幸村精市





「あんたが……幸村、精市、お前が言ったんだろ!私に!哀川が屋上で仁王と仲良さそうに話しているって!」


「おまえのせいだっ!おまえのせいなのにっ、なんで私がっ、私がぁっ!」





痛いしっぺ返しを食らった俺は、ただ呆然と立ち尽くした。
え、俺?
流れ出てくる汗が止まらない。そんなはずないのに思うように唇が動かない。
雪羅さんは目の前で顔を真っ赤にして、今にも泣きそうに叫んでいる。


「お前っ、あのとき言ったよなっ、あの二人は、恋人のように見えたって!」

「っ!」

「だから、だからわたしはっ、くっそ、全部お前のせいなのにっなんで」


そんなの、知らない。
覚えて、ない。
だって俺は、俺は
そんな記憶いらないから。
唇がカサカサしている。知らない記憶を語られ、なじられる。
屋上に吹き抜ける風が寒い。


「い、いつの、こと」

「夏だよっ!あの日、あの日だ!」


あの日ってなんだ。
なんの話だ。
風が吹き抜ける屋上を見上げると灰色の空が広がっている、重なりあった雲が茂みを作り俺をあの日とやらから遠ざける。
夏のあの日。いつのことだ。いつのことだ?
なにも思い出せない。なにも思い出せない。なにも思い出したくない。思い出したくない。やめろ、やめろ。
胸を締め付ける痛みに体を捩ると雲の切れ目から光がさす。日光は俺と雪羅さんを照らした。
屋上自体が光を帯びて輝きが増す。


―――あ。
がちゃりと鍵が開いた感覚がした。俺はブルブルと携帯電話の震動音のように震えた。痙攣を起こす左腕が髪の毛を撫でるように掴む。


―――友が笑ってる。

太陽に包まれたような光の中で友は笑っていた。もう少しでお互いの顔を確認出来る、少し動けば顔が見えるような、距離。そんな場所で二人は笑っていた。
何の話をしていたのかは聞こえなかった。距離的な意味合いでも、きくような余裕がなかったという意味でも、聞こえなかった。
でも笑っていたことはよく覚えている。よく、覚えてしまっている。
焼き付いてしまっている。覚えていない筈だったのに、こんなに鮮明に覚えてしまっている。
そう、友はあの場所にいて、仁王はここに寝転んでいた。
俺はそれをブラウン管越しに見ていた。モノクロに見える世界に、二人だけが鮮やかに映り込む。画面に自分の手が映り込み、伸ばして、引っ込んで、そして伸ばしてを繰り返す。収縮行動を繰り返すその手が何も掴めずに空を切る。その手がやがて下に下がり、フレームは二人をログアウトした。映り込むのはノイズと自分の足らしきもの。
ぽつりぽつりと雨が降り、足らしきものにあたり跳ね散る。
雨なんか降っていただろうか。
無意識に唇がつり上がって、俺の耳朶に音がきこえた。威嚇する獣のような低い声、それが笑い声だと気がついたときにはもう俺のからだはその場から動き出していた。ジグザグの視界の中、階段を一段一段丁寧に下っていく。埃が舞い散り視界を塞ぐ。口許が緩む。今にも大笑いしてしまいそうな自分が酷くおかしかった。


「幸村、くん……?」


自分の名前に振り向くと、雪羅さんがそこにいた。優等生のようなきっちりした服装が聖母みたいな顔にマッチしている。ぱっちりとした目は薄く見開かれ、俺をとらえている。赤く熟れた唇が林檎みたいに赤赤と光っていた。

「ねえ、雪羅さん」

唇から薄い笑いが溢れた。どろりとした液体が沸き上がる。
その液体は血管を通り体を循環し俺の全身を回る。
蝉の声が頭の隅っこのほうで蚊の鳴くような小さい音で残っている。あのセミは何の蝉だっただろうか。蜩? 熊蝉?
独特の羽が擦れる音だった気がする。でもなんの種類かは分からない。


「うそ……でしょ」

「嘘じゃないよ。疑うんだったら見てくるといい」


青ざめた顔をした雪羅さんは余裕を殺した顔をしていた。俺は彼女を視線からフェイドアウトさせて階段を降りる。タンタン、足音が埃まみれの廊下に響いた。埃苦しいこの場所は息をするには苦しい。

「……助けて」








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