過去編




目蓋が重いだとか言っていた時期が生ぬるいと感じられるほど底のない真っ黒の闇に包まれた場所。真っ暗闇の世界の中に一人ぽつんといる。それは怖いことだった。そういえば昔、幸村君がこんな目にあっていたことがあったっけ……。
あのときのことを思い出して目をとじる。そうしないと今にも恐怖が体を覆い隠してしまうようなそんな気がしたのだ。

折り曲げた膝に頭を擦り付け、暗闇から逃れようとした。手首が痛い。ジャラリと嫌な音がした。その音が煩い。昼間の罵倒する声も煩いがこのジャラリとした音も煩い。耳を削ぎ落として何も聞こえないようにしてしまえばいいのではないか。じたに響く音は嫌な音しかない。だったら削ぎ落としてしまえたらいいのに。そしたらあんな声きかなくていいのに。そしたら目にうつる世界だけで、勘違いして生きていけるのに。


ジャラリジャラリと鉄のぶつかり合う音が響く。煩い。うるさいウルサイ。どうしてこんなに煩いんだろう。拡声器があるわけでもないのに耳にくる。聴覚なんてなくなってしまえばいい。こんな音いらないっ。


「誰か、いるの?」


煩い音が静かになった。シーンと静まりかえる暗闇。壁の先に誰かが居る。私はつっかえそうになる言葉を絞り出して返答した。

「だれ、まだなにか用なの」

壁の先にいた誰かは黙り込む。いや、もしかしたらさっきの言葉は幻聴なのかもしれない。グッと堪えて相手の返答を待つ。数秒後言葉が返ってきた。


「友……?」


なんで私の名前を知っているの?
首を捻る。私の名前を呼べる人なんていただろうか。愛鶴ぐらいしか私は知らない……。……いや、もう一人だけ、いた。
彼だ。彼しかいない。



「……幸村君?」



次の瞬間壁が凄い力で叩かれる。地が割れたような轟音が辺りに一帯を包み込む。


「友。やっぱり友だ…!どうしてこんなところにっ。くそっ、外れないっ、友っ、友っ。ちょっと待っててすぐ助けるから」

「ゆ、幸村君!いきなり壁を叩かないで!」

「あ、いやごめん!ってそうじゃなくて、どうしてこんな時間にこんな場所にいるんだい?まだ七時過ぎだよっ?」

「うそっ、そんな時間なの?」

「君いったい何時から――っ!くそっ、なんで開かないんだっ、確かに体育倉庫の鍵の筈なのに」

じゃらりと鍵の束の音だろう、その音が何度も聞こえた、それと同じぐらい金属と金属を重ね合わせて、鍵をあけるような音がしている。


「くそっ、どうなってるんだ。もしかして南京錠違うやつとかか?」

ジャラリジャラリ。耳にまとわりつく音。どうやたって離れない。痛い。怖い。近付かないで。嫌だ。
浅い呼吸音が聴こえた。

「お願いっ、その音やめて。静かにしてっ」

「友?」

「お願いっ、お願いだから、静かにしてっ、静かに」

「お、落ち着いて、分かった。静かにするから。話しきかせてくれないか」

「静かにしてっ、お願いお願い」


浅い呼吸音。
怖い
怖い怖い怖い
赤く染まった頬とほのかに光る赤色の光。痛い。痛い。にやにやと笑う声。クスクスと蔑む声。

なんで



こんなこと、どうして


機械の起動音。周りを囲む人間の数。頬に走る痛み


「ひっ………っ…っ」


「………………」


違う。違う。
もうそれは終った。今はこの真っ暗の中にいるだけだわ。何も怖くない。ここにいるのは幸村君だけ。彼は私のことを傷付けたりはしない

本当に?
本当にそうだろうか?

壁の先に居る人が私を傷付けないと本当に言える?


「友…落ち着いた?」

優しい、優しい声



壁の先にいるのは幸村君だけなのだ。大丈夫。大丈夫だから。


「ええ、大丈夫よ」

「………よかったあ」


肩の力を抜かしたような声が聞こえてきた



「どうしてこんなところにいるんだい。そしていつからここに?」

「………昨日の夜からかしら」

「………夜?」

「ええ、眠ってしまっていたみたいね。うっかりしていたわ」

「体育館なんて好きじゃないだろ、なんでうっかりこんなところに?」



痛いところついてくるわね。壁に凭れながらそう思うと心配そうに友と呼ぶ幸村君の声


「ちょっとヤボ用だったのよ、気にしないでちょうだい」

「気にしないでって……何かされているわけじゃないよね?」

「何かってなによ」

「……いじめられてない?」

「陰口をいじめっていうのならばいつものことだわ」


小学何年生のことだったかわからないのだけれど、いつの間にか叩かれはじめた陰口を今更被害者ぶってみるつもりはない。私はそんなに傲慢ではないつもりだし、そんなことで音をあげる可愛い子じゃない。

陰口が嫌いな幸村君は分からないかもしれないけど私は陰口はしょうがないと見ている点がないとはいえないのだから。


「そうじゃなくて」

「なによ、陰口以外のいじめだってそんなにかわらないわ。私を誰だと思っているのよ」

「……でも」

「…兎に角、気にしないでいいの。それより部活は?全国が終ったからってまだ引き継ぎが残っているんでしょう?そういえば来年は高校生ね、今度こそあんたと離れられるかしら?」


幸村君とはいつまでも同じクラスだ何かの因果なのかもしれないけど腐れ縁なのかしら、私達って

幼い頃見ていた幸村君は妖精のように可愛かったのに、今では妖精だなんて比喩出来ないほどに大きい。どうして身長とか、体つきとかかわるのかしら。
……小学校までは私の身長の方が上だったのに。みんな信じてくれないけど、私が幸村君を守っていたのに。
いつの間にか幸村君は自分でも身を守れるようになって、私は逆に自分では身を守ることさえ出来なくなっていた。

じわりと涙が落ちそうになる。惨めな私は嫌い。泣いてはいけないと何度も笑うと逆に涙腺が刺激されてどうしようもなくなった。








 
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