幸村精市 五月二日




仁王に忠告しにいったあと、部室にかえって一息つくと真田が声をかけてきた。

「酷い顔だぞ、幸村」

「……真田」


青い顔をしていると心配そうに言う真田に苛立ちを覚えた。なんで真田は丸井を守る?どうして?あんなやつのことを?友をイジメテイタ癖になんであんなにのうのうとしていた奴を?
………落ち着け。ここはテニス部の部室だ。ここではテニス部の幸村精市でなくてはならない。大丈夫。俺は、幸村精市。テニス部の幸村精市だ。


「すまない、どうにも昨日から気分が良くなくてね」

「無理をするな。今日から大事になるのだ。お前がいないと解決するものも解決しなくなる」

「……ああ。分かっているよ」

「では、行ってくる」


部室からいなくなった真田の後を追いかけるように、ラケットを持って部室を出た。




気が付けば夕暮れが差し込む穏やかな陽気になっている部屋にはもう人が俺達以外人はいない。戸締まり確認を終わらせた真田が帰ってくる。


「幸村君」

「幸村、どうしたんだ」

二人を前に唇をあげると、二人して戸惑うように声をかけてきた。後ろにいた柳が二人をテレビの前に二人をつれていく。柳は無表情で少しだけ怖い。二人とも顔が強張っているのが分かった。真田が唇を噛んで、ムッと口を結んだ。柳が流れる水のように清涼な声で二人に話しかける。


「二人とも残って貰ってすまない。二人には少し訊きたいことがあってな」

「は?訊きたいこと?」

「だったら普通に訊いて貰えばよかったのによ。いきなり残れとか言われたら怒られるかもって思ったじゃん」

「いや、場合によっては怒ることになる。だから、残って貰った」


二人の雰囲気がかわった。丸井は困惑した様子、山木山は緊張した様子になった。柳はそれを見て、ふっと目を細める。いつも見えていないが、さらに細まった目は目を瞑っているかのように見えた。


「いきなりだが本題に入りたい。哀川友を知っているな?」

「っ!」


丸井が激しく動揺した。息を飲むのがここからでも分かる。俺は海で息をするような気分になった。息苦しくて仕方がない。だけど、この状況は俺がどうにか出来る程簡単なわけでもなかった。俺は閉口する。口を開くことがかばかられることもあったがそれ以上に何かを言い出しそうになってしまったから。


「知ってる」

丸井は確かな口ぶりでそう言った。そこにはさっきまでのおちゃらけた雰囲気はない。真田がゴクリと唾を飲み込んだ。丸井は柳を見つめながら、再度口を開ける。

「それが、どうかした?」

柳は丸井の強張った声を一蹴するように近くの椅子に座ると、優しい声色で、毒のように吐きかける。花のような甘い匂いが漂ってきそうな、そんな声だった。

「彼女はどうやら過度なイジメを受けていたらしい」

「は?過度?当たり前の間違いじゃねぇの?」

低い丸井の声が出た。不満をのせたその物言いに俺の中にある心のコップが真っ赤に満たされた感覚がする。

「丸井、俺達が介入してくるぐらいなのだ、分かるだろう。それとも目にあまるとでも言い換えて欲しいのか?お前のイジメはやり過ぎていたのだ、まあ正確にいうのならばお前のイジメはやり過ぎまでいってしまったんだ」

「どういう意味だよぃ」

「見れば分かる。だがしかしその前に、山木山、お前を呼んだ意図を説明しておこう」


今までなんにもアクションがなかった山木山がゆっくりと緩慢な動きで視線を柳に投げる。柳はその視線を見つめ返すと、小さく手を動かして、ジャージの袖を擦る。

「哀川友は知らないだろうが、西置 湯佳は知っているな」

「なんで西置のことっ」

「お前が小学生で泣かせてしまった女のことを俺が知っていて悪いか?」

「っ!……まじかよ」


西置さん、あのとき俺に雪羅さんがイジメラレテいると言いに来た子か。
蓮二が知っていることは驚くに値しない。蓮二はいつもこうやって、対峙する前に相手のことを調べ尽くしているから。きっと今回も、無理して今日中に手に入れた情報なのだろう。昨日からすぐの行動だったから、酷く焦って間違えていないか一回頭で反復してきいた。山木山に話し掛ける前にジャージの裾を擦ったのはそのせいだろう。一種の宥め行動というやつだ。


「山木山、因みにお前は哀川友と会っているはすだ。一度も同じクラスになったことがなく、名前をしらないだけでな」


立海はマンモス校だ。一学年で何百と人数がいる。その中で名前を覚えていない人間は名前を覚えている人間より多いだろう。柳の台詞は正論だった。正しすぎるほどに。


「山木山、俺は知っている。早めに言いわけをしたほうがいいぞ」

「なんの話だよっ」

「堤腹先輩としていた悪趣味な趣味なことだ」

「……堤腹先輩って……?誰だよぃ?」



丸井と意見が被った。先輩っていうぐらいだから、年上のは分かるのだけど、名前だけじゃ顔が出てこない。頭を悩ませて、小さく首を捻ると柳が可笑しそうに俺に視線を向ける。途端に何を考えているのだと思い顔が赤くなる。俺は、丸井と一緒に人物の名前を悩む為にここにいるわけではないのに。


「堤腹裕界。覚えていないか?去年の関東大会不動峰戦でたった一人負けた先輩だ」

「ああ!あの、ゲームメイクが弱い先輩な!相手を挑発するの上手いけど、あの人あんまり挑発とかしないほうが勝てんじゃね?とか仁王と言い合ったの覚えてるわ!」

「堤腹先輩はスゲエ人だっ!侮辱すんなっ!」

「は?」


部室中に響き渡った大声は驚いたことに山木山が発したらしい。丸井は間の抜けた声をあんぐりと口を開けて出し、グッと目を開いた。
真田も少なからず驚いているらしい、カッと目を見開いて山木山を見ている。


「ぶ、侮辱したとかそんなんじゃねえよぃ、ただ、なおしたほうが」

「お前らはいつもそうだよなっ、自分達が出来ますって顔して批判しやがってっ!」

「なっ」


丸井が絶句する。丸井にとってすればテニス部のやつらは皆仲間だ。初めてきいた仲間の本音にびっくりしているのだろう。
俺と柳と真田は顔を見合わせた。俺らにはよく影で言われていた言葉だ。僻んでいると、わかっているからそうっとしておいたこの言葉達。丸井は言われ慣れているわけではなかった。しかも仲間と思っていた人間から、は特に。

時々、こういうときが嫌になる。仲間の存在が。とても苛立たしく感じる時がある。


「堤腹先輩は違う。お前らみたいにお高くとまってなくてフレンドリーで、色々教えてくれるいい先輩だっ、お前らみたいな奴等が堤腹先輩を侮辱すんじゃねぇっ!」


レギュラーと平部員の確執。それが浮き彫りになる。いつもは全国大会という一つの目標があるから一丸となっているように見えるけど、中を開けたら電子回路みたいに複雑な構成になっている男子テニス部。

それは『俺達』のせいであるけれど、『俺達』のせいではない。矛盾した原因。俺達はそれを歪みと呼んでいる。テニス部の歪みと。その歪みは中学校から続いている。俺達が、レギュラーの座を得たあの時分からいまに至るまでずっと、重い歯車となりながら。





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