少女


跡部景吾は恐ろしい。
私だって最初は思っていた。彼は正気であると。

子供が無鉄砲に八つ当たりしているようなものだ。だから、精神的に大人だった跡部が付き合ってくれているように思えたのだ。
いってみればだだをこねる子供のような私を見守ってくれたように思えたんだ。

あれ、おかしいなと感じたのは跡部がこれも壊して構わないぜと言って自分の宝物を差し出してきたときだった。

何色もある虹のようなクレパス。愛用していた万年筆、ヘッドのシューズ。お気に入りだった王城をモチーフにしたおもちゃ。
思い入れがあるものばかりだったはずのそれを、跡部は笑顔で(そういえども跡部は幼少期から少しばかり苦笑をするのが多かったが、その時は苦笑ではなく満面の笑みだった)渡してきた。

当時の私は、壊せるならなんでもいいという、見境がない状態だったので、流石に気が咎めたのか一度確認して壊してしまった。
かなり高いものばかりだったように思うが、跡部の金銭感覚は幼少期より狂いまくっていたので跡部に打撃を与えることはなかった。そればかりか、跡部は満足げだった。
それは壊す途中にも確認したのだが、跡部は一仕事終えたように晴れやかな顔をしていた。もしかしていらないのではないかとさえ思えて、壊し終わった頃には良心の呵責をしたことなど全く覚えていなかった。
それから、跡部には悪癖がついてしまった。
悪癖。いや悪意とも呼べるかもしれない。
気に入ったものを私に壊させたがり、それを見たがった。
物だったらまだいい。だが、いつの間にか人までも跡部は私に壊させたがった。

思えば、跡部が私に人を壊すように言ってきたときから跡部のことが恐ろしく、そしてますます嫌いになったのだ。
とても困ったことに、跡部が気に入った人間は実力者や人格者と呼ばれる人たちばかりだった。クラスの中心に当然のようにいた跡部だったが、クラスの中心人物と呼ばれる人たちとも勿論の如く交流があった。それも、跡部の方が上に見られながらだ。誰もが跡部を崇め、まるで王様のように接していた。
私は裸の王様に出てきた家臣たちを思い出しながら、彼らを見ていた。
彼らは跡部に劣るものの表彰賞される人たちで、跡部の趣味なのか、才能ある人は総じて顔がいい人が多いのかしらないが、眉目秀麗な人が多かった。

ある女の子を思い出す。
跡部が初めて私にやると言ってきた女の子のことだ。
彼女は跡部のことが好きで有名だった。全国大会に出れるようなピアノの才能をもっていて、引かせれば跡部のように上手かった。指が細くて、体つきも痩せていた。華奢な線で触れれば倒れそうなほど可憐だった。
跡部も彼女のことは嫌いではなかったらしく、ときどき楽しそうに会話していた。
だからこそやると言われたとき、一体どういうことなのだろうと呆然としてしまった。
いや、誰であろうと同じクラスの子をやると言われたら驚いてしまうだろうが、言ったのがあの跡部だ。どこか説得力というか、ありえるかもしれないと思わせた。
結構仲よかったじゃん、なんて、混乱した頭で言ってみる。
しかし、跡部は気にするなと言わんばかりにサッサと手を振ってきた。
戸惑う。流石に戸惑う。小学生に人間の壊し方なんてわからないし、そのそも人を壊そうなんて思わない。だいたい人と物は違う。有機物と無機物だし、生物と非生物だ。それに跡部のものじゃない。オロオロする私に気が付いた跡部がため息を一つこぼし、一言。

「かわりにやっているから見とけ、ばーか」

いつの間にか代行人になった跡部は素早く立ち上がるとツカツカと彼女に近付いていく。私はというと、ばーかと言われたことにも反応できずに固まっていた。
凄く嫌な予感がした。だが、跡部を止めることもできなかった。
行動が迅速だったのもあったが、いくら跡部といえど人を簡単に壊すなんてできないとタカをくくっていたのだ。
跡部はそのまま少女の前に立つと、彼女の机を軽く蹴って、仁王立ちになった。気がつくと跡部の手には大きな袋があった。
「なあ」
声は高いものの、凛とした通る声が少女に投げかけられる。
「これ、全部食えたら付き合ってやってもいいぜ」
いうや否や机の上に大きな袋をひっくり返して中身をぶちまけた。どさどさと高そうなパッケージに包まれたお菓子の束が転がり落ちる。
机を埋めるような大量のおかしを前に彼女は嬉しそうに口を綻ばせ「本当に?」と言いながら箱の中クッキーを一枚取り出し少食動物のように食べた。
「おい、ちんたら食べるつもりか。あーん?」
「え?」
「遅く食べんなら誰にでも出来んだろ。普通じゃ面白くねえ」
「じゃ、じゃあいつまで食べればいいの?」
「今日まで」
クッキーを食べる手が止まる。不敵に笑う跡部の目をじっと見て少女は決意と共にクッキーの箱を鷲掴みした。
そこで初めて私は少女に近づき、クッキーの箱を掴んでいる手を握った。
「やめなよ。跡部からかってんだよ。無理して食べないほうがいいって」
「からかってねえ」
「跡部は黙ってて。本当にごめんね」
「あなた、跡部クンのなんなの?」
「え?」
訊き返したとき、少女はギラつく目でこちらを睨んでいた。
「あなたこそ黙っててよ」
手がパチンと弾かれた。
隣にいた跡部が唇を緩めながら目を細めた。
「待っててね、跡部クン!」
熱に浮かされた瞳をギラギラ光らせて、少女がクッキーの箱を時間を取られるのも煩わしいとばかりに勢い良く開ける。
もうこちらのことなんて眼中にないように、時間が勿体無いと口に運んでは飲み込む。
「あ、跡部っ!」
「んだよ、かっかしたって可愛くねえぞ」
「何してんの!? やめさせなよ!」
「テメェが壊せねえっていうから俺が代わりにやってやってんじゃねえの」
「言ってない! そして壊してって頼んでもいない!」
「言わなくても伝わんだよ」
「どこで電波拾ってんの!?」
「以心伝心ってやつだ。テレパシーだな」
「・・・・・・どうすんの、これ」
「まあ、見てな」
跡部だって少女にここまで影響が出るなんて思ってなかったのだろうか。それとも、すべて計算通りで、思い描いていた通りだったのだろうか。その時の跡部の表情からは読み取れなくて、何を考えているのかわからなくて恐ろしかった。
次の休み時間、少女はのどを詰まらせて保健室に運ばれた。
少女、――――サキちゃんはどうなったのだろう。
その後、跡部が転校するまで跡部に縋り付いてお菓子を食べ続けていたけれど、成功することはなかった。
私が近寄ると射殺さんばかりの眼光を向けていたものだから、詳しい概要は知らない。
知りたくないだけだったのかもしれない。跡部の異常な行動を当然のように受け入れるサキちゃんを。


