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この学園の文化祭ーーーー海原祭も目前に迫っている。
最終調整で裾合わせをして、劇を全部通した。
あとは、明日を待つばかりだ。
明日のためにと早く帰された私と幸村君は顔を見合わせて、クスリと小さく笑う。
どうやら西置さんに遅くまで残って練習していたことがばれてしまっていたらしい。
下駄箱ですったもんだした次の日から、わたしも残って練習していた。
最終下校時間ギリギリまで残ってつめて繰り返し練習したことは記憶に新しい。
今日もギリギリまで練習しようとしていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
仕方なく幸村君に帰ろうかともちかけると、なんだか申し訳ないけどねといいながら横に並んだ。クラスのみんなは看板を出したり、チラシ配りの用意をしていてまだ帰っていないのだ。二人だけ先に帰るというのは申し訳なさとちょっぴりのありがたさを感じてむず痒い。

「なんだか、物足りないわね」
「それはそうだけど、仕方ないんじゃないかな。明日が本番なのに力み過ぎて怪我でもされたら元も子もないし」
「…………怪我なんて」

しない、とはっきりに言えないところが憎いところだ。
昨日から慣れないブーツで数回転びかけている、私なんて特に。

「まあ、いいじゃないか。息抜きにミスドでも奢ろうか?」

そういい、幸村君は柔和に微笑んだが、私はその笑顔を見ても笑顔になることはできなかった。
一緒に過ごすという提案はーーーー一緒に帰ったこともある身としてはあまり分かられにくいだろうが、遠慮したいことだった。
遠慮したいというか、縁遠くなりたいというか。
回避したいポイントだった。
そうじゃないと、また変な噂が跋扈するのではないかという危惧が、少なからず私にはあった。
たとえ幸村君に優遇されているのが容認されていても、それは避けなければいけないと自覚していた。
だからこそ私は、いいえと声をあげた。
本当はミスドを食べたい。
私だって女の子なのだし、甘いものは好物だ。
幸村君が奢ってくれるのだというし、願ってもないことだった。
けれども、それを甘受することは、私には不可能なことだったのだ。

「そう、か」

幸村君は、私が断るとそう顔を曇らせてそれっきり黙り込んだ。
悪いことをしているという自覚はあるのに、それ以上にだれかに幸村君と仲が良いことを見られるのが恐ろしかった。私の中に残った薄汚い禍根は、切り替えると思った今でも時々存在を主張するように疼く。古傷が痛むように、わたしはここにいるのよと主張するように。

いじめられた元々の原因。
流石に、知らないわけはなかった。
幸村君のせいだと、分かっていた。
彼が私を贔屓するから、女の子達が、幸村君が私を好きなのだと勘違いしたのだ。
それは幸村君に失礼な勘違いだった。彼が私を好きになることなんてあり得ないのに。
節穴って怖いとは、流石に冗談でも言えなかった。
そんな不謹慎なことは言えなかった。
あれで私は傷付いたのだから。
心を、傷付けられたのだから。

無言のまま別れ道まで歩く。
斜陽が白い線を綺麗に染めて、夕日の上を歩いているような不思議な心持ちになる。
さわさわと風によって幸村君の髪が揺れる。
青みがかった髪がサラサラと揺れ踊った。

「じゃあ、また明日」

私はそういってくるりと体を捻って、幸村君とは違う道を歩いて行く。
また明日。
そう、まだ明日がある。
まだ未来がある。
だったらいつか言えるはずだ。
いつか、乗り越えられるはずだ。その時は彼と一緒にミスドぐらい簡単にいけるようになると、思う。
だから、今日はさよならだ。
自分に言い聞かせるように頷くと、ヒュウウと風が吹いて、自分の髪が空に浮かんだ。

「友」

幸村君が、静かに私の名前を呼んだ。
静謐な声は私の足を立ち止まらせる。

「迷惑だった? 迷惑で仕方なかった?」
「………………」

えっと言葉をこぼそうとする。ギリギリのところで寸止めしたが、幸村君は続けた。

「もう気が付いているんだろ? 劇を提案したのが俺だって」
「…………」

それは、薄々感づいていた、でも、それが分かったところでどうにもならない。
耳を塞いで、目を閉じて。
感覚をなくしてしまえば、傷付かずに済む。
だから、詮索はしなかった。
何も知らなければ無知のまま傷付くだけでいい。
知っていて、傷つくことにろくなことはない。

