She


日の光が斜めにさして、ゆっくりと地面に消えて行く。
汗を拭う。寒いはずの体育館は、熱気とライトのせいで暑いくらいだ。
衣装を着ての合わせ。ドレスの重量は思っていたよりも断然重く、息が苦しくなるほど。胸に重しを乗せてやっているのと変わらないんじゃないかしら、と秘かに思う。
クルクルと嬉しそうに跳ねたり、ズルズルとユックリと引きずったり、椅子に座ったりいきなり立ち上がったり、動作は様々だ。動くたびに違和感が付きまとうのはもう慣れるしかないのだろう。
少し前で気慣れた服同然で歩き回っている幸村君が、こちらを振り向いた。
「なあに、友ばててるの?」
「うるさいわね、体力がないの」
「ふふふ、運動しないからだよ。体力はつけなくちゃ」
そう言われてみたものの、運動は苦手だ。
でも、体力は確かに必要なのかしら。
「一緒にジョギングでもする?」
「それは…………遠慮しとくわ」
スポーツマンと一緒に走るとか勘弁願いたい。だいたいこの男はいったい何を考えているのだか。誘う相手が間違っているでしょう。西置さんに言いなさいよ、西置さんに。
そっと西置さんを見てみると、なぜだか学校参観に来ているお母さんのような目でこちらを見ていた。…………謎過ぎるわ。二人が付き合っているのではないかと思っている私からしてみれば、摩訶不思議で仕方が無い。確か、西置さんは幸村君のこと好きだったはずじゃあ……。それにも関わらず余裕綽々な態度ということはそれほど自信があるってことなのかしら。
女の子の心は不思議だわ。





今日の練習も終わった。終わる頃には夕日は完全に傾いてしまっている。
靴箱はあまりの暗さに視界がきかず、頭をぶつけてしまったほどだ。ヒリヒリと痛む頭を摩りつつ自分の靴箱を開けると、そこにあったのはーーーー




果たして、そこにあったのは、私の靴、だけだった。息を吐いて飲み込む。爪の間に挟まった泥を落とそうと暗順応してきた目で擦ってみるが、なかなか取れない。これは洗いにいった方がいいかもしれない。この冷たい季節に指を突っ込むのはごめんだが、異臭をさせたまま帰るのも嫌だ。確か体育館近くに水場があったはず。宵闇の中を移動すると、自然と体育館の中がまだ明るいことに気がついた。もう今日の練習は終わったはずなのに。誰か使っているのだろうか。耳をすませると微かに音がしている。好奇心に動かされて中を覗くと、そこにいたのは一人でクルクルと周り、声を出していた幸村君だった。
「お前は私を置いて行くのか」
手を高々と上げて、彼は視線を愛おしそうに天井に向けていた。
マクベスが婦人の崩御を知った時の言葉。その言葉が静かに、紡がれると、ゆっくりと手が下がり、俯く。
目が離せない。釘付けになった。
彼は、まるで泣いているように、鼻を啜って、掠れた声で、くぐもった声で、呟いた。
「どうして……っ」
声は大きくなり、やがて怒鳴り声に変わる。
「どうして……! どうして、置いて行く……!!」
駄々を捏ねる子供の様にポタポタと床に雫が落ちて行く。その雫を強引に拭うと、拳を握り締めて歯を食い縛り自分に言い聞かせるために声を張り上げた。
「この世界は一つの劇に過ぎない。老若男女問わず、その舞台の役者でしかないのだ」
ならば、と。
マクベスはいった。
「決められた配役の上で私は踊ろう。意味のない物語であろうと、明日消えゆく命であろうとまた君と地獄で逢えるまでは」

ふうと、大きな息を吐くと、瞬間空気が変わる。和やかな雰囲気になった幸村君は汗を拭いながら振り返った。
あ、と声をあげると同時に目がパッチリとあってしまう。
「ご、ごめんなさいっ」
その場から脱兎の如く逃げ出す。待ってと後ろから声をかけられるが、止まることはなかった。手を洗えなかったがいいだろう。帰って洗えばいい。それよりも早くここから逃げ出したかった。あれは見てはいけないものだった。神聖で、神々しくて、本当に劇の中から抜け出してきたような、夢心地になる手の届かない存在。
ーーーー胸が苦しい。苦しい。
チクチクして、痛い。どうしていたんだろう。どうしてこんなに胸をうたれるのだろう。おかしい。間違っている。こんなのって、ない。
胸の中には自分ではないような何かがぎっちりつまって、今にもこぼれ落ちそうになる。いまにも泣きそうになる。ポロポロと何かがこぼれ落ちて、自分の中には何もなくなってしまいそうになる。
どうしてあんなに綺麗になれるのだろう。
彼はあんなに綺麗なんだろう。
彼の一欠片でもあれば、私もあんな風に綺麗になれたのだろうか。
そうだとしたら、こんな自分なんかいらない。
浅ましいこんな私なんて必要ない。
擂り粉木にかけて粉々にしてしまいたい。
汚い。
汚い。
なんて汚いんだろう。
だって、本当はーー。
下駄箱には本当はーーーー。

