その日はちょうど部活が休みで、帰りがけなんとなく寄った公園でそれは行われていました。
女の子。貴女、でした。後ろから羽交い締めにされて口を塞がれているように見えました。犯罪の香りがしました。
貴女とあったことはありませんでしたが、女の人がそんなことをされているのを見過ごせるほど、俺は人間を捨ててはいません。
目を凝らしてみると、氷帝の服が見えました。同じ学校の人間だと思うと知らず知らずに足が速くなりました。
でも、その足は女の子に近付くうちにゆっくりになりました。
貴女を後ろで捕えている男が、見えてきたんです。
深い青色を瞳に帯びた跡部さんがいました。
ギラギラと目を光らせる跡部さんに呑まれて後ず去ろうする足を必死に動かしました。
跡部さんはまるで貴女を捕らえる蜘蛛のように、首に腕を回してこちらを探るように見ていました。
貴女に意識はないようでぐったりとしています。後ろから支えるかたちで立たせられていました。
冬の木枯らしのような強い風が吹きました。
「何をやっているんですか」
訝しみを声色に乗せて訊くと、ククっと状況に似合わない笑い声が響きました。
跡部さんは笑っていたんです。
凄惨に、笑っていました。
「なに? 愚問じゃねえの」
眉間に皺が寄ります。
跡部さんが婦女誘拐を企んでいるようにしか見えません。
跡部さんが理性的であることを部活で知っている俺は、それが受け入れられませんでした。
「分からないから言っています」
「教える義理はねえ、と言いたいところだが気分がいい。教えてやるよ」
気分がいいというわりには、上機嫌のようには見えませんでした。
警戒をしている視線が貫くように突き刺さっているからです。
「花嫁を迎えに来た」
ーーーー花嫁?
飾った言葉に思考が持っていかれました。
腕に抱いている女のことだろうというのは分かりました。でも、こう言ってはなんですが、跡部さんと貴女が釣り合うようには見えません。
跡部さんに迎えられるほどの何かがあるとは思えません。
顔に出ていたんでしょう。そんな俺を跡部さんは嘲笑しました。
「日吉なんかに分かってたまるか。これは、俺の女だ」
跡部さんは女関係が華々しいと聞きますが、こんなに独占欲を出すほどの交際は聞いたことがありませんでした。
「なぜ、こんなことを」
正式な恋愛関係だというならば公園という衆人監視のもとでさらうことはしないでしょう。もしかして同意なしでさらうために?
意味が伝わったのか、はんと鼻で笑われて緊迫した状況であるにも関わらずイラっとしてしまいました。
「だったらどうした。警察にでも行くか」
「今すぐやめて下さい、でなければそうなることになります」
「さて、テメェが通報するのが先か、それとも俺がもみ消すのが先か。試すか」
挑戦的な言葉は警察に通報しても意味がないことが示していました。こめかみがジリジリと焼けるように痛みました。
「こういったことは双方の同意をとるべきです」
「俺がなぜこいつの意見をきかなきゃならねえ」
「あなたはこの人のことが好きなんではないんですか?」
「同意は必要ない」
「跡部さん!」
叫んだ俺を煩わしそうに一瞥する跡部さん。冷ややかで、理性を押し殺したような狂気が瞳に浮かんでいました。
とにかく、二人を離さなければ。跡部さんと貴女に近寄ると、テリトリーに入った敵を警戒した跡部さんにきつく睨まれました。
「とりあえず、一旦落ち着きましょう」
視線を気にしないようにして、視線でベンチをさしました。
しかし跡部さんはギロリと俺に強い眼差しを向けただけでした。
辺りはしんと静まりかえっていました。それもそのはずです、夕方だというのに子供一人いません。人払いがしてあるように誰もいませんでした。
警察に通報しても意味がない。跡部さんはそう言っていました。だったら権力を傘にきて人払いをさせたのだと思いました。
誰にも助けを求められない。
ここで俺が怯むわけにはいかないと、拳を強く握りました。
「見逃せ」
「見逃したらその人はどうなりますか」
「テメェには関係ねえ」
「殺すんですか」
「……殺すわけねえだろ」
威圧感たっぷりな声のあと、跡部さんは貴女の頬をさすって恍惚の表情を見せました。
俺が愕然としてしまって、貴女と法悦としている跡部さんを見つめてました。
始めてみる跡部さんの痴態に、口の中が震えました。
快楽に酔って、甘ったるい視線を貴女に投げかける。退廃的な跡部さんは何度か貴女の髪を撫でたあと、強烈な憎悪をこちらに向けてきました。
邪魔をするなと言いたげでした。
それどころか、貴女以外視界にいれたくないとばかりでした。
「もういいか。暇じゃない」
踵を返そうとする跡部さんになにも声をかけられませんでした。
どうしたらいいのか。どうしたら跡部さんは考えなおしてくれるのか。頭の中でグルグルと言葉がまわりました。
でも諦めてはいけない。
同意なしに攫ってしまうほどの狂気。
でも、なぜわざわざ後ろから襲い攫おうとしたのか。そっちのほうが抵抗が少ないからもあるだろう。だが、もし正面きって会えないほど交流がなかっったら? あるいは自分を拒まれるのがいやだったとしたら?
相手に拒否出来る場さえ用意出来たら、跡部さんは諦めるのではないだろうか。
好きな相手に完全に拒否されて、それでも続けることが出来るだろうか。
跡部さんならできるかもしれない。
だが、試してみる価値はある。
「跡部さん、勝負しませんか」
努めて冷静に。そして慎重に。俺は言い放ちました。もしかしたら声は震えていたかもしれません。なにぶんこんな体験は初めてなもので、みっともない醜態を跡部さんの眼前にさらしていたかもしれませんでした。
「簡単な勝負です。数学の教科書にも載っていました。嘘つきを探すゲームです」
この際時間さえ取れればなんでも良かったんです。
それが出てきたのは、偶然としか言えませんでした。
「あ?」
怪訝そうな顔をして、跡部さんが振り返りました。
瞳には少しだけ好奇心が覗いています。
今ならばのせることが出来るかもしれない。
口の中にあるツバを飲み込んで矢継ぎ早に提案しました。
「跡部さんが勝てば、その人のことは口外しません。一生口に出しません。でももし俺が勝ったら」
「解放しろ、とでも?」
「ええ」
好奇心が闘争心に移って行くのが分かりやすいぐらい見て取れました。
「お前の利点はなんだ」
「ただ、ここで見逃せば気分が悪いだけですよ」
「……そうかよ」
信じていないというよりどうでもよさそうな声色で跡部さんは同意しました。
顔に浮かべている表情は、心象をありありと示していました。
そんなことやる意味がどこにあるという呆れでした。
確かに跡部さんが俺のいうことをきく利点なんてありません。
「Who can hold men's tongues?」
「誰が人の口をおさえていられる。人の口に戸は立てられない。……へえ? 俺様を脅す気か」
「どうでしょう。しかし、悪事は千里をかけるものです。とくに学校という閉鎖的な空間においては」
「俺が意に返すとでも」
「貴方が意に返さなくても、貴方の周りはそうじゃないでしょう」
身の回りも華やかな跡部さんならば、彼に心酔している人間が下世話に探りをいれてくるだろう。
探りを入れられたくないだろう。
好きな女のことになったら特に。
そう思って言ったてみたら跡部さんも想像できたのか舌打ちされました。
「下手な脅迫だ」
「受けてくれますか」
「……いいぜ。受けてやろうじゃねえの」


