り返し、ゆっくり上体を起こした。未だ覚醒しきれない頭でぼんやり、宙を眺めている。

「お腹空いてない?」
「……お菓子あるですよ」

そう言ってソファーの下に乱雑に置かれた鞄の中を弄り、大量の駄菓子を取り出した。赤に緑に黄色。ビビッドな色彩でいかにも不健康そうである。日本製の有名メーカーもあれば、中には外国産の見慣れぬパッケージまで、それこそ種類豊富に取り揃えられていた。

「名前さんも食べるです?」

そう言って、自身が一口齧った菓子を口元へと寄越された。ありがとう。短く礼を言って受け取ろうとすれば、その手を振り払われ再度口元へと宛がわれる。

「僕の手から食べるですよ」
「……変な什造。わかった」

苦笑を浮かべて菓子に歯を立てる。カシュっと重さのない音が響いた。

「良い絵面です」
「ん?どういう意味?」
「僕が名前さんに餌付けしてるみたいで、何だか愉快です」

餌付け、とは普段私が什造に行っている事だろうか。今日は自棄に頭の中が晴れない。言葉が足りない訳でもないのに。什造が今、私に何を伝えたいのか。言葉の真意を咀嚼出来ずに首を傾げた。すると、にっこり微笑んだかと思えば、猫が甘えるように身を寄せてくる。

「この前名前さんの働いてるお店に行ったです」
「……そうなの?声掛けてくれたら良かったのに」
「だって、」

中途半端な所で言葉を区切り、珍しく何かを思案しているように間をあけた。

「僕の知らない名前さんでした」

驚いて目を見開く。それは普段自分に接している姿と、働いてる社会へ向けた姿が異なるという意味だろうか。堪らずに什造の白くて細い手を握りしめる。

「名前さんを閉じ込めて置きたいですね」
「……何それ。いつもふらっといなくなるのは什造じゃない。私はいつもここにいるわよ。ここが私のお家だもん」
「僕はいいんです。そーさかんだから忙しいですよ」
「そうだね。いつも守ってくれてありがとう」

実質、私は喰種に教われた経験がないので間接的な意味にしかならないけれど。私の腕の中で上目遣いのままじっと、感情の読めない大きな瞳が何かを訴えかけてくる。ほの暗い狂気の色を携えて。

「でもたまに、名前さんをバラバラにしたくなります」
「どうして?私の事が嫌い?」
「嫌いじゃないです。でも、足はいらないと思うです」

歪で狂気的な愛情表現だろうか。両足を失った自分の姿を思い浮かべて言い様のない虚しさが募った。恐怖よりも先立つ不安は、自分の意思ではどこにも行けず、不自由でただ什造が訪れる事を待つばかりの自身の滑稽さである。将来や周りの人々への配慮より先に什造への想いを嘆く辺り、私も大概馬鹿な女なのだ。

「不謹慎な事考えちゃった」
「……何をです?」
「何でもない。お菓子もいいけど、やっぱり何か軽く食べようよ」

そう言って什造の肩を軽く押す。彼も小腹が空いていたのか、或いは菓子で満たされなかったのか、存外素直に応じて身体を離した。

「雨降りそうですね」
「うん、予報では晴れだった筈なんだけど」

ソファーから立ち上がってキッチンへと向かう。背中に向けられた視線に気づかぬ振りをして、歩を進めた。歪で複雑な想いを抱いているのは、意外と自分自身よりも什造なのかもしれない。思って、笑う。子供と呼ぶには成長して、大人と呼ぶには未熟な彼からは、私が想像するよりも遥かに厄介な愛情を向けられているのかもしれない。例えばこのままベランダから放り投げ出されたとしても、彼は私の手を引いて助ける事はしないだろう。それでもきっと、地面に落下してぐちゃぐちゃになった私の手を握る什造は笑っていてくれる筈だから。それはそれで良いんじゃないかと思えてきてやっぱり、また笑う。




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