■■■

「……っ!」
「はっ、なんだ、静! 遅すぎ!」
「っ! ワタシが遅いのではなくお前が早いんだ、辛子曜子!」
「フルネームで呼ばないでよ! 笑うから、さっ」

ドリブル。シュート。その完成度の高さは静ちゃんの方が上だ。しかし辛子さんのトップスピードと普通のスピードとのアジリティーの違いは天性のものだ。瞬発力が異常に高い辛子さんは、静ちゃんのマークを易々と抜ける。消して優しいマークをしているつもりはないのに抜けられている静ちゃんはいつもより汗をかいていた。それをみて安近ちゃんがほえーと間抜けな顔で吠える。

「相変わらずはやー静だって力抜いてやってるわけじゃないのに抜かれてるししかも反応できてない」
「元々静さんは動体視力があまりよくありませんからね。反応速度は遅いほうだと思います。それでもでもやっぱり辛子さんの俊敏性は早いですね……惚れ惚れします」
「ドリブルの上手さもあるよねあのスピードでボールがすっぽ抜けないのが謎でたまらないアタシだったらいの一番にすっぽ抜けてるもん」
「ドライブテクは三ヶ月の間に教え込みましたから。辛子さんには三ヶ月間ドライブだけをさせましたし」
「シュート率とか悪くならないの?そんだけドライブだけだったらさ」
「そこらへんは問題ありません。辛子さんは元々シュート率は六割から七割あるので」
納得は出来ていないが一応と頷いた安近ちゃんに溜め息をつきそうになる。どうみても自分も1on1したそうだ。彼女にはリバウンドの練習をお願いしているのだけど……。というかさっさと第二体育館へ行け。さっきから蜜柑ちゃんがオロオロしているのが見えないのか。
「ねえ群青ちゃん」
「駄目です」
「まだ何も言ってない」
「どうせ、今日のリバウンド練習はなしとかそんなことでしょう、張り倒しますよ」
「いいじゃん別にさ」
「じゃあ分かりました」
「ほんと!?」
力強く立ち上がった安近ちゃんに犬の耳が見えた。嬉しそうに垂れているのが分かる。
「私と1on1して勝てたらですけど」
いきなり座り込んで、安近ちゃんは恨めしそうにこちらを見てきた。
「群青ちゃんに勝てるわけないじゃん無理ゲーだよ無理ゲー」
「じゃあ早速ですがリバウンド練習に行って下さい」
「……へーい」
落ち込んでいるの丸見えで言われると私も少しだけ悪いことをしてしまったなと反省した。


■■■

はあはあと息を乱しながら辛子さんが私の横に腰掛ける。私はタオルを投げ渡して、辛子さんを出迎えた。
「サンキュー」
「どういたしまして」
さっきまで練習していたから私もベタベタしている。シャワーを浴びたいが、ただの休憩時間だからそれは出来ない。
「かなりドライブテクニック上手くなりましたね」
「そりゃああれだけさせられれば、ね」
苦笑してタオルに顔を埋めると、辛子さんはふうと息を吐いた。途端にはあはあといっていた息が整えられる。
「ぶっちゃけさ、こんなに上手くなるとは思ってなかった」
タオルの中からくぐもった声が聞こえてくる。低めの耳に響く声だ。
「そうですか」
「うちが部活続けてるっていうのもおかしな感じ。だって、中学のときうちは一人だけレギュラーじゃなかったし」
「はあ」
「地区大会に一回だけ参加しただけ、だし」
「そうですね」
「なんでうちを選んだのか謎過ぎ」
「なんでですかね」
理由は勿論ある。でも辛子さんに直接伝えるようなことじゃない。閉口する。きっと彼女が知っても意味がわからないだろう。
「才能があると思ったからだと思いますけど」
誤魔化すように言った言葉に辛子さんは閉口して、呆れたのか口を開こうとはしなかった。


