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「『私の嫌いな人間は手にぐるぐる包帯を巻いていて、人当たりよさそうな笑顔で笑う、色素の薄いテニス部の部長さんなの』」
「『なんて』」上履き、彼女の上履きがポトンと床に落ちた、俺の目線はそれによって定まる。ここは俺の夢の中。俺は彼女が座っている教卓の前にいた、彼女の夢の中のだけの生身の姿、俺はそれだけで欲情した。劣情といってもいいかも知れない、彼女の姿を見られるだけで嬉しくなって、俺は胸が高鳴った。嗚呼、やっぱり恋だ。この感情は恋なのだ、胸に手を置く、彼女はそれを見て、またにっこっと後光が射すような笑顔を浮かべた。
「時計の針ってあるやろ?」
「『うん?』」
彼女の二重鍵括弧のついた言葉がやっぱり懐かしい。俺の言葉を肯定したその言葉が懐かしい。無性に身震いした。どうしてなのだろう、どうしてかは分からないけど、それでもいいかな、って思えた。彼女が目の前にいる。俺にとってはそれだけで十分だった。
「時計って針が動いているやろ?一秒一秒を刻む秒針。一分一分を刻む分針。一時間一時間を刻む時針。俺はな、秒針が一番好きやったんや。ほら秒針って一秒一秒を正確に刻むやろ?俺な、その一秒一秒が正格に刻まれていくのが好きなん。一秒一秒が一分一分、一時一時を構成していくんやと思うと一秒がとても尊いように思えるやん。一秒がないと一分がなくて一秒がないと一時がなくて、まるで俺にとってのお前みたいに、絶対に必要な存在。俺はそれが愛しくてしょうがなかったんや。」
愛の告白。俺は彼女にそんなことは出来なかった。ああこれは全部まやかしで、これは全部妄想で、幻想で。全部が虚栄だ。俺は彼女に声さえかけれはしなかった。だからこんなに悠長に長々と喋るのは初めてだった。まるで"あいつ"みたいに彼女に喋りかけられたのは嬉しくて、それでいて苛立たしかった。俺は結局、完璧なんかにはなれはせんのやろな。それでも目の前の彼女は可愛い。普通ならば別段持て囃されないのに、俺には彼女が誰よりも可愛く思っていた。例えば、そう世界よりも。
「『ありがとう、蔵ノ助くん』」
嬉しい、そう笑う彼女は目の前にいるけれど、彼女は俺のことを蔵ノ介くんとは言わない。言われたことがない。これは俺の願望と俺の記憶で製造されている彼女なのだろう、いきなり悲しくなった。どんな彼女でも嬉しいけど、それでも虚無感は拭えない、俺は本物の体には触れないから。もう、本物さえ、いないのだから
「『でもね、蔵ノ助。』」
私は、駄目だよ。絶対に駄目だよ。付き合えないの。
簡単な事だった。夢でも俺はリアルを実感した。夢なのになんて現実的なのだろうか、彼女には好きな人が居た。俺とは似てるようで似ていない人間。目の前に居る彼女は笑った。悲しそうだった、凄く、悲しそうだった。
指が動かなくなる、夢から覚める前兆なのだろうか。やがて彼女の顔が白く靄がかかったように見えなくなっていく。手を伸ばした。掴めそうもない彼女に俺は泣きそうになった。



カシャン、それは俺が目を開けて最初に聞いた音。どこまでも空虚なその音は屋上全体に響き渡る。立ちながら夢を見ていたのだろうか、最後に彼女が悲しそうに目を細めていたのをぼんやりながら覚えている。それは結局は妄想なのだろうけれども、それでも心に響いた。俺は、彼女とは結ばれへん。
「×。」
×。大切な名前、もうこの世界の何処にもいない、俺の大切な思い人。最後の恋の相手。そして初恋の相手。俺の手をすり抜けて此処から真っ逆さまに飛び降りた、女の名前。俺を置いていった女の名前。
カシャンカシャンカシャン、鳴るフェンスの音はどうしても淀んでいた。このフェンスが彼女を掴んでいれば、彼女は死なずに済んだのだろうか。臆測ばかりの、八つ当たり紛いの考えに首を振った。無機物に何をいっているのだろうか。おかしな笑みさえ溢れる。感情のコントロールが出来ない、俺はネジが外れたようになってしまった。ヘタリ込む。全てが真っ白だ。頭も気持ちも、何もかも。どうすることも出来ないほど、回らないネジ穴は俺の頭に風を通らせる。
「どうして、」
どうして、死んだのか。
どうして死んでしまったのか。考える。どんな時でも心からその思いが消えない、消せれない。腑抜けてしまった俺に千歳は困ったようにしていた。そう、困ったように。こないだ俺が試合中に何かで切ってテニスボールを血で染めてしまったときも、困ったような目で俺を見ていたのだ。部長失格、やなあ。もう、辞めてしまおうか。こんなに腑抜けた部長は部には必要ないやろな。そんな厭世感しかない感情。俺はもう終わってしまったのかもしれない、彼女の夢を見て、この世界に絶望しそうになっている俺はもう終わっているのかもしれない。
いっそここから飛び降りてしまおうか、そうすればもしかしたら彼女に会えるかもしれない。ダンテのように煉獄を巡り天国で、会えるかもしれない。カシャン。フェンスが揺れる。ガシャン、カシャン。ここから見る空は綺麗だ。彼女もこの空を見ながら死んだのだろうか。



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