苦々しくて憂鬱な気分になった。滝さんと会ってから、こんなことばかり考えて気分が悪い。理由は分かりきっているがその現実を受け入れるのは未だにできない。
がちゃりと扉の開く音がした。
心の準備はまだできていないのに、関係なく寒気が入り込んでいく。
そうだ、外は秋だ。そのことを忘れていた自分に悪寒が走った。どこまで毒されているのだろうか、この環境に。
「サキちゃん、どうなったんだっけ」
気持ちを切り替えるように、そして相手に怯えていることを悟らせないように、気丈に言うと。
跡部はまるで赤絨毯の上を歩いているように堂々とこちらに近づいてくる。
カツカツと革靴の音が鳴る。
学校で遠目で見たことがあるギリシャ神話の神々の彫刻みたいに彫りが深い作りをした端正な顔。太陽を浴びた穂のようにキラキラした髪。深い海のような青い瞳。幼い時は当たり前だけどもっと小さくて、今のように大人の顔つきはしていなかった。目元近くにあるホクロも、かっこいいというより可愛い印象を付けるものだったのに、いつの間にか色気を出す一部になっていた。
「久しぶりにあったやつへの第一声がそれかよ」
低く艶がある声。
「大体サキって誰だよ。ああ、小学で同じだったあいつか?」
「そう」
「萩之介の影響で思い出したのか。あいつは小学卒業まで一緒のクラスだっただろうが」
まるで一緒に卒業したとばかり言うけれど、跡部は低学年で転校したはずだ。それから連絡は取り合っていないし、跡部が知っていることはおかしい。でも、私はサキちゃんが卒業まで同じクラスだったことを記憶していなかった。滝さんが来るまで全く思い出せなかったくらいだ。なおさら跡部がなぜ知っているとも思うけど。深く考えると恐ろしいからあまり深く考えないようにする。
「覚えてない」
「まあ、地味なやつだったしな」
高学年になってからはわからないが、低学年のうちは地味ではなかった。むしろ私の方が数十倍地味だっただろう。可愛くて、ピアノが上手な女の子。男の子にも人気だったのに。跡部を前にすればそんな評価になるのか。
「今思えばあいつをテメェにやったのは早計だったな。そこまでいい女じゃねえ。あんなものを宝物だと思われるのは心外だ」
「ねえ、跡部は何か知ってる?」
呟きを無視して聞くと、跡部といった時に眉と眉の間に深い線が刻まれた。
「景吾って呼べ。・・・・・・あいつは太っただけだ。あんまりにも太り過ぎてピアノの鍵が押せなくなってもう大会には出てねえみたいだがな」
そういえば、そうだった。可愛かったサキちゃんは跡部の彼女になろうと必死で、お菓子を食べまくって太り過ぎていじめられたんだった。そのうち不登校になって、同じクラスでも覚えていなかったんだ。
壊したことを忘れたかったんだ。跡部が壊した人のこと、いいや私がといってもいい人のこと忘れたかった。だから、思い出せもしなかった。口内が乾く。唇が痛い。
「気に病むことかよ。自業自得じゃねえの」
「跡部」
「景吾だつってんだろうが」
「サキちゃんと付き合う気なんてなかったんだよね」
「だったらなんだよ」
「なんであんなことやったの」
「テメェがやらなかったからだろ」
あの時と同じ言葉。今はあの時のように静観していられない。壊してしまった少女は跡部が挑発して私が刺激してしまった。それを自業自得とは思えない。だって言わなかったらサキちゃんが太ることもいじめられることもなかったじゃないか。
突然、耳元に息が吹き込まれる。熱っぽい、湿った吐息。
下がった視線を無理やりあげさせて、跡部が私の瞳を見た。
濁った狂気の色が溶けていた。
「もうこの話しはいいだろ? 久しぶりにあったんだ。他に話すことがあんだろ?」







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