あなたのことが好きだった。
最初は、跡部さんが気にしているようだったから見ているだけだった。遠目でも分かる平々凡々とした顔立ち。そんなあなたに跡部さんが熱い視線を送っていることが気になって、俺も同じように見ていた。
廊下ですれ違ったことがあった。花の香りだろうか、いい香りがした。学年が違うからなかなか会えないが、すれ違う度に跡部さんの気持ちが分かっていった。あなたはとても魅力的な女性だった。
俺は鳳に連れられ、あなたのピアノを聴きにいったことがあった。嫉妬に狂ったサロメのように荒々しい演奏に、心を奪われた。あなたの激情に、俺は感じ入った。
でも、どうしてだろう。俺の気持ちはだんだんと薄暗くなっていった。一つ違う学年。会ったことない人。あなたにとって俺は赤の他人だった。
接点はない。近づけば関心のない目線で、こちらを虚無な眼差しで見やるだけだった。
声をかけようと思った時もあった。でも、どう声をかけたものかわからなかった。
俺ばかりが思っていることに疲れたのか、それとも単純に好意を示したかったのか、俺は朝の走り込みの帰りにあなたの家に花を置いて帰ることにした。あなたの家は尾行をして突き止めた。しょうがない、面識などないのだから。
花は、家にあった青い薔薇の花だ。親戚が植物の研究をしている人で、青い薔薇が作れたからと送ってきたのだ。花言葉は奇跡。あなたに会えた奇跡を思って捧げることにした。
玄関先に置いて、俺は一度家に帰った。制服に着替える為だ。制服に着替え戻ってくると、近くの植え込みに体を隠す。あなたが家を出る時間は決まっていた。それも何週間と張り込みをしたから知っている。結構早くに出るから、俺としても助かっていた。朝練はしっかりとしたいからだ。
あなたが家から出てくる。俺の心臓がドクドクと早鐘を打った。
喜んでくれるだろうか。
しかし、俺の予想とは裏腹にあなたは顔を真っ青に染め上げて、青い薔薇の花束を見ていた。
数秒してあなたは家の中に戻っていく。随分と待ってみたけれど、その日あなたが家の中から出てくることはなかった。
それから何度か薔薇の花束を送っていると、ある日、あなたが蚊の鳴くような声で跡部と名前を呼ぶのが聞こえてきた。ギョッとする。跡部さんと面識があったのか。俺はてっきり跡部さんも俺のように面識がないものばかり思っていたのだ。だから俺とは違う土俵に立っている跡部さんに、怒りを覚えた。
どうして跡部さんなんだ。
俺じゃあいけないのか。
俺はあなたと跡部さんのことを調べた。跡部さんに怪しまれないように聞いて回るのは大変だったけど、あなたのことをもっと知るのだと思うとなんてことのない。
調べて回ると、女達があなたの悪口ばかり言うものだから少し痛め付けてやった。あまりに酷くし過ぎると俺もボロを出してしまいそうだったらから軽めにだ。あなたに悪く思われたくないし。悪いことは極力しないように努めた。
でも、女達から聞き出した話に俺は愕然とした。
跡部さんとは小さい頃に仲が良かった。でも今は疎遠になっている。会話はおろか接点すらない。
跡部さんはあなたとまたやり直したいのではないかと思った。
俺にはない過去であなたを縛りあげて、捕らえるのではないか。
想像は膨らみ、嫉妬心だけが肥大化していった。胸の奥で黒いわがかまりが日に日に増して行くのが分かる。理性で押さえつけようと必死になって、でも押さえつけられないで溢れて、理性と本能の狭間を行き来していた。
抱きしめて、身の丈にあわないほどの情念で抱き殺したくなった。ジリジリと焼ける理性の箍を外さないようにしっかりと握る。それも長く続かないことはわかっていた。
箍が外れたのはある日のことだった。いつものように青い薔薇を置いた俺は植え込みに体を隠した。
あなたが出てくるのを待つ時間は俺にとって至福以外のなんでもなかった。あなただけを考えることが出来る。それは、現実逃避にも似た酩酊感のある快楽だった。
あなたが出てきて、またいつものように青ざめた顔を湛えた。でも、それは数秒のことで、正気に戻ったあなたが左右を見渡して、辺りに誰もいないことを確認して座り込んだのだ。
そして、花びらを一枚とって、縦に切り裂いていく。
ああ。
奇跡の花が、散って行く。
散らされて行く。
青い花弁は風に流されて、俺の足元にまで来た。
何枚も流れてくる。
……なんて顔をしているんだろう。
あなたは蕩けるような淫らな顔で、一つ一つ割いていく。
花を壊して行く。

悦に浸っている。
俺の花を裂くことで?