■■■

男癖が悪いのと、セックスしているということとは結びつかない。辛子さんは健全なお付き合いをしているだけで(量は不健全だが)相手も体育会系ということもあり、会える日なんて全然ない。辛子さんが付き合っている人はピュアピュアのセックスのセの字も知らなさそうな健全な男子ばかりだから余計にそういうこととは無縁だ。でも、女の子はというか噂は厄介で、狭い箱に住む人達の脳内は上書きに上書きを重ねられている。そんな愚かな人達のことなんて脳内から排出出来るけれど、しかし先生に指摘されるのはいただけなかった。してきた先生はバレー部の顧問で、監督も兼任している人だから、本当に噂のことを思ってとかではないだろうけど。

バレー部顧問の甲高い声がまだ耳に残っている。ヒステリックな叫び声は耳を腐らせる音に違いない。耳鼻科へいくべきかなと考えながら歩いていると風紀委員に捕まった。イライラしている時に彼らの顔を見るのは正直言って嫌だ。ねちねちと嫌味を言われるのは、さっきで十分なのに。

「―――――――!」

身長が高いというのはそれだけで怖がられる原因になる。うちの部活動は色々なところからバスケに大切な高さがある選手を集めた。だから、こうやって勘違いを言われることが多い。女バスは高いだけの奴等だ、なんて全国制覇したときに消えた噂の筈だけど……。ねちねちと言ってくる人の顔をちらりと見ると――納得する、剣道部の先輩だ。体育館を取られたのがそんなに悔しかったのだろうか、言葉には高さに対する嫌悪感だけではない感情が乗せられていた。
――ばっかみたい。
負け犬の遠吠え。弱い奴等の文句。そんなのうざったいだけだ。
早々に理由をつけて退散しよう。唯でさえ気が立っているのにこれ以上イライラさせられるのは勘弁だ。時間がないとやんわりと切り上げようという言葉を語ろうとしたとき――私よりも大きな影が目の前に現れた。

「すまない、女バスの群青葵だろうか」
「……はい、そうですけど」
長い。いや、静ちゃん達の方が長いけど、なんというか長細い。マッチ棒みたいな人だ。肩幅は私よりも少し大きいぐらいで、足が長いのか、腰が私のお臍ぐらいにきていた。身長は百八十センチは越えている。私よりも拳骨一つぐらい大きな頭が見下ろしてくるのはいつもの部活の風景みたいだった。
「テニス部の柳だ。少しいいか」
「……はい」
一難あってまた一難。諦めるしかないのか……。


■■■
「大丈夫か」
「はあ」
「やる気のない返事だな」
「何かご用ですか」
所変わって廊下の片隅で私と柳さんとやらが喋っていた。ぴっしりと着こんだ制服が彼の几帳面な性格を物語っている。
「そう警戒するな」
「……ご用がないようでしたら失礼します」
「体育館のことだ」
「…………」
ポケットから出てきた書類をチラリとみて、驚愕する。顧問権限の委任状だ。一度だけ見たことがある、あのときは女バレーが大会前だからと貸し出したが、まさか本当に顧問に話をつけてくるだなんて。
冷や汗が止まらない。また職員室に戻って顧問と話をつけなければ。体育館を取られるわけにはいかない。
頭が痛い……。
「貸し出しては貰えないか」
「…………一年が出てくるだなんて、舐めているんですか」
「は?」
「あ……」
……あ。いや、うん。違う。違うよ。違うんですって。ほら、イライラしていて、口が悪くなっているだけで、別に他意は。
「レギュラーだかなんだか知りませんが私は部長ですよ。相手取るならばそちらも部長を出して下さい。舐めているんですか?」
――他意は。
ないわけ、ない。こちとら、こないだ体育館を占領され、荷物持ち物をやらされたのだ。恨みならある。
「体育館を貸して貰うつもりならば部長を連れてきて下さい。でも……それでも体育館を取れるとは思わないで下さいね」
「……群青」