「友っ」
追いかけていた幸村君に腕を引かれてタタラを踏む。もう少しで下駄箱というところだったのに、彼の脚力には感嘆を漏らさずにはいられなかった。
「どうして逃げるんだよ」
「別に、逃げてないわ」
下手な嘘。幸村君が納得してくれるわけはないのに、俯きながら言ってしまう。
「ウソ。だって目があった瞬間逃げ出したじゃないか」
止まってもくれないし。
そう言って、私の腕を掴む手に少し力が入った。
「…………ごめんなさい、練習中だったでしょう。邪魔しちゃったと思って」
「友、こっち向いて?」
静かにお願いする声が私に降りかかる。
簡単なことなはずなのに体が動かない。顔が固まったままだ。意のままに動かない。
「何もないというならばこっちを向いて欲しい。別に怒ってもいないから 、顔だけ見せてくれたら、帰るから」
廊下の電気はついていない。さっき明るいところから出てきたばかりだから、順応もしていないはずだ。それなのに、顔を見たいだなんて、見えるはずもないのに。
「…………」
「じゃないと、ほら暗くなって帰れないよ」
もう顔を見えないぐらいの暗さなのになにを言ってるの。
「友」

ばっと幸村君を勢いよく捉える。もうこうなったらやけだ。視線を合わせようとするけれど、暗くてぜんぜん見えない。掴まれたところだけが熱くて、幸村君が近くにいることだけしか分からない。息は白い塊を吐き出し今が寒いことを実感させる。熱いのは腕の周りだけだ。まるでそこから熱を入れられてるみたいに暖かい。
「……友、冷たいよ」
「あんたが暖かいのよ、幸村君」
「違うよ、友が冷たいだけ」
そういって譲らない。
子供のような口調にクスリとして、慌てて口を横に引き伸ばした。
「…………西置さんとはうまくいってるの?」
「西置さん?」
「ええ、よく一緒にいるから」
見えない暗闇だからか、どうでもいいことを聞いて見たくなった。こんな時でもない限り顔を見らずに喋る機会なんか滅多にない。
廊下に静寂が訪れる。よく耳を澄ましてみると窓ガラスが風で揺れるカタカタという音が鳴っていた。
「気になるの?」
「気になるというか…………いいえ気になるのかしら」
こうやって訊いてしまうくらいには。
「どうして」
「どうしてって、なに」
何が聞きたいんだろう。なんだか上辺だけをなぞられたようでモゾモゾする。
「俺が好きだから、とか?」
「………………」
それは。
それは、どうなんだろう。
分からない。こんな明確に言葉に表せないことが好きだなんて、言えるのだろうか。そもそも好きって感情が私にはまだよく分からない。恋愛の好きって感情はまだなにも知らないのだ。
「……なーんて、ね。冗談だよ。友が俺のこと好きとかありえないし」
「あんたなんか失礼ね」
「失礼って、本当にあり得ないだろ」
「まあ、こんな顔がかっこいい男の子の隣にいるのは気が引けちゃうかもしれないけどね」
「……………………」
しばらく沈黙したあと、幸村君ははあああと深いため息をついた。
「友ってなんにも分かってないんだから」
「何よ、それ」
「いいよ、分からなくて。…………送ってく、暗いし」
「え、いいわよ。あんた練習するんでしょ?」
「こんな暗い中友一人で帰らせるわけにもいかないだろ。ちょっと待ってて、すぐに鞄持ってくるから」
そういって幸村君は体育館へと急ぎ足でかけて行った。
掴まれていた腕が離れたあとも暖かい。
暖をとるように腕を胸にやって、彼が戻ってくるのを待った。
その時間がとても大切で価値のあるものに思えたのは、きっと彼のおかげなのだろうと思った。





 
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