21.のつづき
ほんの気まぐれみたいに言い出したくせして、悠太はさっさと二人分飛行機の席を取り、あろうことかロンドンでのホテルの予約まで、済ませてしまっていた。 あれから二日後。俺が懲りもせず家に押しかけた時、悠太はパソコンを見ていた。上記のことを淡々と告げられて、俺の腹の底でふつふつと何かが沸いた。
「…何で勝手にやったんだよ」 「ごめん。自分で選びたかった?」
悠太は椅子を回転させ、俺と向き合った。眉尻をやや下げ曖昧な表情を作る。敵わないとつくづく思うのはこういう時だ。 こちらに世話のひとつも焼かせやしない。俺は頼って欲しいのに、あっさり一人でことを終着させてしまう。それでいて借りを作るのが嫌、だとかそんなドライな理由は何処にもなくて、無意識の為せる業だからなおさら憎めない。全く、悔しいの一言に尽きる。
午前中に発って、現地時刻の午後に着く便だと、悠太は言った。
「ちょうどおやつ時だね。向こうでスコーン食べようよ」 「は、勝手にやってろ」 「要?何で怒ってんの。甘いもの食べれるでしょ」
この隠れ天然め。 確信犯だったら殴るぞ。 軽く。
十時間を越えるフライトは正直、身体的かつ精神的に辛いものがあった。
まず最初に映画を二本見た時点で既に体がだるくなり、そこそこ美味しい食事のあと、悠太の頭が俺の肩に乗ってきたのには、驚きと緊張が半分ずつ入り混じって動けなくなってしまった。 首筋にふるふると当たる柔らかい栗色の毛先や、 ほんのり聞こえる息づかい。悠太を感じさせるそれらを、着陸までの約一時間、俺は必死で意識しないようにしていた。
「着いちゃいましたよお父さん」 「…ああ。来ちまったな、本当に」
ここに千鶴がいたら、もっと喜ばんかーい!とか何とか叫んで憤慨したに違いない。だがこう見えて、俺もこいつもテンションが上がっている。それは、ヒースロー空港を出てバス停に待機している時、同時の深呼吸という形で表れた。
「日本より乾燥してる、か?」 「雨大国なのに湿気は少ないんだね」 過ごしやすそうでいい、 とつけ加えてやると、悠太は自分のことを言われたかのようにはにかんで、スーツケースを引き寄せた。ひょっとして、自分が押し切る形で俺を引っ張ってきたことを気にしていたのだろうか。それも、大金を伴う海外旅行。俺は家からかなり援助してもらったが、悠太はどうしたのか。「お前―」聞きかけて、慌てて口を閉じた。野暮な質問だった。
ずっと引っ掛かっていた謎が解けた。 理由も言わず自らバイト詰めになって、新旧共々の友達の誘いをことごとく断り、クリスマスにも街頭でチラシを差し出していた細い指を、俺は知っている。 最近ぱったり働かなくなったのは、目標額を達成したからだったのか。
せり上がってくる温かさ、むず痒さに、目頭が赤くなるのを自覚する。そこまでしてこいつは、イギリスに、行きたかった。いや、今なら自惚れは許される。悠太は、俺と。
バスが停留所にガタガタと回り込んできた。運転手の手つきは少々豪快であった。
「じゃ、行きますか」
悠太が俺を促す。本日のロンドンの快晴より、ずっと稀少な、幸せ溢れる表情で。俺はスーツケースとボストンバッグという、さながら両手に枷といったところの両腕を交互に見やり、苦笑いした。当然胸中は穏やかでなく、抱きしめたい衝動ではちきれて潰れてしまいそうだった。
バスはホテルへ走り出す。 警鐘警鐘。絶対に、この三泊四日を無駄にする訳にはいかない。
転換期、なんて言葉が急いて焦る頭に浮かんだ。 外に出たくて暴れる感情を、まだ駄目だ、とぎゅうぎゅう押さえ付ける。俺が一人押し問答を繰り返す横で、悠太は優雅にロンドンの旅行パンフレットなんぞを読んでいる。お目当てのカフェには、水色のマーカーで花丸がつけられていた。
兎にも角にも、まずは美味いイチゴジャムとクロテッドクリームにありつこうか。
繰り返される世界に終止符を
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