静かに呼ばれた名前に目をゆっくりと閉じる。イライラとした感情を閉じ込め、ゆっくりと目を開いた。


■■■

「……テニス部に絡まれてるんだって?」
「ええ」
シュート練習をしながらの会話。辛子さんはそんなことをなんとも思わず、ドリブルを続けたまま私に声をかけ続ける。ダムダムとバウンドするボールの音が耳元で鳴っているように聞こえる。

「男テニは厄介なの知ってるよね」
「知っていますよ」
スリーポイントを決める。ゆっくりと伸び縮みする足。意識しながら伸ばす手。それらを完璧にして、もう一個ボールを手にとった。
「部費でも揉めましたし」
「それなのによくまた相手をしようだなんて思ったね」
「不可抗力です」
円を描きながら落ちてくるシュートが決まる。スリーポイントはやっぱり高く上げるに限る。網を潜る音しかしなかったゴールネットをみてそう思った。
「どうすんの?」
「どうしましょうか」
「考えてないの」
「頭の中はW・Cのことで一杯なもので」
「シード取れたんじゃなかったの?」
「取れましたけど、東京区選抜大会には顔を出さないといけません」
「めんどくさー」
「めんどくさいだけならいいんですが」
東京区選抜大会のトーナメント表を思い出す。シードを取れた私達が戦うのは三校だけだ。しかも、そのうちの二つに勝てば自動的に全国大会に進めれる。
それだけならまだ問題はない。問題は東京区選抜大会で当たるであろう学校の名前だった。
「水草高校」
「水草高校? 去年W・Cでベスト8に入った強豪校じゃん」
「今年のI・Hはベスト4に入ってましたよ。紅花高校に下されてベスト4止まりでしたが」
「……優勝候補の一つ」
「はい」
「……大丈夫……な、わけないね。翡翠だっけ、水草高校に行ったの」
「はい、翡翠ちゃんです」
「早打ちシュートで有名な、か」
「そうなります」
翡翠ちゃん、中学のチームメイトでSGの子だ。翡翠ちゃんはシュートの制限回数が増えたときいている。中学では7回は精度が落ちないで打てる回数だった、今は10はいっているだろう。なんにせよ、試合するのはとても楽しみだ。

「……早く大会ありませんかね」
「その前に男テニとのこと片付けようよ」
「めんどくさいです。彼らはどうせ、憂さ晴らしをしたいだけでしょう」
「面倒事は回避が基本なんじゃないの?」
「ちょっと今、そっち側に回すだけの気力がないんですよ。ワクワクし過ぎて……逆にイライラしてるんです」
「……群青」
「いけないって分かってるんです。でも楽しみで仕方がない。ボールを触ってないと震えて仕方がありません」
私も大概のバスケバカですね。シュートを放つと、辛子さんが呆れ顔で言う。
「男テニ敵に回すと厄介なんだから。ファンクラブみたいなものまであるらしいし」
「スポーツ特待で来たうちの生徒を潰しに来るようならば、その時は対処します」
「対処って?」
「私、これでもかなり立海の部活動中では権限あるんですよ? 君と同じで逆推薦でしたし」
「群青とウチは違うでしょう」
「はい、辛子さんと私は違うので、酷いこともしちゃえます」
中学の時も、学校内で批判はあった。それを握り潰してきたんだ。場数はそれなりに踏んでいる。報復の仕方なんて、中学三年間でお勉強済みだ。
「テニスコートの占領は出来なさそうですけど、荷物運びならばさせることは可能です。あと、強制的に部費を削ってもらうことも出来ます」
「……そんなん出来るの?」
「出来ますよ。女バスを創立したのは誰だと思っているんですか」
辛子さんは呆気に取られた顔をしていたが軈て破顔して私の前に立ち塞がった。
「やれるのにやらないの?」
「創立一年目で由緒正しき男テニを従わせることが出来る女バスは皆にひかれると思いまして」
「そーいうのカッコいいじゃん。悪の組織みたいで」
「それに心証悪いですよ。先生達に何を言われるか分かりません」
「それでも、ウチ達の為ならば使ってくれる?」











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