「教えて、どうか」

強張った顔で、それでも真剣に彼はきいてくる。

「迷惑だったのかな?」

どこか調子はずれの声。それは彼が緊張していることの表れだ。
……どうして、劇なんかやろうと思ったのか。
どうして私がマクベス夫人役に抜擢されたのか。
西置さんが今回どんな立ち位置だったのか。
全てを考えて、ある可能性にたどり着く。
笑いそうになって、でも笑えなくて口角を歪める。
無理よ。
無理なのに。
笑えない。
笑いたくない。

「友達……を作らせようとしてくれたんだしょう?」

幸村君は今まで来ていなかった私のためにクラスに馴染ませようとしてくれたんだ。
劇にしたのは、でみせなんかにしたら一定の人間にしか関わることがないから。
劇だったら、しかも役をやる人間となるといろいろな人に協力を仰がなければならない。
いくら私でも、強制的に協力しなければいけなくなった時にはクラスの人とも関わらざるをえないだろう。
幸村君はそれを見越して、西置さんにお願いしたんだ。
幸村君を好きだった、いや、今でも好きなのかもしれない彼女に、私を夫人役に推すようにと。

「でも、どうしてそんなことをしたの? 私に友達を作らせてどうする気だったの?」
「…………」

幸村君は唇を噛んで、私から視線をずらした。

「君が誰とも交流できていないのは見ていればすぐに分かったよ。それに、そういうのを避けていることも」

そういうの。
友達作り。

「でも、もう卒業なんだ。少しはいい思いをして欲しくて」

幸村君の言葉に目を見張る。
いい思い。
いい思い、か。

「ありがとう、幸村君。おかげで西置さんとも他の人たちとも交流できたわ。幸村君の」

おかげよ。そう言おうとして、幸村君がかぶせるようにこちらを向いて言った。

「そんなのはいいよ。遠慮とか、気遣いとかいらない! それに綺麗に納得したように笑わないで。そんな顔が見たいわけじゃないんだ。そんな顔をさせたいわけじゃないんだ」

幸村君はそういって一歩踏み出す。

「綺麗ごと言うのは辞める。いうつもりはさらさらなかったけど、友がそんな顔するなら言ってやるよ! だいたいなんだよ、妙に心得ましたみたいな殊勝な顔しちゃって。いつも屋上でサボってる癖に優等生みたいな顔しないでよ」
「なっ」

きれたように言い出す幸村君に呆気にとられる。こんな姿見たことない。目をパチクリさせていると重ねるように言い募られる。

「卒業前だからいい思い出作り、さっきはそういったけどそんなわけないだろ。だいたい友達作って思い出なんか友にとっては悪夢でしかないだろ? じゃあなんでこんなことしたかだって、そんなの決まってる。お前のコミュニケーション能力を少しは改善させたいからだよ」

ええっ。ちょっと待って。
シンキングタイムを頂戴。
だいたいなんで私がこんな絡まれるみたいに言われなくちゃならないのよ。

「友、お前、コミュニケーション能力低すぎるんだよ。中学入ってやっと女友達が出来るだなんてありえないでしょ。どこの人見知りだよ。人のことになると勇んで文句いったり喧嘩ふっかける癖に、人見知りってどういうことなの、あり得ないだろ!」
「え、ええ」
「まあ、俺のせいも大部分あると思うけど、それでもコミュニケーション能力が低すぎるんだよ。なんでもっと交流しようとしないわけ? 友が気のいいやつならば友達ぐらい小学校の時に出来てるでしょ!」
「……………………」