まあ、そんな感じで、貴女がここに運ばれて来たというわけなんです。
俺を真犯人としたのは貴女にこういった事情であることを説明して、誤解を防ぐ為でした。
滝さんや忍足さん、鳳を呼んだのは跡部さんさんです。貴女を惑わすために呼んだんでしょう。現に貴女は判断が出来ずに鳳に丸投げした。
それだけ貴女のことを理解しているというのは恐ろしいものがありますがね。
あ、いや、そこまで青くならなくても。
……大丈夫ですか?
あとは、なんでしょう。
跡部さんが貴女に会いにきたのは焦れたからだと思います。あまり気が短くありませんから、あの人。
…………ええ。もう十分です。
納得しましたか? そうですか。
じゃあ、跡部さんに報告してきます。
すぐ戻ってきますよ。
その時には出られますから、大人しくしておいて下さいね。











「っ、どうすれば……伊織さん、起きて下さい! 起きて! くそっ、どうしよう! ああ、俺が遅れたせいで! なんてことだ! 跡部さんが逃げました。氷帝のどこにもいません! イギリスに行ったって聞きました。どうしよう、鍵が。跡部さんしか持っていないのに!」
「……え?」
「鍵が。貴女をここから出すための鍵がないんです。どうしたら、どうすれば……!」
「そ、そんな。嘘、ですよね?」
「ごめんなさい。ごめんなさい……」

「そんな、どうして」
どうして裏切ったの、跡部。
胸が痛い。ジリジリと砂を心にねりこまれたように。
頬を涙が伝う。
希望が叩き潰されて絶望に変わる。
ぐしゃりぐしゃり、踏み付けられた心が音をたてる。
何度踏めば砂と交じって痛まないようになるだろうか。
そうすれば心はもう痛まないだろうか。
もう嫌だ。
誰でもいいから助けてよ。









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