いや、違う。あなたはこの花束が跡部さんからくるものだと思ったはずだ。
だって、俺の薔薇を見て跡部と呟いたのだから。
だったらその乱れた感情は跡部さんに向けてのもの?
俺があげた薔薇の花なのに?
カーッと顔面が赤くなるのを感じた。屈辱だった。頭の中のすべてが煮詰まって、理性が弾け飛ぶ。
これまで俺がしてきたことをしらないで、それでいて他の奴のためにそんな顔をするだなんて、対した裏切りじゃないか。
俺が用意したのに、それを切り刻んで、跡部さんを思うだなんて。
俺の気持ちを踏み躙って、跡部さんに注いでいるようじゃないか。
跡部さんに目をやるあなたなんていなくなればいい。そうだ、跡部さんがいない場所に連れて行こう。宝箱の中に閉じ込めるように監禁して、仕置きすれば移り気な心を改めるに違いない。
そうして俺がじっくり意識を植えつければ、今度は跡部さんのためではなく、俺のために淫猥な顔を見せてくれるだろう。


そう思って、俺は紆余曲折あったが伊織さんを手に入れることが出来た。鳳には感謝しないとな。伊織さんを正解に導いてくれたんだから。
携帯がバイブル音を響かせて鳴る。そうそうこの人もいた。
ボタンをタップする。
「こんにちは滝さん。今回はありがとうございました」
「こんにちは。いやいや、お礼を言われることはなにもしてないよ。日吉」
今回の功労者。俺の仲間でもあった滝さんに礼を言うと謙遜された。
滝さんは跡部さんの仲間であった忍足さんのように俺の仲間だった人だ。
跡部さんについていろいろ言ってもらったり、忍足さんの信用を落としてもらったり、工作をしてもらった。
「いえ、滝さんがいなければきっと無理でしたよ」
「そうかな? 彼女は脆かったから、案外そうではなかったかもしれないよ? でも、そうだね。そこまで言って貰えるなら加担したかいがあったな」
フフフと、悪役のように笑う滝さん。
とても監禁に加担した人間だとは思えない。悪意という言葉を忘れてしまったような声だった。
俺にとってはその悪役じみた感じが心地よい。
「それでどうかしましたか」
「 一応後日談はきいておきたくなってね。伊織ちゃんはどう?」
伊織ちゃんと名前を呼ぶ滝さんに顔が強張る。出来れば俺以外に伊織さんの名前を呼んで欲しくない。
跡部さんにだって呼ばれたくなかったのに。
だが、今まで手伝ってくれた人だ。それぐらいは大目にみよう。
「今は落ち着いていますよ」
「そうか、脆いけど諦めは早いほうだもんね」
「内心ではどうだか知りませんが」
俺がいる時は冷静な様に見える。
いや俺に見せる顔はほとんどが冷静沈着だ。滝さんに跡部さんのことを探られた時は酷く冷静を欠いていたと聞いたが、そんな様子は全くない。
落ち着き過ぎているようにも見える。
「出ることを諦めているようだったかな」
「それは違いますね。跡部さんが逃げたと嘘をついた時にも警察に電話してと言っていましたし」
もちろん警察に電話なんてしていない。そんなことをしてしまったら今までのことが全部無駄になってしまう。
とはいえ、跡部さんがいつまでも俺に彼女を監禁させるとは思えない。きっと痺れを切らしたら跡部さんが警察に保護するように持ちかけるだろう。
跡部さんだって伊織さんを手に入れるためにいろいろと工作しただろうから、そのほとぼりが冷めた頃にだろうが。