それはその通りなのだ。
確かに、私は友達がいなさ過ぎた。

「いっつも敵ばっかりつくちゃってさ、味方がいたことなんてあった? なかったよね。だって友はそうやって友達作りから逃げてたんだから」

逃げていた。
逃避していた。

「みんな敵だから、みんなと仲良くなちゃいけない。そうやって逃げて逃げて逃げまくって、そうやって友達が出来なくなっていったんだよね」

そういえば、雪羅も。
彼女も私が助けたというだけで、友達なんかじゃなかったんじゃないか。今になって思う。

「そんなんじゃだめなんだよ。確かに辛いことがあったかもしれない。苦しいことがあったかもしれない。惨めで凄惨で、なかったことにしてしまいたくなるぐらい嫌なことだったかもしれない。でも、そんなので嫌だって言えるのは今のうちだけだ」

今のうちだけ。
学生時代だけ、か。

「大きくなったらそんなわけにもいかないだろ。そうやって人と付き合わないっていうのは甘えなんだって言われるんだよ。 いつまで学生気分なんだって言われるんだよ? だって、他の人は普通に友達作って交流深めてんだもん」

普通の人はという言葉に何故か心が刺される。
私は普通じゃないのだと言われている。それが苦しかった。

「友はそれでいいの? いつまでも友達がいないままで、立ち止まったままで、はっきりしないままでいいの?」

幸村君は、潤んだ瞳を向けた。

「そんなのよくないよ。君がなんと言おうと俺は良くないって思うし、西置さんも良くないって思ったから力を貸してくれたんだ。だから、友」

名前を呼ばれて体が引きつけを起こしたように震える。
立ち止まったまま? はっきりしないまま?
なんで。私はあのとき、確かに動いたはずだ。幸村君のおかげともいっていい助力のおかげで。
確かに前を向いたはずだったのに。

「歩いてよ。前に進んでよ。お願いだから、前進してよ。立ち止まったままなんてらしくないよ」

そうだ。仁王君とも会ったし、丸井君とも、桑原君とも、柳生君とも真田君とも切原君とも、確かにあったじゃない。
前に進んでいたじゃない。
そう思ってから気が付く。
確かに私はあの人達に会っていたけれども、それは会っていただけなんだと。本当の意味での交流など深めていないのだと。上辺だけの心地悪い交流だったのだと。

前進していなかったんだ。
むしろ、足踏みしていたんだ。
友達もろくに作ろうとせず、関係から目を背けていた。
なんて狡い人間なんだろう。
逃げてばかりでろくに向き合っていなかっただなんて。

「俺が言えた義理じゃないのは分かってる。俺のせいなのも分かってる。でも」
「違うわ!」

今度は幸村君が驚く番だった。いきなり叫んだ私をびっくりしたようの見る。
違うのだ。
幸村君のせいなんかじゃない。

「確かに、幸村君のせいだって責めた時期もあって、今だってそう思うことは何度もあるわ。あなたのせいでって。でも、そうじゃないの。わかってるの。私が悪いこと、分かってるの」

結局、人と関わりが持てなくて、臆病な自分がダメなのだ。どんなに言い訳をしたところで真実からは目を背けられない。
自分が弱いことにはなんら変わらないのだから。

「だから幸村君のせいじゃないの」
「そうやって、聞き分けのいい子のフリはもうやめてって言ってるんだ!」

頭を鈍器で殴られたあとのような鈍痛がする。フラフラになりそうな体をなんとか保って幸村君を見つめる。痛いほど強烈な光を放つ幸村君の瞳は太陽を直接みた時のように網膜が焼けた。

「なにがせいじゃない、だよ。そんなこと考えている時点でもう俺のせいだろ!」
「ち、ちがっ」
「たとえお前が俺のせいじゃないと思ってても俺が俺のせいだと思ってるから。だから、もうこの話は俺のせいでいいの。分かったかい!」
「なによそれ、意味が分からないにもほどがあるわ! 頭が痛くなってきた」
「俺だって頭が痛いよ。くっそ、こんなこと一度だって言わないでおこうと思っていたのに……。お前がそんな顔するから。せっかく更生計画立てたのに全然更生してくれないし、なんなんだよ!」
「勝手に計画して逆ギレしないで!」

だいたいこっちがモルモットみたいにされてたのに怒られるのっておかしいんじゃない?!
いや、モルモットなんかじゃないけど。というかありがたい申し出なんだけど。
でも、やっぱり。

