4.
潜在エモーション




僕、いい加減飽きちゃった。こーちゃんの友達するの。


いつもの焼き鳥屋に午後七時。なみなみと注がれた、一杯目のジョッキ。いつもなら乾杯もそこそこにぐいっと煽ってしまうそれを、あきらは、まるで違世界から来たものであるかのように見つめていた。焦点の掴めない瞳。そして吐かれた、俺への言葉。背筋がすうっと寒くなった。
俺はその真意を計りかねて、それでもあきらがお冠であることぐらいはわかったから、口をつぐんでじっと待つ。
あきらはぴくりともしない。飲み頃を逃したビールからは、静かに泡が抜けていく。

数えるのも憚られるくらい長い間腐れ縁を続けてきたのだし、今更ゼッコウしたいというのも不自然だ。
となれば何かしら、言外に含めたいことがあるのだろう――



「本当にわかんないの?」

居酒屋特有の談笑や歓声、鳥が焼ける香ばしい匂いの中にまどろんでいた意識が、さっとすくいあげられた。

依然として俺の方を見ようとしないあきらは、やはり苛立っている。頭からつま先まで本当に怒っている時、あきらの声は低くなり棘を孕むのだ。

しかし原因がまるで浮かばない。ここ二ヶ月程は仕事の関係であまり会っていなかった。

「…ちゃんと言ってくれなきゃ、わからないよ」

俺がやっとそれだけ口にすると、あきらはいきなりキッと睨みつけてきた。

「じゃあ言うよ。
こーちゃんがすき。恋愛対象としてすき。
それも、高校の頃から。


こーちゃんがお母さん役してて、ちょうどたっちんと一番仲悪かった時。僕はこーちゃんに対して恋愛感情をもってたの。

でもこーちゃんとギクシャクするのも嫌だし、それ知ったたっちんにぎこちない反応されるのも真っ平ゴメンだった。

そういうグラグラな足場を僕の手で作りたくなかったから、言わなかったの。
僕をこんなに長い間悩ませるなんて、りっぱな罪だよ。

ずっと想ってた、こーちゃん。
俺の、およめさんになって」


最後は悲しそうな顔になって、俺は目を逸らすタイミングを完全に見失った。困った末、何とか意図を読み取れないものかとあきらの黒目を探る。

だがそこに映るのは俺のぼやけた輪郭だけだ。

あきらは緩く首を横にふって立ち上がり、

「返事は、来週でいいから。来週ここに7時ね」

そう言って性急にコートを着る。俺がビールはいいの、と聞くとグワっと水のように飲み干して、満足そうに息をつくと、何事も無かったふうに重いジョッキを戻し、去っていった。





あれからひょんなことで塚原くんと話す機会を持った。てっきり嫌われているかと思っていたが、彼はお悩み相談までしてくれた。促されるまま、いち生徒には不必要なことまで喋ったという自負はある。
でも後悔する余裕すらなかった。自覚症状がある今の俺には。





「あのことだけど、いいよ。お嫁さん...はさすがに無理だけど...」

奇異なことに時間通り店の中で待っていたあきらの背中、そこに向かって言葉をつないだ。経験したことの無い類の緊張感。店内は相変わらず五月蠅いのに、それもどこか遠い場所から聞こえてくるようだ。

あきらは振り向かないまま、首をこてんと横に倒した。

「あのことって、なんのこと」

「...は?」

「わかんない。ちゃんと説明してくれなきゃ」

一気に頬に血が集まった。その頭をひねってこちらを向かせたい衝動が頭から指先まで駆け抜けたが、どうにかこらえる。覚えてないとでもいうのか。今更、いまさら、ああ。
俺はふらふらと夢遊病者のようにあきらのそばに寄っていった。次いで体を折り曲げ、真っ黒い髪から覗く耳に顔をよせる。

「...好きだ、あきら」

「よく出来ました」

いきなり視界が童顔極まりない微笑みで埋まり、呆気にとられている間に唇が塞がれ、そしてすばやく離れていった。

「もう手遅れだよ、こーちゃんおよめさん決定。
僕、自分で思ってたよりこーちゃんあいしてるみたい」

あきらはそれだけ言ってむぎゅうと俺の頭を抱き込んだ。その拍子にあきらの肩に眼鏡がぶつかり、世界がぐわんと躍った。

「...そんなの、俺だってそうだよ」

回された手が一層きつくなる。
ここが居酒屋で他のお客がいることはわかっていた。わかっていても理性がうまく働かない。心拍数も火照りも、どうしようもなく満たされていくこの気持ちも、ぜんぶ俺のなかに初めからあったのだとしたら。

随分待たせたね、やっと気づけたよ。




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