ふと俺が数分遅れていたら跡部さんが伊織さんを攫っていただろうということを思い出す。ということはそれまでに警察に引っ掛からないよう根回しをしていたのだろう。
俺がこうやって普通の学校生活を送れるのも跡部さんの尽力のおかげだったりして。
ありがたいとは思わない。
むしろ悔しい。
自分にないその力がとても。

「警察に通報していなんでしょ。伊織ちゃんにはなんて言ってるの?」
「通報したといいました。でも跡部さんが圧力をかけているだろうから助けにはこないはずだと言っています」
「そっか、あながち間違いじゃないから説得力あるね」
滝さんは納得したように笑った。
「詳しくきいていませんでしたが何故俺に加勢してくれたんですか」
滝さんだってこれが犯罪に引っかかることは分かっているだろう。それでも手伝ってくれる理由が分からない。
訝しんでいる俺に、年上らしい豪然とした様子で言った。
「後輩を手伝うのは先輩として当たり前だろう」
「……はあ」
「あ、疑っている?」
疑っているというか納得できないだけです。素直にそういうと苦笑を返された。
「後輩を手伝いたかったというのは本当。でもそれだけじゃないよ。俺は小さい頃に好きだった子の仇討ちがしたかっただけ」
「仇討ち……?」
そうそうと負の感情なく滝さんは肯定した。
「初恋の子。なんだかその子がいいように遊ばれてたってきいたらさ、今はその気がなくてもむすっとしちゃうじゃん」
「そういうもんですか? 伊織さんが初恋の相手なんでなんとも」
でも確かに伊織さんが他の男に遊ばれていたら面白くない。だいたい伊織さんに俺以外が声をかけることだって許し難い。
「ウブだねー。ま、そんなわけで日吉を手伝ったわけ」
じゃあ跡部さんが滝さんの好きな子を弄んだのだろうか。
伊織さんがいながら?
……ますます伊織さんに会わせたくなくなった。
「おっと、こんな時間だ。そろそろ切ろうかな」
「はい。分かりました」
「あ、そうだ跡部さんのことなんだけど」
切ろうとした直前、滝さんが追伸のおうにいうから気になって繰り返す。
「跡部さんのことですか?」
「そう。どこまで意図あったんだろうね」
「意図?」
意図とはどういう意味だろうか。
分からないと首を傾げたのに気が付いたのか、滝さんが詳しく話してくれた。
「なんか釈然としないんだよ。あっさり過ぎないかな、跡部の身に引き方」
「それは、そういう約束をしたからじゃないんでしょうか」
「監禁を計画した人がかい?」
俺にも言えることだが、そういえば監禁を計画するぐらい執着していたのに、引き際はあっさりとしていたような。
跡部さんらしい。だけど人間らしくはない。浮世離れしている跡部さんでも感情があるのならば、ああまであっさりと身を引けるだろうか。
疑問が頭を擡げる。
「それに跡部の行動一つ一つに積極性が見当たらないような気がする。本当に勝ちにいくんだったら忍足よりも樺地に世話を任せると思わない? 樺地は見た目こそあの通り巨体だけど、純朴さでいったら右に出るものはいない。信頼を勝ち取るならば忍足じゃなく樺地のほうが有効だと思うけど」
「樺地は跡部さんと昔からの付き合いのはずですよね。伊織さんがそのことを知っていたら疑うと思ったのでは?」
「そうかもだけど、それにしたってなんで忍足って感じかな。人選ミスでしょ」
だが、他に誰がいる?
