「日吉」
「ああ、跡部さん」
氷帝の廊下はピカピカに磨かれていて、まるで大理石で出来ているようだ。
踏み付けるたびに自分の顔が映り込んで、歪んだ影が出来た。
唇から笑みがふとこぼれそうになる。
笑い出しそうになるのを必死に堪えて跡部さんの表情を伺うとあまりの無表情にさらに笑いを誘われた。
「どうしました、伊織さんのことですか」
思わず口の先から出たクスリという笑い声に跡部さんは敏感に反応した。
分かりやすいな。
こんなに分かりやすい人だっただろうか。愉快な気持ちになって結局口元を吊り上げてしまった。
「嬉しいか、望んでいた通りになって」
「貴方が邪魔しなければもっと早くこうなっていたんですがね」
俺が攫った時点でこの人が駆けつけてこなければ最初から伊織さんは俺のものになるはずだった。邪魔さえされなかったらこうなっていたのに。
全く、カンのいい人だ。
しかし、そのカンも伊織さんの選択によって強制終了。だからこうやって俺を皮肉るしか出来ない。
「公園であいつを攫おうとしているテメェを見たときギョッとしたぜ。日吉」
「でしょうね。貴方のやろうとしていたことを俺が先んじてやっていたんだから」
伊織さんに話したことはほとんど合っている。だが、前提が間違っていた。
跡部さんは伊織さんを攫っていない。
正式に言えば、攫う前に俺に攫われたのだ。
つまり、遠くから駆けつけてきた方が跡部さんで、俺が伊織さんを攫おうとしていた。
あの人は簡単に騙されてくれた。それだけ、跡部さんが信用ならなかったのだろう。
まあ、俺が先んじていなければ、跡部さんが攫っていたんだろうが。
「テメェが伊織のことを知っていたとはな」
「接点はありませんよ? 俺は遠目から眺めていただけです。いつも」
毎日、跡部さんの視線の先にいる彼女を見つめていた。俺のことを知らない彼女を見ていた。
絶対にこちらを見ない彼女を。
「でも、まさかこんなクイズに参加させられるとは思いませんでしたよ」
「……テメェが手荒い解決法を使えば伊織を殺すと言ったからだろうが」
「ええ、俺には権力はないので。伊織さんには悪いですが、人質にさせてもらいました」
効果は覿面。跡部さんは仕方なくあんな手に出たのだ。
すなわち。
「伊織さんに犯人が誰であるかを当てさせる。勝敗の決め方は意外でしたけどね」
提案してきた跡部さんは、伊織さんが犯人を見つけられないほうに賭けた。勝率が高いというのと、伊織さんが当てれるわけがないと踏んだのだろう。
跡部さんにとっての誤算は鳳が味方につき、犯人を当ててしまったことだ。
伊織さんが鳳に頼らなければ、もしかしたらこの賭けは跡部さんが勝っていたかもしれない。
そうはならないように、俺もなるべく分かりやすく犯人だと主張したつもりだが、伊織さんが混乱する原因になったようだった。ああいう頭の足りないバカでお人好しなところも可愛いのだから、伊織さんは得している。
「あいつに推理出来るわけねえ」
物知り顏で言われるとムッとしてしまうが、俺が勝ったことを思い出して嘲笑に変わった。
「頼ることは出来ましたよ」
伊織さんを舐めているからそうなるのだと暗に言ってやれば、今度は分かりやすく跡部さんがムッとした。
「それにしても跡部さん。悪人ヅラがいたに付いていましたね。練習でもされましたか?」
「テメェこそ善人ヅラに吐き気がしたぜ? よくもまあのうのうと伊織に会えるな」
「面の皮が厚いので」
だいたいそれぐらいで感じ入るほど出来た人間ならば監禁しようなどと思わないだろう。
跡部さんだって同じはずだ。
「ハッ、まあいい。偽善ぶったテメェの面なんて見てられねえしな」
「負け犬の遠吠えとでも思っておきましょう」
「勝手に解釈するんじゃねえよ」
バツが悪そうに舌打ちして、跡部さんが俺の隣を通り過ぎようとした。あまり学校で口論するのはヤバイ話題だから切り上げようとしているらしい。
跡部さんには周りの目をある。
さわぐのは得策じゃない。
「ああそうだ」
すれ違った時、跡部さんが囁いた。
「日吉、テメェは臆病者だな」
「なっ……」
動揺して振り返る。
そこには、ムスッとした跡部さんもバツが悪そうに舌打ちする跡部さんもいなかった。
いたのは、悪魔のように魅惑的な笑みを浮かべる跡部さんだけ。
身体が、知らず知らずのうちに震えていた。
「伊織と学校で一回も会話したことねえらしいじゃねえの」
「…………」
なぜそれを知っている。
「懸想していたくせに声一つかけられねえたあとんだストーカーもいたもんだな」
「なんだと」
「よくもまあ話したこともないやつにそこまで執着出来るな」
「あなたにだけは言われたくない!」
喉の奥がひりつく。頭に血がのぼっていた。遠くにいた生徒が驚いたようにこちらを見てくる。視線が煩わしくて、跡部さんを睨みつける。
「貴方って似たようなものでしょう。幼少期の数年間を一緒に過ごしただけだ」
「会ったことあるかないかは重要だろうが。一ついいこと教えてやるよ。あいつがなぜ鳳を信じる相手に選んだんだと思う?」
「それは……貴方と会った次に来たからだって」
「本当にそれだけだと思うか? 深層心理じゃあ自分の益になってくれそうな奴を選んだだけなんだよ」
辛辣な物言いで跡部さんは続けた。
「あいつはそういう悪い女だ。唾液垂らしてよがってると思ったら誰にも腰を振って楽しんでる淫乱なんだよ」
「…………」
下品な言い方に片眉が上がる。伊織さんを貶めてなにが楽しいんだろうか。
「だからあいつに好意的な鳳を選んだ。運だと思ってんのは伊織だけだぜ」
「跡部さんの推測だ。そんなのに俺は惑わされません」
「そうかよ」
俺の視線を流して、今度こそ跡部さんは立ち去っていった。
伊織に愛してると伝えろと言い残して。
辺りは跡部さんがいなくなったこともあってこちらを気にする人間はいなくなっていた。
グッと握りこぶしを作る。
誰がいうものか。
頭を振って教室へと戻るため踵をかえした。







「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -