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◆◆◆
「はぁ…」
これで何度目だろうか、コロンが知る限りでは本日五度目の溜め息である。
何時も絢爛豪華な雰囲気を携えた我が曾孫は、今は見る影もなく陰気臭さを醸し出している。
常連の客はいつもと違うシャンプーの様子に勿論気がついているし、それとなく彼女にどうしたのかと尋ねるもシャンプーは何も無いとかぶりを振るだけだ。
「しかしシャンプーちゃんは若いのにしっかりしてて偉いよな。」
俺の部下にも見習ってほしいよ、と客の男は笑う。
「そうだよな。こんなに忙しい昼時、一人でウェイトレス出来る子なんて滅多にいないよ。」
隣に座る同僚と思われる男もうんうんと頷く。
シャンプーは当然の事だとどうにか笑顔を作り笑った。
「そう言えば、今日はあの長髪のにーちゃんはどうした?」
その言葉にシャンプーは一瞬動きを止める。
「日曜どっかに若いもんが出かけるなんざ、そりゃーもうデートに決まってんだろう。あのにーちゃんも良く見りゃ男前だしな。」
「そりゃねーだろ。あのにーちゃんはシャンプーちゃんに相当惚れ込んでやがるじゃねえか。」
「はは、それもそうだな。」
事情を全くもって知らない男達は、下世話な話をぺらぺらと話す。
そんな男達の下らないで話さえ、今のシャンプーにとっては感情を逆撫でするものであった。
「素直になったらどうだ、シャンプー。」
お昼のピークも過ぎて一息ついたとき、コロンは言った。
「なんのことね。」
餡のこびり付いた皿を流しに運んでいたシャンプーはそれを流し台に置くと、怪訝な顔でコロンの方に向き直った。
「分かっておるじゃろうにとぼけるでない。お前は何を恐れている?」
「曾おばあちゃんが何を言ってるか分からない。私何も恐れてなんかない。女傑族の女にとって恐れるものなんて何もないはず。曾おばあちゃんならわかるはずね。」
シャンプーの珍しい反抗的な態度に少しばかり驚いたが、その程度で動揺するコロンではない。だてに数百年も生きていないのだから。
「ほほ、甘いのシャンプー。それではお前は女傑族の女として失格じゃ。」
コロンは目にも止まらぬ速さで、先程まで自身が使っていた中華鍋をシャンプーの方へ勢いよく振り向け、彼女の鼻先すれすれのところで止めた。
「どういう意味ね!私のどこが女傑族として欠けているあるか!」
シャンプーは流しの淵を思い切り叩く。餡のこびり付いた皿や新調したばかりのどんぶりが、その衝撃でがしゃんと音を立てて割れた。
「お前は負けたんだ。いや違うな、戦いもしなかった。『掟』という敵からしっぽを巻いて逃げ出した。違うか?」
シャンプーは口を噤み、下唇を噛む。
プライドの高い彼女にとって、それは肯定を表すものであった。
「お前は先程女傑族には恐れるものなど何も無いと言ったな。確かにそうかもしれぬ。しかしそれは物体として存在するものに対しての話だ。お前も知っている通り、村の掟は絶対だ。どの集落、国、共同体にも必ず秩序は存在する。ではなぜ秩序は存在するのか?それは共同体で争いを無くす為だ。ではなぜ共同体は存在するのか分かるか?」
シャンプーは何も答えない。
「人間が弱いからだ。肉体的な面では無いぞ。精神的な面だ。だから我々のように肉体的に強い部族でも群れざるを得なかった。掟の厳しさがそれを物語っておる。掟によって部族の精神的結びつきを強くした筈だったが、今はお前のようにむしろ掟に縛られ、苦しむ者も少なくない。」
コロンは何か物思いに耽っているようであった。数百年も生きてきた彼女のことだ、掟によって狂わされた者を見てきたのかもしれないし、もしかすると彼女自身がそうだったのかもしれない。
だからこそ可愛い曾孫にそのような思いをさせたくなかったのだろう。
「負けるなシャンプー。お前はそんなものに負けるような柔な女ではあるまい。お前なら出来る!そうだろう?」
コロンの話を黙って聞いていたシャンプーは最後まで話を聴き終え、顔を上げた。
「…行ってくるね。」
そう彼女は吐き捨てると、猫飯店を飛び出した。
そんな彼女の背中をコロンはまぶしそうに見つめていた。
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