宍戸さんは正義感が強いから監禁されている伊織さんを放置していうわけないだろう。芥川さんは寝ている、向日さんは……頼りない。
レギュラーの中で考えたら忍足さんはいくらか増しなんじゃないだろうか。
「忍足さんで妥当だと思いますけど」
「そう? じゃあ俺の思い間違いかな」
「他にも何かありますか」
無理に納得した気になって、不満を払拭するために滝さんに尋ねた。
うーんと数秒考える時間が置かれて、滝さんが話し出す。
「仮説だからまともに取り合わない欲しいんだけど、跡部が日吉が勝つことを予想していたんじゃないかって思うんだよね」
「勝つことを予想していた……?」
「正確には跡部が日吉が勝つように仕組んだんじゃないかって思ってる」
絵空事のような話だ。俺に勝たせてどうするというのだろう。だって、跡部さんに益はない。それどころか俺に伊織さんを盗られ損失ばかりだ。あの人の伊織さんに対する執着は本物だ。
俺に勝たせてなんの得があるというんだろう。
「日吉は伊織ちゃんから跡部に壊されるかもしれないって話しきいてないよね」
「…………きいたことないですけど」
「跡部じゃなくて自分が自分を壊してしまうんじゃないかって酷く怯えていたっけ」
「それとこれとどう関係があると?」
回り回った言い方に焦れてきた。急かすような口調になってしまう。そんな俺をなだめる声で滝さんが語り出す。
「跡部が日吉を勝たせるように計画したならばそれが目的なんじゃないかって思ったんだよ」
「さっきから言っていますが、跡部さんがそんなことをして何の得があるんですか」
「だからね、伊織ちゃんを壊すためにだよ」

……!
もしかして。
自分自身で自分を壊すことは出来ない。でも、自分自身を壊すという行為には様々な方法がある。例えば、自分が選んだ選択の先に破滅が待っていたとしたならば、それは結局自滅と、自分を壊したとなるのでないだろうか。
己の判断によって間違え、自爆し狂ってしまう。
もしそれを跡部さんが狙っているとしたらどうだろう。
一気に鳥肌が立つ。正気じゃない。好きな人を壊すためにわざと負けて、俺に伊織さんを預けるだなんて。
伊織さんをこのまま監禁して外との接触をなくしていけば、視野が狭くなった伊織さんが俺だけを求めてくれるだろう。跡部さんじゃなく、俺だけを。俺の一挙一動に目を凝らして喜怒哀楽を繰り返すだろう。日吉若がいないと生きていけない身体にする。いついかなるときも俺だけのことだけを思う彼女。
結構するための努力は惜しまなかったし、決心は理性が死んだ時にとっくに決まっていた。
俺は壊れた彼女を手にするために動いていた。監禁して自由を奪って思想を植え付けて洗脳して、ボロボロにしようとした。そしてこれからそれを実行に移すだろう。
でも、もし出来上がってしまった伊織さんから俺をとったらどうなるんだろうか。
発狂するだろうか。してくれるだろうか。いいや、発狂させるほどに彼女を愛するのだ。そのくらいじゃないと俺の心を踏み躙った伊織さんを許せそうにない。
でも、それが跡部さんがあんなにも消極的だった理由だとしたら?
「日吉にわざと伊織ちゃんを壊させようとしているんじゃないかって危惧しているんだ」
「…………ありえませんよ」
慧眼や悟性があるからといって、そこまで考えて行動していたら正真正銘の化け物だ。だいたい、賭けに出過ぎている。確実な方法が五万とあるはずだ。俺に片棒を担がせるだなんて、思い違いも甚だしい。
「考え過ぎですよ。切りますね」
「うん、じゃあね」
滝さんに挨拶をして今度こそ切る。
上手くいったんだ。今は上手く行き過ぎて不安になっているだけ。すぐにこんな不安も忘れてしまうに違いない。
そう思っても胸に住み着いた薄暗い感情が消えない。瞳を閉じて気分を入れ替える。
そういえば伊織さんと、外に出たら和菓子を食べる約束だった。
外ではないけれど、買って行こう。
苺大福でいいかな。
そう決めて軽やかに一歩踏み出した。




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