「どうして、どうして、だめなんだ」
「………………幸村君」
「もう、いいだろ。もうあれから三年近く立つんだ。あれは過去で、すぎたことで、思い出で、回想で、今じゃないんだよ」

そんなこと知っている。
でもダメなのだ。どうしてもダメなのだ。
あのときの愛鶴の顔が忘れられない。どうしても、忘れられない。
どうして? どうして!
あの時の絶望が忘れられない。
私はもしかしたら、まだ同じところをぐるぐる回っているだけで前には進めていないのかもしれない。いや、実際にそのはずだ。だって、下駄箱の中にあったアレをいまだに受け止めることはできないのだから。あれをやったのは愛鶴だと分かっていながらもまだ信じられないでいる。
友達だったはずだった。
友達と思っていた。
思っていたのは自分だけかもしれないが、あんなことをされるぐらい恨まれていたのか。憎まれていたのか。
ならどうして友達になんてなってくれたのだろう?
出会わなければ、愛鶴はあの時のように綺麗なままみんなに囲まれていたのだろうか。
だったら汚したのは私だ。
私が愛鶴と関わったせいで、あんなに綺麗な子を汚してしまった。
今でも忘れられない。般若のような顔。感情がこもった、声。綺麗な涙。
いらないと言われた、あの時。
埃の舞う屋上への道。


「いつまで引きずってるんだよ。一生引きずるつもりなの? そんなの悲し過ぎるだろ。そんなの、おかしいよ。君だけが子供のままだなんて、おかしい」

一生、このまま過ごすのだろうか。誰にも近寄らないように、線をひいて。そっちの方が楽だから。誰も傷付かないから。私も、傷付かないから。もう誰かを汚すことも痛めつけることもない。だれかに恨まれることも、憎まれることもしたくない。

ふとその時、なぜか今まで忘れていた仁王君との約束を思い出した。なぜ忘れていたんだろう。あんなに楽しみにしているのに、まるでなかったことみたいに。失礼過ぎる。仁王君にいますぐでも謝り倒したい気分だ。
でも、それと同じだけ私は嬉しくなった。
だって、仁王君とは線をひくことなんてない。私は確かに仁王君と関わりたいと思ったのだ。あの優しいぺてん師さんと、楽しみたいと思ったのだ。
だったら私は前に進めている。少しずつ、鈍足だけど、しっかり前へ。

「幸村君!」

今度は私が大きな声を出して驚かす番だ。
幸村君は瞳から光の粒子を出しながら目を見開く。
私は精一杯笑ってみせた。

「今決めたわ。海原祭が終わったら決着をつける」
「友?」
「もううじうじするのはやめるわ。逃げもしない。立ち止まったりもしない。愛鶴ときちんと喋ってみる」

なぜあんなことになったのか。やっぱり解決しないままなのはいけないんだ。有耶無耶なまま終わらせちゃいけない。前を向くために話さないといけないんだ。
その時はじめて私は気が付いた。
この昔馴染みにいっぱいいっぱい救われてくたんだと。
やっと気がつけたのだ。
いつも私を気にしてくれて、助けてくれて考えてくれていた。誰かに思われていたという幸福をはじめて知った。
それは胸の中に花が咲いたように優しくて、ふわふわとしている。掴むとあったかくて太陽の香りがしてきそうだ。

「だから全部終わったらドーナツでもアイスクリームでもケーキでも、いっぱい食べにいきましょう。いっぱい喋りましょう」

だからそれまで、少しだけ待っていて欲しい。確かに前を向いて歩いてみせるから。

「…………そっか」

幸村君はもうなにも言わなかった。分かってくれたのか、くんでくれたのか、私にはよく分からない。でも、嬉しかった。

「じゃあ、まずは明日だね。寝坊すんなよ? セリフ間違えるなよ?」
「分かってる!」

からかうようにそういうと幸村君が満足そうに後ろを向いた。

「じゃあまた明日!」
「ええ、また明日!」

夕暮れも深まって行くなか、見えなくなっていく影を見送って、私も家路につく。
まずは目先の目的を果たして、それから一歩を踏み出すために。
目標を胸にして、その日は早く寝た。




 
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